朽木城(くつきじょう)
朽木城の基本情報
通称・別名
- 朽木陣屋、朽木氏館、朽木屋敷
所在地
- 滋賀県高島市朽木野尻
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 佐々木信綱
築城年
- 鎌倉時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々木氏、朽木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、井戸
指定文化財
- 県史跡(朽木陣屋跡)
再建造物
- 説明板(朽木陣屋)
周辺の城
-
田中城(滋賀県高島市)[6.5km]
清水山城(滋賀県高島市)[8.9km]
細川城(滋賀県大津市)[9.0km]
熊川城(福井県三方上中郡)[9.6km]
打下城(滋賀県高島市)[10.8km]
大溝城(滋賀県高島市)[11.0km]
伊井城(滋賀県高島市)[11.6km]
歓喜寺城(滋賀県大津市)[14.9km]
田屋城(滋賀県高島市)[15.1km]
新保山城(福井県小浜市)[18.8km]
朽木城の解説文
朽木城の口コミ情報
2024年04月27日 ぽち太365近江守
朽木城
朽木資料館を目指して行きました。遺構は水堀、土塁、井戸などが残されていますが、資料館も普段は閉館しています。静かに昔を懐かしむ感じです。
2024年03月17日 兵部卿スーさん
朽木城
私は安曇川駅からバスで行きましたが1時間に1本(ない時間帯も)です🅿️は2〜3台分あります資料館も閉館してましたでも土塁と井戸は残っていて 以前資料館だった藁屋根の崩れた感じの建物も良かったです足利庭園は興聖寺の中にあり、朽木学校というバス停から歩けます
2023年12月07日 ムサコ駿河守
朽木城
現地に資料館あり。ただし、1週間以上前に電話予約する必要があります。
土塁その他の遺構はありますが、わざわざ遺構だけを見に来る価値があるかと言えば…朽木の里の雰囲気も堪能されると良いと思います。
2023年09月18日 国府左京大夫城介
朽木西山城[朽木城 周辺城郭]
烽火台が残る朽木城の詰城
【歴史】
正確な築城年代は不明だが、室町時代中期に朽木氏が岩神館から朽木城に移った頃に築かれたと考えられる。
残存する遺構から、戦国時代後期(永禄年間・元亀年間頃)に改修が行われた可能性が高い。
【遺構】
朽木城から北北東約1.2kmにある西山(標高365m)の山頂を主郭とし、南北の尾根沿いに曲輪や堀切を設けた連郭式の城郭である。
主郭には周囲を土塁が巡り、北側にコの字の土塁に囲まれた烽火台がある。
南曲輪の東側には竪堀を、南側には堀切を、西側には主郭の土塁と連結した枡形虎口で防御を固めている。
北曲輪の北側尾根には三条の堀切で、西側は烽火台の土塁を利用した虎口で防御を固めている。また、水を溜めたとされる石積の溜枡遺構が残る。
【感想】
詰城らしく城はかなりコンパクトに纏まっており、枡形虎口、堀切、竪堀などの遺構も藪に埋もれていないため、明瞭に確認することができます。
この城に残る烽火台は、明確に烽火台として判断できる遺構であるため、全国的にかなり珍しい遺構だそうです。烽火台を囲う土塁は、虎口を守る防御だけでなく、烽火を上げるために北風から守る役割もあったそうです。
主郭から南に250mほど行った所に、縄張り図等には載っていませんが出曲輪があります。このあたりは下草が多く、いまいち遺構ははっきりとしません。
登城口から城域までは道が整備され、所々に案内板もあるので登りやすいかったです。
バスを利用して、朽木陣屋を訪れる際には、バスの本数も少ないので、この西山城も併せてリアすることを推奨します。
【アクセス】
安曇川駅から朽木学校前行きのバスに乗り、野尻で降り、登城口まで約10分。そこから、約30分で城内に。
車の場合は、朽木陣屋の駐車場を利用するとよい。
【写真】
①説明版
②北曲輪の虎口
③溜枡遺構
④烽火台
⑤南曲輪の枡形虎口
⑥南曲輪の堀切
⑦北曲輪の堀切1
⑧北曲輪の堀切2
2023年05月19日 RED副将軍
朽木城
鎌倉時代から明治までこの地を統治した朽木氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。歴史は古く鎌倉時代に朽木氏に築かれた代々の居城とされます。
幕藩体制が確立すると江戸時代初期に朽木陣屋が築かれました。
朽木氏は、宇多源氏佐々木信綱を祖とする名族。
佐々木信綱は承久の乱の戦功により、朽木荘の地頭職を与えられ、その子孫が土着し朽木氏を名乗ったのが始まりです。
