鍋倉城(なべくらじょう)

鍋倉城の基本情報

通称・別名

横田城、新横田城、遠野城

所在地

岩手県遠野市遠野町(鍋倉公園)

旧国名

陸中国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

阿曽沼広郷

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

主な城主

阿曽沼氏、遠野南部氏

廃城年

明治2年(1869)

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(鍋倉城跡)

再建造物

碑、説明板、城郭風建築物(なべくら展望台)

周辺の城

火渡館(岩手県遠野市)[9.0km]
人首城(岩手県奥州市)[21.0km]
世田米城(岩手県気仙郡)[21.8km]
野手崎城(岩手県奥州市)[23.5km]
大梵天館(岩手県宮古市)[24.3km]
大迫城(岩手県花巻市)[24.8km]
毒沢城(岩手県花巻市)[25.4km]
狐崎城(岩手県釜石市)[31.6km]
黒岩城(岩手県北上市)[32.0km]
大槌城(岩手県上閉伊郡)[32.0km]

鍋倉城の解説文



鍋倉城(なべくらじょう)は、岩手県遠野市にあった日本の城。別称遠野城。城跡は国の史跡に指定され[1][2]、遠野市認定「遠野遺産」に認定されている。

概要 

鍋倉山に本丸[3]を築き、猿ヶ石川と早瀬川を外堀、来内川を内堀とした。寛永4年(1627年)八戸直義が横田城を改修して鍋倉城と改め、最高所を本丸としその南に二の丸、東に三の丸が配された。

構造 

標高約340m、物見山のふもとの独立丘陵である鍋倉山に築かれている。

中央に本丸(120m×24m)、空堀を挟んで南方に二の丸(88m×45m)、本丸の北東に三の丸(135m×29m)がある。 当初萱葺きだった本丸は、1648〜1651年(慶安年間)の火災以降柾葺きに改められた。 本丸の西辺に土塁、本丸と二の丸には礎石が見られる。 堀跡は本丸と二の丸の間のほか、本丸西方や二の丸西方(行燈堀)なども認められる。

歴史・沿革 

鎌倉時代初期より阿曽沼氏の本拠であった横田城は洪水の被害に遭いやすかったため、天正年間(1573年-1593年)のはじめの頃、阿曽沼広郷が横田村(松崎町)の横田城から鍋倉山に新城を築いて移り、旧居城の名前を継承して横田城と称した。一日市町と多賀里にあった六日町を移転させて城下の町屋の中心にしたといわれる。

天正18年(1590年)、小田原不参によって阿曽沼氏は領主権を没収され南部氏配下となり、天正20年(1592年)、「諸城破却令」には「横田 破 信直抱 代官 九戸 左馬助」とあったが、慶長5年(1600年)の阿曽沼一族内訌によって、遠野は南部氏の領するところとなり、破却はまぬがれた。

阿曽沼氏の旧領の内、横田城代として内陸部を上野・平清水両氏を知行させ、海岸地帯を大槌氏、田瀬を江刺氏に分知させた。城代の平清水氏は元和元年(1615年)刑死し、ついで、上野氏が同7年(1621年)に病死すると、遠野奉行の毛馬内三左衛門を横田城代として赴任させたが、治安の乱れが続いたため、南部利直は、寛永4年(1627年)、治安維持と仙台領との境目警護を理由に、八戸直義を八戸根城から横田城へ陸奥国代として領内の独自の裁量権を認められて入部させて、横田城を修復して鍋倉城と改め、当城を領内統治の拠点とした。

城下町は横田村地内に形成され、通称「遠野城下」と呼ばれたが、一国一城令以降は城ではなく館の呼称が正式であり、1804年(文化元年)の『郷村古実見聞記』では「要害屋敷 閉伊郡横田村 遠野」とされていた。

明治2年(1872年)に廃城となった。現在は、鍋倉公園として整備されている[4]

参考資料 

  • 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」

  • 【書籍】「角川日本地名大辞典 3 岩手県」

  • 遠野市 2010『遠野遺産公式ガイドブック(https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,13258,c,html/13258/20130809-131507.pdf)』p.11

