小瀬川館(こせがわだて)
小瀬川館の基本情報
通称・別名
- 小瀬川城、瀬川城、瀬川館、新主館
所在地
- 岩手県花巻市小瀬川第3地割(地図は説明板の場所を示す)
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 稗貫為重
築城年
- 建久3年(1192)?
主な改修者
- -
主な城主
- 稗貫氏、大瀬川氏?
廃城年
- -
遺構
- 土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
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小瀬川館の解説文
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遺構
瀬川と鍋割川の合流地点南側、鍋割川右岸の比高約10mの台地上に位置する。『日本城郭大系』によると、東側に延びた台地の基部を堀切で断ち内郭は南北2郭に分かれていたとされるが、現在台地南東端一帯には30~40戸の住宅が立ち並び、遺構を確認することはできない。
宅地から西に向かって伸びる道路脇には現地説明板が設置され、それによると台地南側に幅3~4mの土塁と空堀を巡らした跡が残るとあり、またこの道路をさらに150m程西進した北側にも約3~4mの土塁状の高まりが見られることから、明確な城域は判然としないものの東西に細く長い縄張りであったことがわかる。
歴史
陸奥国稗貫郡の国人領主である稗貫氏の最初の居城とされる。稗貫氏の先祖が鎌倉時代前期に稗貫郡に下向し、小瀬川館を築いて稗貫氏を名乗ったとされているが、その出自や下向の時期については諸説あり不明な点が多い。
稗貫氏は後に十八ヶ城(さかりがじょう)、ついで鳥谷ヶ谷城(花巻城)へと本拠を移し、安土桃山時代の奥州仕置で豊臣秀吉によって改易されるまで稗貫郡に一定の勢力を持つ国人として存続した。
一方で、現地説明板で引用される『和賀稗貫郷村志』によると、小瀬川館は瀬川氏の祖といわれる大瀬川氏の居城であったという説も存在する。
交通
・JR東日本東北本線花巻駅から車で約15分参考文献
・小瀬川館跡現地説明板。・『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。