世田米城(せたまいじょう)

世田米城の基本情報

通称・別名

下館、新城

所在地

岩手県気仙郡住田町世田米(八幡神社)

旧国名

陸前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

阿曾沼氏?

築城年

室町時代前期

主な改修者

主な城主

阿曾沼氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

二日市城(岩手県陸前高田市)[15.9km]
米ヶ崎城(岩手県陸前高田市)[16.5km]
山吹城(岩手県一関市)[20.4km]
末崎城(岩手県大船渡市)[20.6km]
鍋倉城(岩手県遠野市)[21.8km]

世田米城の解説文

世田米城(せたまいじょう)は、 岩手県気仙郡住田町に所在した日本の城。

城跡は南北200m、東西100m、高さ50mの小山が城郭のすべてで、遠野街道の要所を押さえた山城である。

歴史・沿革
室町時代初期に、当時の領主葛西晴信が隣国遠野領からの侵入に備えて阿曽沼氏をこの地に配したのに始まるといわれる。 古くは気仙二十七城の一つで、戦国時代末期、城主は葛西家臣で遠野阿曽沼氏の一族、阿曽沼甲斐守信康であったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏の領地が没収されると、この地は伊達領になり、伊達領最北端の南部氏の侵入を防ぐ重要な位置にあった。 また、このとき、遠野阿曽沼広長も領地を没収され南部氏の被官とされたが、伊達に臣従した世田米阿曽沼氏から正妻を迎えていたこともあり、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いのとき、阿曽沼一族内訌により遠野の横田城を奪われ、広長は阿曽沼信康を頼り世田米城に逃れた。 広長は、伊達政宗の後援を受けて、慶長6年(1601年12月、世田米阿曽沼氏らとともに気仙勢を借り受けて遠野奪還を試みたが失敗し、阿曽沼氏は名実ともに遠野領主としての地位を失った。

参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年3月8日。ISBN 4-04-001030-2。
児玉 幸阿・坪井 清足 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』 新人物往来社、1980年7月15日。

世田米城の口コミ情報

民部丞ガブニャン様[2016年05月25日]
4/1~7/末予定で発掘調査中ですが、本丸跡への登頂は問題なさそうです。

すかんぴん杉丸美濃守様[2013年04月06日]
現在は公園ですが、かつては世田米小学校があったようです。(小学校は移転)
案内板によると、気仙27城の一つで『下舘』『新城』とも呼ばれ、遠野南部氏の気仙侵入を押えた重要な地に位置したようです。

公園の背後の小山の全てが城となっており、本丸跡の山頂には八幡神社が祀られてます。

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