火渡館(ひわたしだて)
火渡館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛字火渡
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 火渡氏
築城年
- 戦国時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 火渡氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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鍋倉城(岩手県遠野市)[9.0km]
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刈屋館(岩手県宮古市)[32.5km]
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火渡館の解説文
[引用元:Wikipedia「火渡館」の項目]
火渡館(ひわたりだて)は、岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛字火渡に所在した戦国時代の日本の城。
概要
築城時期は不明。旧陸奥国閉伊郡上附馬牛村に所在した。城跡は猿ヶ石川と荒川の合流点より北東500メートルの丘陵上にある。東西方向に伸びる頂上稜線の平坦面は東西300メートル・南北100メートルで、数段の曲輪に別れ、東側の稜線基部は3本の空堀で画されている。北側・西側・南側の斜面地にも数段の帯曲輪が残っている。
戦国時代には阿曽沼氏の一族・阿曽沼中務のとき当地を得て、火渡館に居住、附馬牛氏とも火渡氏とも称した。
火渡中務の子・火渡広家は、のちに玄浄と称したが、慶長5年(1600年)阿曽沼一族内訌に与しなかったため、鱒沢氏らに攻められ、火渡館での攻防戦で討死した。
参考資料
- 【書籍】「角川日本地名大辞典 3 岩手県」
- 【書籍】「日本城郭大系第2巻 青森・岩手・秋田」
- 【書籍】「岩手県中世城館跡分布調査報告書」
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火渡館の口コミ情報
2019年06月23日 野舘宮内少輔サラマンダー
火渡館
2019年6月23日1120時(15分)。麓と思われる所にあった石碑(?)。字が読めません…。車でぐるぐる登れる場所を探したのですが、それらしい所は無く、農作業中の方に聞いた所、「ひわたし」と言っており、上には登れないと言っておりました。明日、市役所へ電話した所、民家から上には登って行けるようです。案内板等は今現在検討中だとの事。吉報を待ちましょう!!