毒沢城(どくさわじょう)
毒沢城の基本情報
通称・別名
- 毒沢館
所在地
- 岩手県花巻市東和町毒沢
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 毒沢氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 毒沢氏(只野氏)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 市史跡(毒沢城跡)
再建造物
- 説明板
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-
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毒沢城の口コミ情報
2024年02月04日 気分爽快豊後守
土沢城[毒沢城 周辺城郭]
急峻な切岸と大きな横堀が印象に残った城です。
①御本館の先に東館
②枡形の大手門
③中館の先に西館
④桜丸
⑤桜丸から見た城塁
⑥西館の西から北に横堀
⑦中館北の横堀の先に土塁
⑧切岸と横堀と土塁
2023年11月13日 源山城守@ポンコ2…
毒沢城
国道456号を北上中、城址の看板が目に入り、いかにも手強そうと思わせる名前に惹かれ、予定外に登城しました。県道284号との交差点を西に少し進むと3台ほど駐車可能なスペースと案内図付の説明板があり、これを写して散策できます。
「毒沢城へ400m」の看板に沿って、階段を上がっていきます。駐車場から見て、比高70m前後といったところでしょうか。
登城路は、草刈りなど整備されていてありがたかったですが、落葉した雨後ということもあって、覆われた落ち葉の上を歩くとビジネス用革靴のせいもあってか滑りやすかったので、足に少し力を入れて歩くほうがいいです。
緩やかに上っていく登城路の随所に「毒沢城へ●●m」の看板があり、迷うことはないかと。途中、「山寺の水」と銘うった湧き水があり、飲んで確認してないけど籠城時の水源もバッチリなようでした。
主郭下の帯曲輪まで徒歩12~3分ほどでした。
主郭を中心に3~4段くらいの輪郭式になっており、草刈りされてたこともあって、郭と郭の間の切岸は高さはないもののシャープに感じました。主郭最上部には、標柱や説明板があり、虎口などは見つけられなかったです。帯曲輪で敵を食い止める想定なのかなと思いました。城名のわりにはやさしい城跡と思いつつ、駐車場で写した案内図フォトを見ながら主郭下の帯曲輪から北郭へ続く道は、手入れされていないようで藪が繁茂し、こちらは防御力高く断念しました。
郭内は、登城路以上に落ち葉や刈られた草に覆われており、所々で足首まで突っ込むところがあるのでお気をつけて。また戻りの下りは、上り以上に足に力を入れないと滑りやすかったです。
ここは、他の城址で見かける熊注意の看板も出てなかったですが、山間の立地にあるので危険動物ニュースなどで事前にチェックされてからのほうがよいかもしれません(私は調べてなかったですが…)。
2014年03月29日 ⛫武蔵の越前守の謙
毒沢城
登城途中に山寺の水と書かれた看板があり、清水が湧き出ています。飲めるかは不明です。
主郭付近は草が刈られ、明瞭に遺構が確認できます。堀切や土塁はなく切岸が防御の中心となっているようです。切岸の角度も素晴らしい。
登城道も整備され歩きやすいです。
2014年02月04日 さくら主膳佑にゃ〜
毒沢城
築城年代、築城者には諸説あるが、和賀政義三男盛義が貞治元年(正平十七・1362)独沢郷ほか二百余町を領知して住したのが始まりとされる。以降毒沢氏を称し和賀氏重臣として近隣に剛勇を以て知られたが、天正十八年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により主家共々没落する。毒沢伊賀守一忠、嫡子修理介義森は、伊達政宗の後援を受けた和賀忠親に従い旧領回復の一揆を起こすも果たせず、義森は忠親と共に仙台国分尼寺にて自刃、同寺に墓が残る。
なお義森の娘(孫とも?)が政宗の側室となり、一関城主となった伊達兵部少輔宗勝を産んでいる。
2011年11月20日 足軽越中守一歩
毒沢城
駐車場は3台分!郭跡が整備され途中、湧き水で一杯!秀吉に追放されるまで200年以上使用!後々、正宗に男子が小姓に娘が側室になり子孫が居るとのこと