勝山城(かつやまじょう)
勝山城の基本情報
通称・別名
- 袋田城
所在地
- 福井県勝山市元町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 梯郭式平城
天守構造
- 連立式望楼型[5重6階地下1階/1992年築/RC造模擬]
築城主
- 柴田勝政
築城年
- 天正8年(1580)
主な改修者
- 小笠原長貴
主な城主
- 柴田氏、長谷川氏(豊臣氏家臣)、松平氏、小笠原氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬天守(勝山城博物館)、石碑、説明板
周辺の城
-
越前大野城(福井県大野市)[8.4km]
亥山城(福井県大野市)[8.6km]
戌山城(福井県大野市)[8.9km]
小山城(福井県大野市)[10.8km]
伊自良氏館(福井県福井市)[13.6km]
波多野城(福井県吉田郡)[13.9km]
一乗谷城(福井県福井市)[19.7km]
成願寺城(福井県福井市)[19.8km]
藤島城(福井県福井市)[20.9km]
東郷槇山城(福井県福井市)[20.9km]
勝山城の解説文
[引用元:Wikipedia「勝山城」の項目]
勝山城(かつやまじょう)は、福井県勝山市にあった日本の城。戦国時代に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築かれた。江戸時代には勝山藩の藩庁が置かれた。
歴史
勝山城は、戦国時代の天正8年(1580年)に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築城された。 信長公記では勝山城城主は原長頼と思われる。
天正11年(1583年)、越前を丹羽長秀が領すると、その家臣の成田道徳が城主となり4万5千石を知行した。天正13年(1585年)、成田は丹羽家の内紛などにより出奔した。
江戸時代に入ると、慶長6年(1601年)福井に封じられた結城秀康の支配するところとなるが、寛永元年(1624年)松平直基が3万石をもって封じられると、勝山藩の藩庁が置かれた。その後、松平直良が入るが、正保元年(1644年)直良が移封されると廃城となり、勝山の地は天領となった時期もあった。
元禄4年(1691年)に小笠原貞信が2万2千石で勝山の地に封じられ、以後明治維新まで小笠原氏8代がこの地を治めた。宝永5年(1708年)には、城址への築城許可が下り、7代藩主小笠原長貴の代に完成を見た。文政5年(1822年)に、本丸より出火し、門、高塀、土蔵を残して焼失したが、文政9年(1826年)に再建された。明治時代に廃城となった後、城の建物は取り壊された。
遺構
現在の勝山市役所付近が城跡中心部で、市役所と公民館があるあたりが本丸跡であり、市役所前の道路付近に堀が設けられていた。天守台や石垣が昭和40年まで残っていたが、市民会館建設に伴い撤去され、現在は市民会館敷地に城址の碑が建つのみである。南西2.7kmに、姫路城に似た日本一の高さの模擬天守を持つ勝山城博物館が建てられているが、歴史上の勝山城とは位置・形式ともに関係はない。
現存する建物としては、成器堂の講堂、演武場、表門、土蔵がある。成器堂の建物は1879年(明治12年)に取り壊され、払い下げられた。講堂が神明神社社務所、演武場が布市の道場、表門、土蔵が今井家表門・土蔵として移築され現存する。
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勝山城の口コミ情報
2023年10月17日 【G6】OROKA参議
西光寺城[勝山城 周辺城郭]
朝倉氏の支城の1つと考えられますが、詳細は謎の城です。
中部縦貫道の勝山ICから県道31号を南下し「西光寺の大杉」あたりを目指します。山の麓に「西・光・寺・城・跡」という白い看板が見えるので、登り口は分かりやすいです。駐車場は無く、近くの農道に路駐しましたが自己責任でお願いします。
ちなみに、看板の「西」の裏が説明板になっていて縄張り図も書いてあります。畝状竪堀群もビッシリあって期待が膨らみます。
獣避ゲートを開けて、急斜面(古く荒れた階段あり)を20分くらい登ると電塔(出丸、堀切あり)を経由して城です。
…現状として、豪雨の中だったのもありますが、かなりの藪と雑木で畝状竪堀は全く見えませんでした。堀切とかは結構エッジが効いていて見応えあるので、残念です。
冬になったら、というよりは伐採等の整備がされないと厳しいレベルですf(^_^;
堀切は良いし畝状竪堀もちゃんと探せば見えるかもなので、興味のある方はぜひ探索して結果を教えてください~。
2023年10月06日 RED副将軍
勝山城
柴田勝家の一族である柴田勝安の居城🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1580年、柴田勝家の一族である柴田勝安により築城。
1583年に羽柴秀吉により柴田氏が滅亡すると、代わって成田重政、長谷川秀一が入城しました。
関ヶ原合戦後の1601年には福井に封じられた結城秀康、松平氏の支配となり、勝山藩庁が置かれます。
1691年、小笠原氏が美濃より転封し明治維新まで小笠原氏8代の居城となりました。
明治となった1871年に廃城となり破却されました。
見所
現在は勝山市役所や勝山文化会館の敷地となり宅地化により遺構は消失。本丸天守跡に碑が立つのみです。
かつては天守台が残っていましたが市民会館建造に伴い消失しました。
ちなみに、4枚目のググると真っ先に出てくる勝山城博物館は場所も意匠も全く関係無いのでご注意を!
