小長井城(こながいじょう)
小長井城の基本情報
通称・別名
- 小長谷(こながや)城、徳谷城、天王山城
所在地
- 静岡県榛原郡川根本町東藤川字小長井
旧国名
- 駿河国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小長井氏
築城年
- 室町時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 小長井氏、小長谷氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、丸馬出、枡形、虎口、井戸
指定文化財
- 町史跡(小長谷城址)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
奥池ケ谷城(静岡県静岡市)[17.5km]
安倍城(静岡県静岡市)[21.0km]
花倉城(静岡県藤枝市)[22.1km]
丸子城(静岡県静岡市)[24.0km]
賤機山城(静岡県静岡市)[24.5km]
高根城(静岡県浜松市)[25.4km]
駿府城(静岡県静岡市)[25.9km]
瀬名館(静岡県静岡市)[27.3km]
犬居城(静岡県浜松市)[27.6km]
横岡城(静岡県島田市)[27.7km]
小長井城の解説文
小長井城の口コミ情報
2024年10月22日 くろちび志摩守
小長井城
静岡市から大井川鉄道千頭方面国道362号線で登城。中勘助文学記念館があるのどかな集落を過ぎると美しい山並みが楽しめる緩やかな山岳道路がしばらく続きます。2車線、1車線道路が交互に現れる頃になると勾配がきつくなり、城間近はすれ違いが難しい狭路になります。途中トイレと自販機がある休憩所があり、熊出没の張り紙が。熊には出逢いませんでしが、道路を歩く2頭のカモシカに出逢いました。帰路は同じ362号線を島田方面に向かいましたがとても快適。島田への473号線は24年10月20日現在途中土砂崩れの為川根温泉付近から大井川右岸通行止に。大井川左岸県道64号線を走ってください。
登城後は島田と反対方向に走って観光客で人気の接岨峡、奥大井湖上駅の景色を楽しんだり、寸又峡で夢の吊り橋を渡るのも良いかも。川根温泉手前にある塩郷の吊り橋は付近の集落の生活路にもなっているようですが、観光客も渡れます。寸又峡の吊り橋より足元が不安定でよく揺れので、それはそれで楽しめます。
2024年06月14日 しげしげ主税頭信繁
小長井城
先人さまの記録を参考にして海洋技術センターにバイクを停めさせて頂きました。武田流の堀切が圧巻です。
2022年01月05日 涼丸
小長井城
まず、車なら東からではなく南の島田市から来た方がいいです。連日の遠征の疲れもあったかもしれんけど、静岡から登ったらうねうね脳みそ揺らされて気持ち悪い…狭いのに材木満載の大型とすれ違うし。それでも小長谷城に来た甲斐はありましたね。隣の施設にお願いして駐車させて頂きました。したらパンフレットも頂き、ちょっと気力回復。ありがとうございました。今は徳谷神社になってます。駐車場から直ぐに本丸(本殿)に行けるんですが、せっかくなので少し戻って参道から入りました。鳥居脇に堀があり、三の丸、二の丸、本丸と続きさらに奥にも堀や馬出があります。遺構はバッチリ残ってます。縄張り自体は広くないですが、パンフの小長谷城関係図をみると砦や陣屋もいくつかありまだまだ攻め所満載です。帰りは温泉入ぁって茶ぁ飲んでごゆっくり〜。
2021年04月09日 副将軍お城エリコ
小長井城
小長井城へは大井川鐵道で金谷駅から千頭駅迄コトコト揺られながら一時間十五分(片道¥1840。往復だと¥3500)千頭駅からタクシーで神社参道入口迄(¥780)行きなり左手に5号堀の立派な空堀が目に入ります。三の丸、二の丸、本丸の各曲輪には土塁が残っています。神社の脇から奥へ進むと1号堀から4号堀の立派な空堀が沢山残っています。丸馬出しと角馬出しも有ります。この時期草が綺麗に刈ってあるので堀の深さが良く解ります。感激でした。
2021年02月25日 eiki
徳山城[小長井城 周辺城郭]
標高1083メートルの無双連山山頂付近に築かれた城、何でこんな山奥に築城されたのかと驚かされらるほど山の中にあります。林道が近くまで繋がっており、車で行くこともできます。私は大井川鉄道の青部駅からひたすら林道を1時間半詰め登城しました。南北朝時代に今川氏に追い詰められた南朝方が立て込もった城との説明がありました。"犬戻り"といわれる断崖上の細い尾根の登城路はこの城跡の目玉で敵の侵入を困難なものとしたことがうかがえます。本丸跡も郭、堀はしっかり確認できますし説明板が丁寧に説明しています。
その奥に行くと反射版が建っておりそこからは大井川、徳山の集落、南アルプス前衛の山が眺められます。
2021年02月23日 山西の無職人千閑斎
徳山城[小長井城 周辺城郭]
徳山城は小長井城の南、標高1083m無双連山の山頂にあります。無双連山の稜線上南北1200mくらい?ほぼ中央の堀切で二つ郭に分けられています。各施設には教育委員会の看板が設置されています。
