岩崎城(いわさきじょう)

岩崎城の基本情報

通称・別名

和賀盾

所在地

岩手県北上市和賀町岩崎

旧国名

陸中国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

岩崎氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

南部氏

主な城主

岩崎氏、和賀氏、柏山氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

城郭風建造物(岩崎公民館)、説明板

周辺の城

新井田館(岩手県胆沢郡)[10.0km]
黒岩城(岩手県北上市)[10.0km]
鳥海柵(岩手県胆沢郡)[11.7km]
胆沢城(岩手県奥州市)[13.7km]
花巻城(岩手県花巻市)[13.9km]

岩崎城の解説文

岩崎城(いわさきじょう)は岩手県北上市和賀町岩崎に有った城郭。

概要
岩崎城は和賀郡岩崎村にあった平城。 夏油川が和賀川に合流する西岸の舌状台地に立地。台上は南北4郭から成り、台地西側下に城内、台地上の郭外に家臣の屋敷跡がある。

各郭の周縁には高さ約2メートルの土塁が築かれていたが、三の丸以外はほとんど消失している。各郭は空堀で仕切られ、幅20メートル、高さ15メートルに達する所もある。

歴史・沿革
暦応 4年(興国 2年:1341年)、南朝方の北畠顕信に「岩崎楯」が攻められて、鬼柳清義が討死したという(鬼柳文書)。戦国期には和賀一族の岩崎氏の居城となった。 岩崎城は室町時代の前後約400年間に渡って和賀地方を治めていた和賀氏一族の城で、本城である二子(飛勢)城に次ぐ規模を誇っていた。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置によって所領没収、城地追放の処分に反発した葛西大崎一揆に協調した、和賀義忠らが蜂起した和賀・稗貫一揆が発生したが、翌天正19年に再度の奥州仕置によって一揆は鎮圧され、和賀郡は南部氏に宛行され、郡内の5ヶ所の城は後に破却することになっていた。 慶長5年(1600年)、南部氏の最上出陣中に伊達氏の支援を受けて和賀氏旧領の回復を図った和賀忠親の一揆で修復され、その拠点として南部氏と戦ったが、翌慶長6年に、岩崎城は陥落した。

鎮圧後は南部氏によって修理され、藩境警備のために城代として柏山明助が入城している。

岩崎城の口コミ情報

カーネル様[2016年02月06日]
北上線の藤根駅から

岩崎城は和賀川を挟んで、藤根駅駅の反対側にあります。場所は岩崎城運動公園の東で分かりやすく、県道225号線には岩崎城の説明書きもあります。大通りは、広い歩道があって歩きやすいです

運動公園の東の坂を登って、枡形を抜けると広い三の丸とそれを囲う土塁。先に進むと本丸西の大きな堀があります

駅から城域まで50分、見学に20分。次の北上線は3時間半後なので、道中に看板があった慶昌寺に寄り道

大変なおもてなしと、ありがたいお話を伺えました。また、このお寺は岩崎城の和賀氏ともゆかりのあるお寺だということでした。ちょっと遠かったですが、行ってよかったです

3時間ちょいで駅に戻ってきました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

⛫武蔵の甲斐守の謙凸様[2015年09月21日]
本郭、三の郭の枡形の土塁、堀切が良好にのこる。また郭の夏油川沿い以外は土塁で囲んでいる。駐車場は三の郭に置く事ができる。

中務少輔きたろう三世様[2013年08月30日]
本丸、三ノ丸の虎口が良好に残る。本丸周辺の堀は、一部が藪化しているものの、下まで降りる道がつけられている。

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