朽木城(くつきじょう)
朽木城の基本情報
通称・別名
- 朽木陣屋、朽木氏館、朽木屋敷
所在地
- 滋賀県高島市朽木野尻
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 佐々木信綱
築城年
- 鎌倉時代前期
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々木氏、朽木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、井戸
指定文化財
- 県史跡(朽木陣屋跡)
再建造物
- 説明板(朽木陣屋)
周辺の城
-
田中城(滋賀県高島市)[6.5km]
清水山城(滋賀県高島市)[8.9km]
細川城(滋賀県大津市)[9.0km]
熊川城(福井県三方上中郡)[9.6km]
打下城(滋賀県高島市)[10.8km]
大溝城(滋賀県高島市)[11.0km]
伊井城(滋賀県高島市)[11.6km]
田屋城(滋賀県高島市)[15.1km]
北比良城(滋賀県大津市)[15.3km]
新保山城(福井県小浜市)[18.7km]
朽木城の解説文
朽木城の口コミ情報
2021年12月02日 【熊】近江守Silvine
朽木氏岩神館[朽木城 周辺城郭]
朽木氏岩神館は足利幕府奉公衆であった朽木氏の館跡で、将軍足利義晴が京より逃れてきた際にここへ迎え入れたと伝わります。その後、足利義輝もここへ逃れてきました。「麒麟がくる」で雪の中、義輝が「麒麟がくる道は遠いのう」と十兵衛に語りかけていた、その地になります。
同地は江戸初期に朽木宣綱の正室を弔う秀隣寺となり、その後さらに朽木氏の菩提寺である興聖寺となって現在に至っています。
足利将軍の無聊を慰める為に管領細川高国が贈った庭園が、国指定の名勝「旧秀隣寺庭園」として残ります。また、墓地の背後には特に案内はありませんが、大きな土塁と堀切が残されています。
2021年12月01日 小太郎弾正忠南海道20國守
朽木城
若狭街道と琵琶湖よりの街道が合流する交通の要衝と京への近距離、付近の森林資源が同地の繁栄を伺わせる。
2020年08月30日 nirl雅楽允
朽木城
公共交通の場合、安曇川駅からバスで朽木グランド前へ。石垣が一部残ってるものの、茅葺き家は城と無関係。近くの街並みを楽しみましょう。
2020年08月25日 【救援感謝】征夷大将軍クララ熊
朽木城
朽木城の南約2キロに『てんくう』という日帰り温泉があります。その中の『天狗の湯』露天風呂から北方向を見ると、朽木城一帯が見下ろせます。全体の地理・地形がわかりやすく、おすすめします。
2020年08月23日 あきおう上総介
朽木城
JR安曇川駅からバス朽木線に乗って朽木グランド前で下車、片道720円。バス停から少し戻ると朽木陣屋跡へ。土塁と井戸跡、堀跡は今は水路。資料館は事前予約すると役所の文化財課の方が開けに来てくれるとのこと。バスは一時間に一本以下なので帰りのバスの時間を必ず調べてから行くこと。
2016年04月25日 ポリタンク大和守
朽木城
朽木西山城についての追記。
案内板は登城道途中、主郭西側神社付近、主郭内の3箇所。
通常は神社側から主郭に至るのでしょうが、「西山城まで200m」の道標で神社に向かわずに尾根筋を辿ると、主郭南側の堀切とご対面します。虎口から主郭に入るというこだわりがないなら、このルートもよいかなとは思います。
2016年04月25日 ポリタンク大和守
朽木城
資料館南側に駐車場あり。案内板は運動場の西側にもあります。
北側背後に朽木西山城。戦国期利用の烽火台跡があるのは珍しいそうなので時間があれば。
登城道と主郭周辺はともに現状では整備されているので、ウォーキングシューズでも散策できるでしょう。
ただし、周辺のお城と同様に季節によっては熊注意。私は熊ベル携行の上で、iPhoneにて音楽を鳴らしながら見学してました。
