志方城(しかたじょう)

志方城の基本情報

通称・別名

観音寺城、船原城、市易城

所在地

兵庫県加古川市志方町志方(観音寺)

旧国名

播磨国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

櫛橋則伊

築城年

明応元年(1492)

主な改修者

主な城主

櫛橋氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

神吉城(兵庫県加古川市)[2.6km]
中道子山城(兵庫県加古川市)[3.4km]
加古川城(兵庫県加古川市)[5.5km]
善防山城(兵庫県加西市)[6.8km]
御着城(兵庫県姫路市)[7.5km]

志方城の解説文

志方城(しかたじょう)は播磨国印南郡(兵庫県加古川市)にあった平城である。現在、本丸跡は宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校になっている。また西の丸跡は旧志方町役場であった。

構造
内堀で本丸を囲み、さらに二の丸、西の丸が囲んでいた。城郭の遺構は観音寺山門脇の高い石垣に前に僅かに残っている内堀跡を残すのみである。

沿革
1492年(明応元年)、櫛橋則伊によりに築かれた。その後4代にわたり存続したが、1578年(天正6年)7月、4代城主の政伊の時、羽柴軍の北畠信雄が、7,500余騎をもって志方城に迫った。これに対する志方の城兵はわずかに1,000余で、しかも櫛橋側の兵は半数以上赤痢のため倒れた。1579年9月1日(天正7年8月10日)、城主櫛橋伊定は降伏した。城主の姉婿にあたる黒田孝高の助言もあり、伊定は許され家臣となった。

志方城落城の後、1587年(天正15年)、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために城の本丸跡に観音寺を建立し現在に至る。

志方城の口コミ情報

まるき〜淡路守様[2016年06月25日]
黒田官兵衛の正室、光(てる)の出生の地、現在は観音寺と言うお寺になっていてボーっとしていると見過ごしてしまいそうな少し奥まった場所にあります

寺のある所は周りと比べると土塁で盛り上げたのか丘を切り取ったのか?少〜しだけ高い位置にあるのがわかります。
この段差が堀?なのか、そこに紫陽花が植えられていて綺麗でした。
駐車スペースが寺の下に5〜6台、境内にも置け…るのかな?

人が居なさそうなのでコッソリかつ大胆に見学したきました

墓地の横の門はすごく古そうで当時からあるのかも…と思えるほど朽ちていて良い感じ
境内の隅に城案内板と
トイレがあり反対側の門に行くと石垣っぽいのがあるが…当時のものかどうかは判断できない、
門の屋根には鯱鉾がありカッコいいです。
そこに(おそらく正規の)城の案内板があるのですが草が茂って看板を覆っていて…

「これじゃあ全く読めないでしょう!」
っと言っておこう(^◇^;)
(写真アップしておきます…)

捨勇伯耆守助右衛門様[2011年11月16日]
観音寺の境内が志方城の本丸で、正門を入ったところに案内看板や標識がありますが、植木の陰で見つけにくいです。

播磨守忠三郎様[2011年09月01日]
黒田官兵衛孝高正室光(てる)姫の生家です。

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