京での戦乱を避けるため逃れてきた将軍足利義輝を庇護したり、1570年には織田信長が越前朝倉攻めにおいて、浅井長政が裏切り挟み撃ちにあった際には朽木氏の手引きで朽木城で宿をとり朽木街道を抜けて京への撤退に成功をしたと、朽木氏はたびたび歴史の大舞台に出てきます。
関ヶ原の戦いにおいては当初西軍に付きましたが、途中で東軍に寝返ったことで所領は安堵され大名格を与えられました。
朽木氏は、鎌倉時代から明治まで一貫して在地を治めました数少ない氏族です。
見所
石垣、土塁、井戸、水堀が少し認められる程度ですが、消失したのでは無く埋められている様です。
朽木資料館がありますが、事前予約をすれば開館してもらえる様で普段は閉まっています。
2023年04月04日 尼崎城駿河守一口城主
朽木氏岩神館[朽木城 周辺城郭]
4月2日、朽木陣屋散策後、道の駅くつき新本陣に寄ったところ朽木観光案内図に足利庭園(興聖寺)のことが載っていたので(写真①左下)訪れてみました。お寺の駐車場入口付近に写真②の案内があります。駐車場のトイレの近くに<朽木氏岩神館遺跡>の説明板(写真③)がありました。坂を上がっていくと境内入口に<旧秀隣寺庭園>の説明板がありました(写真④)
寺務所で拝観受付や御朱印をお願いして御本尊様や不動明王の解説、佐々木氏関連の話等とても興味深い話を聞くことが出来ました。足利12、13代将軍が都の戦乱から朽木に逃れて来たことや家臣の細川藤孝公が若狭熊川から麝香姫を迎えて忠興公が朽木で誕生したことなど勉強になりました。次に信長公が朝倉攻めから撤退する時に朽木越えを選択した際、朽木元綱公の助けがあり京都に帰ることが出来た話や家臣が元綱公と交渉している間、朽木三ツ石という所の岩に潜んでいた<信長の隠れ岩>という場所があることなど知らなかった話を数多く聞くことが出来、お参りして良かったです。お堂を出てから庭(写真⑤⑥)や足利庭園(写真⑦⑧)を見学しました。
2023年04月04日 尼崎城駿河守一口城主
朽木城
4月2日、田中城下城後にレンタサイクルにて朽木陣屋を目指しました🚲Gマップを確認しながら進み、途中から県道23号の小浜朽木高島線をひたすら西に向かって走りました。県道23号の朽木地区に入るやや手前(安曇川地区)に満開の桜並木がありました(写真①)※往路は花見をされている方が多かったので帰路に撮ってみました🌸
安曇川上流(写真②)に目的地はあるんだなと小休止を挟みながら向かい風や坂道にフウフウ言いながら進み💦朽木資料館(朽木陣屋跡)(写真③)に辿り着きました。訪問時、残念ながら資料館は休館(写真④)でしたが開いていたとしても見学には事前予約が必要と資料館入口に張り紙がありました。資料館には入れなかったものの陣屋跡は花も咲いていたり(写真⑤⑥)、木造茅葺き民家(写真⑦朽木能家地区から移築した江戸時代末期の建築物とのこと)があったり、庭園?(写真⑧)があったりと和やかな空間でした🍵
私事ですが当地で本(城)年度の攻略城数がジャスト600城に到達し、良い年度の締めくくりとなりました。来年度も宜しくお願いします🙇🏻♂️
2021年12月02日 梅鉢近江守Silvine
朽木氏岩神館[朽木城 周辺城郭]
朽木氏岩神館は足利幕府奉公衆であった朽木氏の館跡で、将軍足利義晴が京より逃れてきた際にここへ迎え入れたと伝わります。その後、足利義輝もここへ逃れてきました。「麒麟がくる」で雪の中、義輝が「麒麟がくる道は遠いのう」と十兵衛に語りかけていた、その地になります。
同地は江戸初期に朽木宣綱の正室を弔う秀隣寺となり、その後さらに朽木氏の菩提寺である興聖寺となって現在に至っています。
足利将軍の無聊を慰める為に管領細川高国が贈った庭園が、国指定の名勝「旧秀隣寺庭園」として残ります。また、墓地の背後には特に案内はありませんが、大きな土塁と堀切が残されています。
2021年12月01日 小太郎左衛門督南畿道19國守
朽木城
若狭街道と琵琶湖よりの街道が合流する交通の要衝と京への近距離、付近の森林資源が同地の繁栄を伺わせる。
2020年08月30日 nirl雅楽允
朽木城
公共交通の場合、安曇川駅からバスで朽木グランド前へ。石垣が一部残ってるものの、茅葺き家は城と無関係。近くの街並みを楽しみましょう。
2020年08月25日 征夷大将軍クララ姫
朽木城
朽木城の南約2キロに『てんくう』という日帰り温泉があります。その中の『天狗の湯』露天風呂から北方向を見ると、朽木城一帯が見下ろせます。全体の地理・地形がわかりやすく、おすすめします。
2020年08月23日 上総介あきおう
朽木城
JR安曇川駅からバス朽木線に乗って朽木グランド前で下車、片道720円。バス停から少し戻ると朽木陣屋跡へ。土塁と井戸跡、堀跡は今は水路。資料館は事前予約すると役所の文化財課の方が開けに来てくれるとのこと。バスは一時間に一本以下なので帰りのバスの時間を必ず調べてから行くこと。