城主は在地土豪で駿河南党の鴾(とき)彦太郎でした。北朝方の今川範氏に攻められました「駿河伊達軍中状」によると鴾彦太郎以下佐竹兵庫入道、藁科某等悉く没落せしむとあります。
今回は静岡市峰山→高山→徳山城のルートを取りました。林道の落石が多いため高山を巻いた所で車を乗り捨て、徒歩で登城口に向かいました。川根の下泉から林道下泉笹間線経由で行ける様ですが未確認です。
清水砦からの犬戻りは最小巾60cmの痩せ尾根の一騎駆け、しかも平坦で無いを100m以上渡らなければなりません。強風が吹いていたら渡れないと思います。
写真を沢山撮ったけど全て山林にしか見えないんです…😭
2021年02月20日 ペスカトーレ
小長井城
城跡は神社になっています。
本丸、二の丸、三の丸と掘り等、綺麗に残っています。
かなり見易く、10分~20分位でみて回れると思います。
2017年01月23日 左馬頭俵乎満天
小長井城
徳谷(とくたに)神社の境内が遺構です。
隣にB&G海洋センター(町民が利用するプール)が建ってます。
駐車場は海洋センターのPを無料で使用して良く、トイレも一言いえば借用可能。
最寄りのICは新東名島田金谷IC。
ICを左折し北上する行き方よりも、
ICを右折し、県381号に出て大井川橋を渡り、信号三つ目稲荷町の交差点を左折、県64号を利用し北上していく方が、くねくねカーブは少ないです。
とはいえ、つづら折の道はありますので、運転はお気をつけ下さい。
私はICの時点から約1時間10分で到着し、42kmでした。
道中に小長井城、徳谷神社の案内看板はなく、川根温泉→千頭(千頭駅)→B&G海洋センターの順に道路標識を追って進みました。
丸馬出と角馬出の重ね馬出し、枡形虎口、二重空堀や土塁等、コンパクトに見処が詰まっている城址だと思いました。滞在時間は約1時間。
2012年11月12日 きたろう三世
小長井城
川根本町B&G海洋センターの向かいの神社が主郭で、駐車できる。二郭・三郭以外はほぼ遺構が残っている。連続馬出しが印象的。所用時間は40分程度。城址までの道路は、つづら折りの続く山道も含まれるので、冬期の訪問はあまりお勧めできない。
歴史
「小長谷城」は「小長井城」、「徳谷城」または地名にちなみ「天王山城」とも呼ばれ、中世にこの地方を支配していた小長谷(井)氏の居城と伝えられている。残念ながら築城年代その他の史実は明確ではないが。現在残される遺構は室町時代中期(15世紀ごろ)以降のものであろうと推定される。
文献『駿河志料』によると、「――小長谷氏は今川家に属し――」とあり、『藩翰譜』によれば、「――土岐山城守と称し、子孫小長谷に移り、永禄中小長谷長門守と名乗り、武田家に属した。――」とある。
「甲陽軍鑑」にも「駿河の今川館焼跡に小長谷(井)氏が見えた」ということが記されている。
また、別の資料によれば「永禄11年(1568)武田家乱入のとき(今川)氏真、駿府を退きわずかな家臣とともに土岐の山家に逃れた」という記録(※「土岐の山家」:中世には川根町笹間以北本川根町一帯を「とき」と呼んでいたようである。)や、元亀3年(1572)に武田信玄が徳谷天皇(小長谷城の鎮守神社)神主宛に出した朱印状も保存されている。
こうした資料から、土岐山城守の子孫が当地に移り築城。今川氏が駿河守護大名として、一帯を支配していたころ「小長谷」を名乗り今川家に属したものと思われる。
しかし、その後永禄11年(1568)武田信玄の駿河進攻により、武田方に降り、武田氏の指揮下のもとに城の大改造が行われたものと思われる。
そして、天正10年(1582)武田氏滅亡のころと前後して、当時の城主長門守政房によって廃城になったものと推測される。
遺構
小長谷城は大井川に面した河岸段丘上に位置し、標高360m、国道362号線より60mの比高差がある平山城である。南側は深い谷(鳴沢)が落ちこみ、北側も小長井集落に向かって急斜面になっており、こうした自然要害が巧みに活用され、築かれている。3つの曲輪(城郭の広場)が縦に並んだ連郭式で、本曲輪(本丸)、二の曲輪(二の丸)、三の曲輪(三の丸)と東から西に階段状に配置してある。本曲輪は、現在徳谷神社の境内になっている。北側には広い出丸(海洋センター)があり、主郭と出丸の間に道路があるが、かつては堀であったと伝えられている。
主郭の南東隅には、甲州流(武田氏の)築城の特徴である半楕円形(三ヶ月形)の附属曲輪が二重に作られている。曲輪はそれぞれ土塁で囲まれ、曲輪を連絡する虎口(木戸口、出入口)の跡が残っている。
地形的に守りに不利な東側から北側にかけて(山側には)深い堀をつくり、内側には土塁が築かれている。そして、その堀はさらに西側に延びその末端は鳴沢に落ちこむように作られていたが、現在、南の端は埋められている。
なお、現在徳谷神社の参道となっている西の端は、大手といわれる正面の出入口で土塁にその跡が残されその脇に井戸が残されている。