2016年02月16日 ( *¯ ³¯)っ旦
朽木城
安心してください。
レンタルサイクルはあります。
安曇川駅改札口を出て右手側建物内に観光案内所があります。
そこで借りれます。
但し13時閉店です。
朽木城攻略は観光案内所で長尾のバス停(朽木方面)を聞いたら、大丈夫です。
長尾の集落に入らずにそのまま直進、山裾に合流する辺り、小高いところに山神様が祀ってある辺りで攻略できます。
飛ばし屋の私で往復90分です。
2015年12月01日 源下野守ポンコ2今は…
朽木城
安曇川駅西口の観光案内所(13時閉店)でレンタサイクル(保証料込600円)し、駅前の道を北に上がり、T字路を左折(西)し、ひたすら道なりに進みます。
地図は観光案内所で頼めばいただけます。
山から琵琶湖に向かう東風が逆風、道も緩やかなアップダウンを10㌔ちょい進むと朽木資料館があるとこが現地です。
のどかな田園や点在する集落が続き、道が広くなった以外は20年前と変わらないかな。
途中から林となり、右手にゴルフ場が見えると近いです。
駅から現地まで1.5時間弱かかりましたが、体力に自信のない方には本数が少ない路線バスをお薦めします。
資料館横にわずかに石垣や土塁らしきもの、井戸などの遺構がありますか、往時は本丸、二の丸、三の丸など計10万平米あったそうです。
鯖街道を南に進むと足利庭園とよばれる興聖寺のお庭があるそうです。
足利庭園が示すように、時の将軍、足利義晴・義輝親子が匿われたり、越前攻め失敗で退却の織田信長の朽木越えなど、歴史でも度々登場するので、そういうのに思い馳せるのも一興かと。
帰りのサイクリングは追い風もあり1時間かからずでした。
2015年04月04日 木下近江守湖一郎
朽木城
近くに西山城というのがあるそうで、行こうとしましたが、熊が出るとのことで鈴もラジオもないので諦めました!
2014年06月15日 まったり丹波守屋
朽木城
資料館は撮影OKでした。
資料館の方から色々お話しを伺えました♪
2014年02月27日 VINO-S
朽木城
高島教育委員会の発行の高島の城と城下の冊子を入手てからの訪城を
2013年09月22日 青コアラ美濃守
朽木城
城(陣屋)跡に建つ資料館は入館無料ですが、高島市内の他の城跡に関する展示もあるので、入って損はないと思います。清水山城等のパンフレットも置いてありました。
下の県道に出た所に説明板があり、僅かに堀の名残があります。
近年行われた発掘調査の結果、室町時代の朽木城も、この位置に重複していることがわかってきている。
陣屋の規模は、おおよそ方二町で、内部には御殿や馬場があったが、明治維新に建物は全て壊され、現在では堀、土塁、石垣の一部が見えるだけとなっている。
しかし、地下遺構は良好に残っており、今後の調査により往時の姿を蘇らせることができそうである。
朽木氏について
朽木氏は、佐々木氏の流れで、京極氏、六角氏とは同族の高島郡に割拠した高島七頭の一家として朽木谷を支配していた。朽木氏は、京都と日本海を結ぶ若狭街道一帯を抑え、かつ、豊かな山林資源を活用することにより、力を蓄えた。
室町幕府の中でも、京都に近い立地、軍事力などの理由から重用され、幕府の奉公衆として、親衛隊的な役割も担っていた。
また、代々の足利将軍が戦乱から逃れるため、度々朽木氏の元に身を寄せていた。織田信長が、朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りに遭い、若狭から京へ逃げ帰る際にとったルートが朽木谷で、朽木氏がその先導をしたことは有名である。
その後、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代には9000石を安堵された。
現在、朽木家に伝わった記録類「朽木家文書」は、中世史の基本資料として、重要文化財に指定されている。