熊川城(くまかわじょう)
熊川城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福井県三方上中郡若狭町熊川
旧国名
- 若狭国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 沼田統兼
築城年
- 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者
- -
主な城主
- 沼田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、竪堀、櫓台
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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熊川城の解説文
熊川城の口コミ情報
2022年05月08日 国府左京亮城介
沼田氏出城[熊川城 周辺城郭]
熊川城の北側に位置する出城
【歴史】
築城者・築城年代共に不明ではあるが、熊川を領していた沼田氏が築城したと考えられる。
【遺構】
熊川城から北西500mに位置する山頂(標高212m/比高142m)に築かれている。主郭を中心に帯曲輪があり、北西に虎口らしき箇所がある。また、南側の尾根には堀切が三条あるが、真ん中の堀切には中央に穴がある土橋になっている。一番南の堀切は東側の竪堀のみ生きており、西側は埋められている。戦時中は対空監視所があったらしく、主郭にある不自然な地形はその影響と思われる。
【感想】
熊川城と比べるとかなり単純な縄張りとなっていることから、熊川城を築城するまでは沼田氏の詰城だった可能性もあります。熊川城築城後は、街道の北側を監視する目的が主任務であるように思います。
地元の方によると、熊川城から沼田氏出城へのトレイルコースを計画しているようですが、結構難航しているようで、今の所実現の目途は立っていないとのことです。一応ルートとしては、鯖街道のある北側から登城するルートがあるのではないかと考えているようですが、かなり険しく見つけられず断念したとのことです。
個人的には、南尾根に堀切が三条とかなり厳重に警戒していることから、北側から城内に入るルートはないように感じます。若しくは北側から南尾根に出るルートがあるのかもしれませんが…
【アクセス】
熊川宿西口駐車場から鯖街道を西に徒歩8分ほどにある林道から登城する。林道の入口から徒歩で15~20分ほど登ると城内に入ることができる。ただし、倒木があったり、道路の半分ほど崩落している箇所があるので、注意して登城してください。なお、林道に入って直ぐの所に南京錠で固定されたゲートがあるため、車は通行できない。
【写真】
1:堀切1(竪堀)
2:堀切2
3:堀切3
4:主郭
5:東側の帯曲輪
6:北側の帯曲輪
7:北西の虎口
2021年06月22日 三河守フロクニ
熊川城
宿場館の右細道の奥に車を停めて宿場館で地図と城印を手に入れて80m程歩くと鳥居が有る。ここからまっすぐ進んで突き当たりを左に。石段の先に白石神社があります。神社の左方向に進むと城案内が。登城ルートはきちんと整備されてて登り易いです。途中と主郭付近には張り出したステージも有り、景色も良いです。地元愛を感じます。
2020年10月19日 つぼすけ
熊川城
熊川宿側の白石神社境内から入れます。
登りの所要時間は10〜15分。ただし、道は階段のように整備されていないところが大半で狭いです。登山側と下山側がすれ違うことはできません。足元も滑りやすいので管理者が用意してくれている杖を借りることをお勧めします。
2018年09月17日 木下近江守湖一郎
熊川城
登り口は白石神社の境内にあります。隣に松木神社がありますので、間違えないように、注意してください。
遺構ですが、最初に遭遇するのは竪堀です。きれいに形が残っています。その後、すべる足元、倒木、ヒル、ムカデに注意しながら登ると山城らしい段曲輪に出会います。主郭には土塁(らしき高まり)があり、西端の堀切は、3重になり、尾根からの動線を遮断しています。
里山の城とはいえ、しっかりした靴での登城がおすすめです。
お城の後は、麓の宿場町で葛餅や焼き鯖、鯖寿司に舌鼓を打ってはいかがでしょうか。蒸し暑い日でしたので、葛餅の清涼さが体に染みました。
2014年02月28日 若丸織部佑
熊川城
駐車場は白石神社の登り口横に4,5台分、あとは熊川宿各所に観光客用に駐車場があります。
2014年02月28日 若丸織部佑
熊川城
白石神社から登れます。途中道がくずれてるとこがありますので行く方は、しっかりした靴を履いて行ったほうがいいと思います(´・ω・`)腰郭へ行く道が寸断されてました。主郭へはなんとか登れますが足元気を付けてください。
歴史
築城年代は定かではないが、沼田弥七郎統兼または沼田勘解由左衛門清延が永禄年間(1558~1570)頃に築いたとされる。沼田氏は、観応2年(1351)に足利尊氏から瓜生庄の下司職を賜り、代々足利将軍家の直属士官として奉公したとされる。永禄12年(1569)、熊川城は武田氏の被官である松宮玄蕃に攻められ落城。沼田一族は近江へ逃れた。沼田統兼は城に籠もって戦ったとされるが、明らかではない。
永禄12年以降は、松宮氏が熊川城を使用していたらしい。『信長公記』によれば、元亀元年(1570)に信長が越前朝倉攻めに向かう際には、若狭入りの第一夜を過ごしている。
天正12年(1584)に丹羽長秀が若狭に入ると、廃城になったとみられる。
天正17年(1589)に浅野長政が小浜城主となると、若狭街道の宿場として熊川宿が整備された。
遺構
近江と若狭の国境にあり、両国を結ぶ若狭街道を見下ろすようにのびた丘陵上に築かれている。東側は河内川、西側は急斜面に守られた立地だ。最高所に主郭を置き、尾根の先端に向かって7~8段の曲輪が直線的に配置されている。若狭街道に面する山腹には、張出郭と呼ばれる出丸のような空間がある。西側には、侵略に備えて出城が築かれていたらしい。
主郭は3段構造で、南東方向にのびる尾根上にも曲輪が4段ほど続く。先端には両端が竪堀となる堀切が設けられている。主郭背後に設けられた、尾根を分断する3本の堀切がよく残る。
交通
・舞鶴若狭自動車道若狭上中ICから車で約15分参考文献
・『日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井』新人物往来社、1980年。