寺林城(てらばやしじょう)

寺林城の基本情報

通称・別名

所在地

岩手県花巻市石鳥谷町中寺林

旧国名

陸中国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

河野通重

築城年

不明

主な改修者

主な城主

河野氏、浅野六兵衛

廃城年

天正20年(1592)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

小瀬川館(岩手県花巻市)[6.8km]
樋爪館(岩手県紫波郡)[7.6km]
花巻城(岩手県花巻市)[8.9km]
高水寺城(岩手県紫波郡)[11.1km]
太郎館(岩手県紫波郡)[14.3km]

寺林城の解説文

寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城。

北上川中流左岸の要衝に位置し、東西250m、南北250mの規模。地名の由来である弘安3年(1280年)創建の光林寺が城内の南側にあり、林を背にした寺の意味であるという。(「八幡村誌」)

沿革
築城年代は弘安2年(1279年)。光林寺の縁起によれば、河野伊予守通俊の次男、通重が城主として住したことに始まるといわれる。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置のさいに、浅野六兵衛の陣屋となり、現在、土塁の一部と壕が残っている。

天正20年(1592年)の諸城破却書上には「寺林 平城 破 信直抱 代官 左 平治」とあり、破却された。

参考資料
『岩手県史 第2巻 中世篇 上』 岩手県、1961年3月25日。
『岩手県史 第3巻 中世篇 下』 岩手県、1961年10月20日。
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年。ISBN 4040010302。
児玉 幸阿・坪井 清足 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』 新人物往来社、1980年7月15日。

寺林城の口コミ情報

慶 士郎様[2011年04月23日]
6話
光林寺の北側山林の中には二重の空堀らしき跡が残されています。現在の光林寺がそのまま当時の寺林城の遺構かは解りませんが、今の規模でも中世城郭を思わせる形です。

慶 士郎様[2011年04月23日]
5話
寺林城は北上川右岸平野部を南北に連なる形で、北寺林、中寺林、南寺林の3つに分かれています。現在の光林寺参門前にある水田は堀の跡ではないか?参道が参門を背に水田を渡った辺りで直角に曲がっている事から参門階段下から水田幅が堀跡と推測できます。

慶 士郎様[2011年04月23日]
4話
天正20年(1592)豊富秀吉の命を受けた南部信直は領内48城のうち存続を許されたのが12城で、この時に破却と決まりましたが暫くは代官所として使用したそうです。

慶 士郎様[2011年04月23日]
3話
伊予国河野氏は水軍の将として平家追討に功をたて、平泉の藤原氏討伐にも参戦、鎌倉幕府創設に大きな役割を与えましたが、承久の乱で朝廷方につき敗れ、平泉に流罪、江刺で亡くなりました。

慶 士郎様[2011年04月23日]
2話
寺林城には時宗光林寺があります。城主と言われているのが伊予国(愛媛県)の国主てあった河野氏の次男、河野通重が領主として居住しました。天正18年(1590)の豊富秀吉の奥州仕置きの時には浅野長吉(長政)の目代として浅野六兵衛を寺林城に置きましたが、一揆勢に討死したそうです。

慶 士郎様[2011年04月23日]
1話
参考資料:
「いしどりや歴史散歩」
著者:菊池邦雄

「稗貫氏探訪 稗貫氏八百年顕彰記念誌」
発行者:稗貫氏800年記念事業実行委員会

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