小浜藩台場(おばまはんだいば)
小浜藩台場の基本情報
通称・別名
- 小浜藩台場跡[松ヶ瀬台場・鋸崎台場]
所在地
- 福井県大飯郡おおい町大島(地図は松ヶ瀬台場を示す)
旧国名
- 若狭国
分類・構造
- 台場遺跡群
天守構造
- なし
築城主
- 酒井氏
築城年
- 安政元年(1854)
主な改修者
- -
主な城主
- 酒井氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- 国史跡(小浜藩台場跡)
再建造物
- 大砲、石碑、説明板
周辺の城
-
小浜城(福井県小浜市)[7.9km]
後瀬山城(福井県小浜市)[8.3km]
谷小屋城(福井県小浜市)[9.3km]
高浜城(福井県大飯郡)[11.1km]
砕導山城(福井県大飯郡)[11.9km]
新保山城(福井県小浜市)[14.9km]
大倉見城(福井県三方上中郡)[20.4km]
熊川城(福井県三方上中郡)[23.4km]
泉源寺城(京都府舞鶴市)[23.9km]
行永城(京都府舞鶴市)[25.7km]
小浜藩台場の解説文
小浜藩台場の口コミ情報
2024年04月21日 池田紀伊守信輝
赤礁崎オートキャンプ場入口ゲート[小浜藩台場 その他]
赤礁崎オートキャンプ場ゲートは22:00〜7:00封鎖
2023年10月18日 RED副将軍
小浜藩台場
登録地である松ヶ瀬台場の投稿です。
若狭湾沿岸警備のために築かれた台場跡
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1854年に江戸幕府の命を受けた小浜藩主である酒井忠義により築造。
外国船の来航が相次いでおり、前年にはペリー艦隊が浦賀に来航し緊迫状態が高まっていました。
異国船の脅威により若狭湾沿岸を防御するために築いた台場跡です。
見所
若狭湾沿岸で築造され約30ヶ所の台場のうち、最も保存状態の良い遺構のひとつ。
現在はキャンプ場の敷地の中に松ヶ瀬台場跡史跡公園として整備されています。
1号台場は、土塁6基が直線に並び、土塁と土塁の狭間が砲眼となっています。
2号台場は、半円形の土塁で構築され、中央に半円形砲座1基、両側に方形砲座2基を配置されています。
2023年10月09日 織田上総介晃司
小浜藩台場
小浜藩台場は赤礁崎オートキャンプ場内にありますが、キャンプ場の駐車場は利用者のみで見学者は利用不可。
キャンプ場の先の台場見学者の駐車場を利用。(台場まで徒歩5分程度)
台場には大砲のレプリカが置いてあり雰囲気を出してます。なお、台場土塁はモルタルが塗ってあります。
台場に向かう道中、間違って大飯原発の方へ行かないように。面倒くさい事になります。
2023年08月16日 鳥栖大蔵卿
小浜藩台場
オートキャンプ場にあり、台場跡かと思いきや大砲のレプリカが置いてあり、雰囲気が出てるところでした。
2022年10月10日 さっきー
小浜藩台場
駐車場は、見学者用が有ります。駐車場から遊歩道を歩いて行くと5〜10分位で到着。
2015年03月28日 まるき〜陸中守
小浜藩台場
小浜藩台場は赤礁崎オートキャンプ場内の一角にあります。
砲台見に来ましたとキャンプ場の受付に声をかけて見学出来ます。ここに来るまでに大飯原発の門の前を通るので警備の人達の物々しい形相でこっちを見られます(-_^)ここを通ると色々と考えてしまい何かヤバい所に来てしまった感が出てきます帰りも視線は怖いです…。(笑
小浜藩台場の周辺スポット情報
小浜藩鋸崎台場(周辺城郭)
駐車場(駐車場)
赤礁崎オートキャンプ場入口ゲート(その他)
翌年、幕府はアメリカと日米和親条約結び、アメリカ船に食料などを供給することを認め、アメリカ以外にもイギリス、オランダ、ロシアとも同じような条約を結びました。
それより以前の18世紀後半(約150年前)頃から、日本近海に異国船がしばしば現れており、江戸幕府の命を受けた小浜藩が若狭湾沿岸を防御するため、小浜湾の入口にある当地に築いたのが松ヶ瀬・鋸崎台場跡です。
若狭湾沿岸で計画・築造された台場は約30箇所あります。その中でも松ヶ瀬・鋸崎台場は遺跡の保存状態が良く、当時の海防体制を知るうえで重要であり、全国を代表する貴重な文化財であるとして国の史跡に指定されました。また、遺跡の保存・活用のため平成14年から復元整備の工事を開始し、平成17年に松ヶ瀬台場跡史跡公園として完成しました。
鋸崎台場跡は、鋸崎半島の先端に位置しており、コの字型にならぶ土塁と5基の砲眼(大砲の砲口部)がある1番台場、2基の方形砲座(無番・3番台場)、火薬庫として使用されたと考えられる焼紅弾室があります。
1号台場跡は、海に向かって横に一文字に砲座が並びます。土塁6基と、土塁にはさまれた5ヶ所の砲眼があります。外周には排水などのための溝がめぐっています。
2号台場跡は、半円形の土塁により造られています。土塁の内側中央には回転式の大砲を設置したと考えられる半円形の砲座1基、その両側には固定式の大砲を設置した方形の砲座が2基づつ配置されています。また、土塁の両側には焼紅弾室が配置されています。