鍋倉城の口コミ情報

2024年11月19日 樋ノ口映劇
鍋倉城



城郭に沿って素晴らしい防塁を見ることができました。

2024年11月18日 樋ノ口映劇
鍋倉城



しっかりした防塁が現存していて感激しました。

2024年10月14日 やんちゃ幸村
鍋倉城



傾斜がキツくて大変でしたが、市内が一望できました。紅葉🍁は、未だのようです♪

2024年09月14日 後志守あったらもんだ
鍋倉城



遠野駅から徒歩15分、神社の石段を登って城跡へ辿り着く。良く整備された展望台から遠野の眺めが素晴らしい。

2024年04月22日 ʀᴇᴅ副将軍
鍋倉城



南部氏による遠野統治の拠点🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。天正年間(1573年〜1592年)に阿曽沼広郷により築かれたとされます。
阿曽沼氏は遠野保を領し横田城を居城としていましたが、猿ヶ石川の氾濫による洪水の被害から逃れるため新たに城を築いて移りました。この新城が後の鍋倉城で当初は旧城名を引き継ぎ横田城と称されました。
1590年、豊臣秀吉により小田原征伐の不参のため阿曽沼氏は領主権を没収され、南部氏の所領となります。
1627年、治安の乱れが続いたため、南部利直は八戸直義を入城させます。この時期に鍋倉城に改め、改修を実施。領内統治の拠点とし「遠野城下」を形成しました。
南部直義は南部家の重臣として盛岡城に詰めることが多かった様で、先代で養母である清心尼が遠野の政治を行ったとされます。
以降、八戸南部氏(遠野南部氏)が代々続き明治に至りました。

見所
標高343mの鍋倉山に築かれています。
ピークに本丸、南に二ノ丸、東下に三ノ丸を配し、二ノ丸から三ノ丸の間の通路は馬場などがあったとされます。
本丸は東に大手門跡、西に搦手門跡があり、本丸と二ノ丸の間は現在は散策路となっているも深さ8m、幅10mの堀切で隔てられています。
二ノ丸は遠野南部家の墓所となっていますが、南側は切岸と帯曲輪状の平坦地が連なり、櫓もあったとされます。
三の丸には櫓を模した展望台となっています。

現在は鍋倉公園として整備されており駐車場も完備しています。
公園とはいえ、このあたりは熊本でないのにクマモンに普通に会えたりしちゃいます💦
ご注意下さいませ。

2024年02月05日 気分爽快根室守
鍋倉城



武者溜の駐車場は冬季閉鎖とのことで、御城印購入し図書館に止めさせていただきました。城に行くと言ったらパンフレットいただきました。
城域はわりと広く1時間ほどウロウロしてきました。
①三の丸。展望台の櫓は冬季閉鎖でした。
②本丸で城主?のカモシカに睨まれました。
③本丸の土塁
④二の丸南の竪堀
⑤搦手門より本丸を見上げる
⑥パンフレットによると水溜堀とのこと
⑦澤里屋敷から工藤屋敷ごしに本丸を望む
⑧中央の割れ目は本丸と三の丸の堀切

2023年11月30日 幸畑相模守辰之助
鍋倉城



同僚達と行き、遠野駅から往復30分、駆け足で登城。月曜日なので、御城印がある博物館が休み。南部神社御朱印は、書き置きの留置。お金を賽銭箱へ。各曲輪から、遠野駅前まで城下一望でき、よく整備されてます。途中、3頭のカモシカの家族と遭遇。息子?が下城の道で通せんぼ。集合時間が迫り焦りました。

2023年11月14日 源山城守@ポンコ2…
鍋倉城



近くの市民センターに駐車して門跡や土塁などの遺構見ながら歩いて上るか、南部神社前から城周囲を車でグルっと回る形で三ノ丸と本丸の間の武者溜の駐車場へ行くか悩みましたが、急な冷え込みで気温5℃・道中で見かけた熊出没注意の看板の2点から、後者の三ノ丸前まで車で行きました。

道中、旧搦手門跡や土塁、馬場跡などを見ながら、対向車とすれ違いできない車幅がほぼ駐車場まで続き、対向車来たらどないしよとドキドキしながら運転しましたが、幸い出遭うこともなく着けました。
駐車場に着いて、真っ先に熊出没注意の黄色の看板が目に入るも、10台くらい駐車可でトイレ完備でした。土曜の昼過ぎでしたが、誰もおらず貸切でした。

まず、武者溜から三ノ丸へ。三ノ丸は低木など植えられ公園になってますが広さを感じられ土塁なども残り、東端の展望台付近から見下ろすと、帯曲輪があったのがわかりました。
武者溜に戻り本丸方向を見上げると、樹木が伐採され草も刈られて急峻な崖がよくわかりました。
設けられた階段を上り大手門跡を通って進むと本丸へ。本丸周囲は土塁が比較的残っていて南側には櫓台っぽい土壇もあり、広さも三ノ丸以上でした。土塁の切れ間など虎口は、南側・東側・西側の3か所にあったようです。
本丸北側から南部神社のほうを見下ろすと、下の帯曲輪や武者溜、三ノ丸の三方から守れるようになっており、通路以外からは登れないことから、ここを防御を意識しているようにも感じられました。

ふど、本丸の落葉した木の1本を見ると、折れた枝が樹上に大きめの巣みたいに積み重なったクマ棚のようなものがあり、いつものものかわからないものの、急に恐怖感じ登城はここまでにしました。今もなかなかな防御力に負けました。
二ノ丸などもう少し縄張りや遺構を確認したかったですが、いつの日かのお楽しみにとっておきます。

2022年06月27日 沼田乃豆腐屋
砂場門址[鍋倉城  遺構・復元物]



