火渡館(ひわたしだて)

火渡館の基本情報

通称・別名

所在地

岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛字火渡

旧国名

陸中国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

火渡氏

築城年

戦国時代?

主な改修者

主な城主

火渡氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

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火渡館の解説文



火渡館(ひわたりだて)は、岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛字火渡にあった戦国時代の日本の城。

概要 

築城時期は不明。旧陸奥国閉伊郡上附馬牛村に所在した。城跡は猿ヶ石川と荒川の合流点より北東500メートルの丘陵上にある。東西方向に伸びる頂上稜線の平坦面は東西300メートル・南北100メートルで、数段の曲輪に別れ、東側の稜線基部は3本の空堀で画されている。北側・西側・南側の斜面地にも数段の帯曲輪が残っている。

戦国時代には阿曽沼氏の一族・阿曽沼中務のとき当地を得て、火渡館に居住、附馬牛氏とも火渡氏とも称した。

火渡中務の子・火渡広家は、のちに玄浄と称したが、慶長5年(1600年)阿曽沼一族内訌に与しなかったため、鱒沢氏らに攻められ、火渡館での攻防戦で討死した。

参考資料 

  • 【書籍】「角川日本地名大辞典 3 岩手県」
  • 【書籍】「日本城郭大系第2巻 青森・岩手・秋田」
  • 【書籍】「岩手県中世城館跡分布調査報告書」

火渡館の口コミ情報

2019年06月23日 野舘宮内少輔サラマンダー
火渡館



2019年6月23日1120時(15分)。麓と思われる所にあった石碑(?)。字が読めません…。車でぐるぐる登れる場所を探したのですが、それらしい所は無く、農作業中の方に聞いた所、「ひわたし」と言っており、上には登れないと言っておりました。明日、市役所へ電話した所、民家から上には登って行けるようです。案内板等は今現在検討中だとの事。吉報を待ちましょう!!

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