毒沢城(どくさわじょう)

毒沢城の基本情報

通称・別名

毒沢館

所在地

岩手県花巻市東和町毒沢

旧国名

陸中国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

毒沢氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

毒沢氏(只野氏)

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(毒沢城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

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大迫城(岩手県花巻市)[15.2km]

毒沢城の口コミ情報

⛫武蔵の遠江守の謙凸様[2014年03月29日]
登城途中に山寺の水と書かれた看板があり、清水が湧き出ています。飲めるかは不明です。
主郭付近は草が刈られ、明瞭に遺構が確認できます。堀切や土塁はなく切岸が防御の中心となっているようです。切岸の角度も素晴らしい。
登城道も整備され歩きやすいです。

さくら主膳佑にゃ〜様[2014年02月04日]
折角なので城主就任記念書き込み(^-^)ノ♪
築城年代、築城者には諸説あるが、和賀政義三男盛義が貞治元年(正平十七・1362)独沢郷ほか二百余町を領知して住したのが始まりとされる。以降毒沢氏を称し和賀氏重臣として近隣に剛勇を以て知られたが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により主家共々没落する。毒沢伊賀守一忠、嫡子修理介義森は、伊達政宗の後援を受けた和賀忠親に従い旧領回復の一揆を起こすも果たせず、義森は忠親と共に仙台国分尼寺にて自刃、同寺に墓が残る。
なお義森の娘(孫とも?)が政宗の側室となり、一関城主となった伊達兵部少輔宗勝を産んでいる。

足軽越中守一歩様[2011年11月20日]
駐車場は3台分!郭跡が整備され途中、湧き水で一杯!秀吉に追放されるまで200年以上使用!後々、正宗に男子が小姓に娘が側室になり子孫が居るとのこと

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