砂場門址(すなばもんあと)
ここは上級武士屋敷地、内丸(うちまる)の出入監視のための「砂場門」があったところである。特に、「坂ノ下門(さかのしたもん)」「砂場門」には格式を重要視して足軽詰所(あしがるつめしょ)をおき、門の脇に「三剣立(さんけんりつ)」をたてた。「三剣立」とは番所の三道具といわれる主に捕り物などに使用される武器で「棯止(ねじ)」、「狭股(さすまた)」、「突棒(つくぼう)」のことで、これより通行人に格式と権威を示した。

2022年05月15日 うっきー
鍋倉城



遠野駅から歩いて15分。南部神社経由で三の丸、本丸、二の丸とまわりました。

2021年06月21日 春の山風右兵衛督
鍋倉城

遠野市街地にありアクセスもよく無料駐車場もあります。お城廻りが楽しめます。

2020年10月06日 たけし
鍋倉城



入口は『南部神社』となっていて、そこから登城します。
神社より上へ上がり、途中には屋敷跡などがあり三の丸に辿り着きます。
そこから直ぐ上がると本丸、更に奥が二の丸という構成です。

三の丸奥にはレプリカの城が展望台となっていて、山や歴史などの説明を自動アナウンスで楽しめます。
三の丸、三の丸展望台から見る町(遠野盆地)は絶景ですよ。

2020年09月07日 忍び胆振守
鍋倉城

本丸へ向かう途中、クマと遭遇し急いで下山しました。これからリア攻すり方も気を付けて!

2020年06月09日 マクスウェル
鍋倉城

車で三の丸まで行けますが、道幅が狭く対向車が来ると、どちらかがバックしてすれ違う必要があります。

車で来て下から登るなら遠野市立博物館を利用して駐車許可をいただくか、博物館近くの川沿いにある遠野市民センターの有料駐車場の利用が良いと思います。民間の時間貸し駐車場を探しましたが見つけられませんでした。

2019年06月23日 野舘宮内少輔サラマンダー
鍋倉城



2019年6月23日0925時(90分)六年半振りに来ました~。以前来た時はこの碑は無かったかと…。図書館や資料館で鍋倉城のパンフレット無いか聞いたのですが、無い、との事…。これだけの山城、パンフレット無いのは勿体無いなぁと、今回も思いました。市役所に連絡した所、現在進行形だそうです。市役所さんから、後日お電話頂ける事になりました、

2016年10月24日 
鍋倉城

JR遠野駅を降りると、駅からも全景が見えます。
南方に7~8分進むと、標高340mくらいの山城の麓に着きます。
跡地には、南部神社があります。
南部神社までの階段も、結構登りがいがありました。
遠野といえばカッパが連想されますが、
カッパの銅像もありました。
神社のお参りを済ませ、さらに登ると三の丸があり、ちょうど紅葉が綺麗でした。
さらに登ると本丸跡があります。
トイレも、駐車場もあり、私は電車でしたが、
電車の待ち時間、一時間くらいの散策でも、充分楽しむことができました。

2012年09月27日 野舘宮内少輔サラマンダー
鍋倉城

2012年9月9日8時20分(120分)

遠野駅南口を真っ直ぐ200m程進んだ、市立図書館近くの南部神社がある所が鍋倉城です
駐車場とトイレ、案内板が三の丸にあり
今回私は駅南口正面、南部神社へ向かう道から登城しました
南部神社参道の階段中腹の右側に涌き水が
河童も居ました
再び参道を登ると南部神社
神社の左手に更なる登城口が…
かなり高い山城です

本丸に行くには途中二手に分かれ、また分岐があり、更に分岐、そして分岐…
最近のカーナビならば細かく表示されますので、一度御覧下さい
そしてやっと辿り着いた本丸(三の丸は後程…)はかなり広い
それと本丸御殿のでしょうか、礎石が残っています
その先に行くと細い獣道みたいなものがあり下って行くと、本丸と二の丸の間に出ます
本丸周りは1週ゆっくり歩くと20分
ぐるっとまわって三の丸迄辿り着き、東側にある『櫓』風建物に到着、内部へ…
入った瞬間案内放送が流れ(5分位)、しばし休憩…
…下山し車に乗り、三の丸駐車場を目指した途中に石垣らしきものを発見
とても素晴らしい山城でした

鍋倉城の周辺スポット情報

 本丸館跡(遺構・復元物)

 本丸館玄関跡(遺構・復元物)

 大手門址(遺構・復元物)

 三の丸址(遺構・復元物)

 砂場門址(遺構・復元物)

 土塁跡(遺構・復元物)

 二の丸御門跡(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 旧搦手門跡(遺構・復元物)

 本丸土塁跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 中沢館(周辺城郭)

 花館(周辺城郭)

 安倍館(周辺城郭)

 横田城(周辺城郭)

 臼館(周辺城郭)

 南部神社(寺社・史跡)

 デンデラ野(寺社・史跡)

 綾織新田遺跡(寺社・史跡)

 鍋倉公園展望台(関連施設)

 カッパ淵(その他)

 伝承園(その他)

 続石(その他)

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