千徳城(せんとくじょう)

千徳城の基本情報

通称・別名

所在地

岩手県宮古市太田2

旧国名

陸中国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

河北閉伊氏

築城年

14世紀後期

主な改修者

一戸千徳氏

主な城主

河北閉伊氏、一戸千徳氏

廃城年

天正20年(1592)

遺構

曲輪、横堀(空堀)、天守跡

指定文化財

再建造物

周辺の城

刈屋館(岩手県宮古市)[14.7km]
大梵天館(岩手県宮古市)[25.5km]
大槌城(岩手県上閉伊郡)[30.8km]
狐崎城(岩手県釜石市)[40.2km]
普代城(岩手県下閉伊郡)[41.4km]

千徳城の解説文

千徳城(せんとくじょう)は、岩手県宮古市千徳町に存在した中世の城。一戸千徳氏の居城として知られる。

概要
閉伊川及び近内川に挟まれた要害の地にあり、標高78mの小山の上に築かれた平山城である。東西320m、南北に420mの規模を持ち、主郭、二の郭、三の郭、四の郭、五の郭からなる曲輪群を形成しており、それぞれの郭は空堀で区切られている。雄大な規模と精緻な縄張りを持つ、中世の城としては第一級のものと評されている。

歴史・沿革
遺領争いをきっかけに分裂した閉伊氏の内、閉伊川より北の地を領有した河北閉伊氏によって14世紀後半に築城されたとする説が一般的である。河北閉伊氏は天文年間に南部氏によって滅ぼされ、その後に南部氏の目代として一戸系千徳氏が入り、城を拡張したと考えられている。千徳氏は城主であった千徳政氏の代に浅瀬石城に移ったため、千徳城は一族の一戸孫三郎が守った。その後孫三郎は南部信直に従って文禄の役に従軍したが、その後消息不明となる。

天正20年(1592年)、「諸城破却令」により廃城された。諸城破却書上には「千徳 山城破 一戸孫三郎 持分」とある。

千徳城の口コミ情報

中務少輔きたろう三世様[2013年12月31日]
神社の奥の道を行くと畑があり、更に奥に行くと複数の郭や切り岸がある。
閉伊川を挟んだ対岸には、千徳氏と並ぶ有力国人、田鎖氏の田鎖城があり、こちらも良好な遺構が残る。

のぼちゃん陸奥守様[2010年06月14日]
県道40通り沿いの保育園の裏通りに神社がありました。たぶんそこから上がると城跡かと思いますが、駐車場は見当たりませんでした。

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