2016年04月25日 ポリタンク大和守
朽木城
朽木西山城についての追記。
案内板は登城道途中、主郭西側神社付近、主郭内の3箇所。
通常は神社側から主郭に至るのでしょうが、「西山城まで200m」の道標で神社に向かわずに尾根筋を辿ると、主郭南側の堀切とご対面します。虎口から主郭に入るというこだわりがないなら、このルートもよいかなとは思います。
2016年04月25日 ポリタンク大和守
朽木城
資料館南側に駐車場あり。案内板は運動場の西側にもあります。
北側背後に朽木西山城。戦国期利用の烽火台跡があるのは珍しいそうなので時間があれば。
登城道と主郭周辺はともに現状では整備されているので、ウォーキングシューズでも散策できるでしょう。
ただし、周辺のお城と同様に季節によっては熊注意。私は熊ベル携行の上で、iPhoneにて音楽を鳴らしながら見学してました。
2016年02月16日 ( *¯ ³¯)っ旦
朽木城
安心してください。
レンタルサイクルはあります。
安曇川駅改札口を出て右手側建物内に観光案内所があります。
そこで借りれます。
但し13時閉店です。
朽木城攻略は観光案内所で長尾のバス停(朽木方面)を聞いたら、大丈夫です。
長尾の集落に入らずにそのまま直進、山裾に合流する辺り、小高いところに山神様が祀ってある辺りで攻略できます。
飛ばし屋の私で往復90分です。
2015年12月01日 源山城守@ポンコ2…
朽木城
安曇川駅西口の観光案内所(13時閉店)でレンタサイクル(保証料込600円)し、駅前の道を北に上がり、T字路を左折(西)し、ひたすら道なりに進みます。
地図は観光案内所で頼めばいただけます。
山から琵琶湖に向かう東風が逆風、道も緩やかなアップダウンを10㌔ちょい進むと朽木資料館があるとこが現地です。
のどかな田園や点在する集落が続き、道が広くなった以外は20年前と変わらないかな。
途中から林となり、右手にゴルフ場が見えると近いです。
駅から現地まで1.5時間弱かかりましたが、体力に自信のない方には本数が少ない路線バスをお薦めします。
資料館横にわずかに石垣や土塁らしきもの、井戸などの遺構がありますか、往時は本丸、二の丸、三の丸など計10万平米あったそうです。
鯖街道を南に進むと足利庭園とよばれる興聖寺のお庭があるそうです。
足利庭園が示すように、時の将軍、足利義晴・義輝親子が匿われたり、越前攻め失敗で退却の織田信長の朽木越えなど、歴史でも度々登場するので、そういうのに思い馳せるのも一興かと。
帰りのサイクリングは追い風もあり1時間かからずでした。
2015年04月04日 木下近江守湖一郎
朽木城
近くに西山城というのがあるそうで、行こうとしましたが、熊が出るとのことで鈴もラジオもないので諦めました!
2014年06月15日 まったり丹波守屋
朽木城
資料館は撮影OKでした。
資料館の方から色々お話しを伺えました♪
2014年02月27日 VINO-S
朽木城
高島教育委員会の発行の高島の城と城下の冊子を入手てからの訪城を
2013年09月22日 青コアラ美濃守
朽木城
城(陣屋)跡に建つ資料館は入館無料ですが、高島市内の他の城跡に関する展示もあるので、入って損はないと思います。清水山城等のパンフレットも置いてありました。
下の県道に出た所に説明板があり、僅かに堀の名残があります。
近年行われた発掘調査の結果、室町時代の朽木城も、この位置に重複していることがわかってきている。
陣屋の規模は、おおよそ方二町で、内部には御殿や馬場があったが、明治維新に建物は全て壊され、現在では堀、土塁、石垣の一部が見えるだけとなっている。
しかし、地下遺構は良好に残っており、今後の調査により往時の姿を蘇らせることができそうである。
朽木氏について
朽木氏は、佐々木氏の流れで、京極氏、六角氏とは同族の高島郡に割拠した高島七頭の一家として朽木谷を支配していた。朽木氏は、京都と日本海を結ぶ若狭街道一帯を抑え、かつ、豊かな山林資源を活用することにより、力を蓄えた。
室町幕府の中でも、京都に近い立地、軍事力などの理由から重用され、幕府の奉公衆として、親衛隊的な役割も担っていた。
また、代々の足利将軍が戦乱から逃れるため、度々朽木氏の元に身を寄せていた。織田信長が、朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りに遭い、若狭から京へ逃げ帰る際にとったルートが朽木谷で、朽木氏がその先導をしたことは有名である。
その後、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代には9000石を安堵された。
現在、朽木家に伝わった記録類「朽木家文書」は、中世史の基本資料として、重要文化財に指定されている。