大倉見城(おぐらみじょう)
大倉見城の基本情報
通称・別名
- 井崎城
所在地
- 福井県三方上中郡若狭町井崎
旧国名
- 若狭国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 熊谷直之
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 熊谷氏(武田氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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大倉見城の口コミ情報
2025年05月02日 ʀᴇᴅ副将軍
井崎砦[大倉見城 周辺城郭]
大倉見城の出城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不詳。
大倉見城の南尾根先端頂部に築かれており、大倉見城の出城と考えられています。
見所
大倉見城のある標高270mの大倉見山から南東へ派生した枝尾根先端に築かれています。
尾根先端は水道施設が建っており一部は削られている様ですが、その一段上は丁寧に削平された郭が広がります。その北側背後は大堀切で遮断され、その北側は最高所であるが削平は甘いです。
さらに北側に登ると両サイドが竪堀として落ちる土橋地形が認められます。
2025年05月01日 ʀᴇᴅ副将軍
大倉見城
若狭武田氏重臣である熊谷氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。室町時代末期に熊谷直之により築かれたと云われます。
熊谷氏は武蔵国熊谷郷が発祥とされ、若狭熊谷氏は1440年に若狭武田氏の祖となる武田信栄が若狭に守護として入部したのと同時期に、安芸国三入庄から熊谷信直が若狭に下向したのが始まりとされます。
1568年には越前の朝倉氏に攻め寄せられるも退けたとされます。
しかし若狭武田氏が衰退し、1570年に織田信長の侵攻を受けると熊谷直之は織田信長に従います。
その後、織田信長の没すると豊臣秀吉に従い、豊臣秀次に重用されましたが、1595年に豊臣秀次が謀反の疑いをかけられると連座して自刃しました。
見所
標高270mの大倉見山山頂に築かれており、三方地方を一望できるロケーションです。
主郭を山頂に置き、北東、西、南東の三方に伸びた尾根に階段状に郭を展開。
なかでも北東尾根は二郭、三郭が連なり主軸となっています。北東尾根の端部は堀切で遮断され、二条の竪堀が北側に落ちています。
西尾根には主郭下に腰郭があり、その先に尾根を遮断する城内で最大規模の堀切があります。腰郭の北下にも二条の竪堀があります。
南東尾根にも主郭下に二段の腰郭があり、南東尾根の端部も堀切で遮断されています。
行き方は、JR十村駅の北側で南側麓に登城口があります。
登城路は整備されており、比高は約250mですが距離がある分、なだらかで約30分で辿り着きました。
登城口近くに車が3台ほど駐車できる路側帯があります。
2024年04月02日 ʀᴇᴅ副将軍
能登野城[大倉見城 周辺城郭]
明瞭な土塁と空堀群が残存する城史不明の小規模城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代、築城主等の城史は詳細不詳。
能登野は南北朝時代から記録に残る地名であり、三方郡倉見荘に属する地名です
1336年には南朝方の左門少将と北朝方の斯波時家が能登野で戦ったと伝わり、1371年には若狭守護職の一色氏と鳥羽・宮河・倉見の国人衆が能登野で合戦したと伝わります。
倉見荘は一色氏や細川氏、武田氏の守護の影響下が強かった地域であり、奥州探題として陸奥国を本拠地にしていた大崎満持や等持院の荘園ともなっていたのでいずれかの勢力が築いた城郭かもしれませんが、多用する横堀は朝倉氏の縄張りの特徴にも似ています。
見所
八幡川北岸の丘陵上に築かれており、最高所の主郭部は東西に隣接する上下二段の郭で構成されています。主郭部は土塁囲みで石積みを多用し補強されており、高低差約4mの鋭い切岸で硬められています。
最大の見所が西側中腹に三角形の郭があり、西側に明瞭な土塁と横堀が伸びています。
また北側斜面にも二条の竪堀が伸びており、北側の尾根筋を断ち切る堀切も見応えがあります。
行き方は、城域西側に道路が通り八幡川を渡る橋が目印です。城域南側に向かって八幡川沿いに道路が続きますが車止めがあるため橋周辺の邪魔にならないところに駐車しました。
獣害柵を開けて直ぐに北側丘上が城域ですが傾斜がキツいので東側の尾根に取り付くのが無難です。比高は約40mです。
2015年06月17日 北川幸人
大倉見城
JR十村駅の真北約500mの所に、フェンスのゲートがあり、古そうな案内イラスト看板があります。それには、井崎 東黒田 佐古の集落から登城道が描かれています。
佐古集落の常徳寺の駐車場に駐車。
集落の外れに登城口があったらしいが、現在は砂防ダムになっています。その横を越えて、落石 倒木 土砂崩れでわかりにくい道を進み、約50分で山頂主郭部に到着。
2010年06月11日 徳川内大臣源朝臣康武
大倉見城
若狭国守護武田氏の重臣、熊谷氏の居城。最後の城主熊谷大膳は、後に関白豊臣秀次に仕え、秀次切腹に連座して自害しました。
隣の美浜町佐柿にある国吉城は、城主粟屋勝久が越前朝倉氏の侵攻を長年に渡って防ぎ、織田信長を迎え入れた城として知られ、資料館があります。