2023年08月17日 ひろ中務大輔ゆう
勝山城
城址は場所が異なりますが、立派な天守閣で驚きました😳天守内は博物館となっており、郷土の歴史等が紹介されてました😌
2023年04月15日 在来線男右京進
勝山城
平成の立派なお城です。鉄筋コンクリート造で、エレベーター付きです。いろいろな鎧や刀が展示されています。階段が幅広くて緩やかなのでたいへん歩き安いです。ちょっとよくわからない中国刺繍が飾ってありました。
2022年10月11日 雲如露絶兎
勝山城
勝山城博物館の方に行く人が多いけど、本当の城跡は勝山市役所ですよ。
2022年09月05日 尼崎城駿河守一口城主
勝山城
9月4日、えちぜん鉄道勝山駅でレンタサイクルを借りて進軍。平泉寺に行く途中に勝山城博物館があったので外観を撮影。平泉寺白山神社で本社や楠木正成公のお墓参りをした後、改めて寄ってみましたが入館時間がとっくに過ぎていました。
2022年06月18日 しぇるふぁ加賀守
平泉寺城[勝山城 周辺城郭]
国史跡指定。続日本100名城ではありませんが、続100名城公式ガイドブックの冒頭にある「山城マニアック」というコラムで、写真付きで紹介された寺城です。
案内板によると、もともとは泰澄が開山した寺院で、白山信仰の中心寺院でした。中世になると、48社36堂6000坊を抱える大寺院となり、加えて多くの荘園を持って強大な勢力を誇りました。鎌倉時代には源義経、弁慶一行も立ち寄ったと伝わります。
戦国時代には、1574年に宗派が異なっていた越前一向一揆衆から焼き討ちに遭い、ほとんどが焼失しました。1583年に顕海が寺を再興し、白山にいたる広い地域を平泉寺社領として支配し、そのまま明治を迎えました。1870年に神仏分離令が発布され、平泉寺は寺号を廃して現在の平泉寺白山神社に転化しました。
現地は中世の石畳道や石垣が広範囲に数多く残っており、お城ファンにとってすごく興奮する場所になるかと思います。特に本社拝殿から東側へ行ったところにある南谷発掘地は門と土塀が復元されており、この場所が続100名城公式ガイドブックに掲載されているので、ぜひ訪問していただきたいです。他にも堀跡が残っていて私もすごく興奮してしまいました!
他には三ノ宮付近に楠木正成公墓塔があったり、平安時代からある納経所跡があります。
行き方は勝山城博物館前の道をさらに突き当たると平泉寺参拝者駐車場が見えてきます。青看板にも載っているので分かりやすいと思います。
ちなみに駐車場は、300円の環境保全協力金が必要なので、事前に100円玉の準備をしておくと困らないかと思います。(付近に両替機が無かったので要注意です。)
2022年06月01日 しぇるふぁ加賀守
壇ヶ城[勝山城 周辺城郭]
城址碑と案内板があります。またすぐそばに堀名銀山の案内板が設置されています。
案内板によると、別名は「壇ノ端山城」、「壇ノ古城」と呼ばれています。嶋田将監を大将とした越前の一向一揆衆が立てこもった城と伝わります。ここを拠点とし、勝山に大きな影響力を持っていた平泉寺の僧兵と争いました。最終的には村岡山城を奪取し、平泉寺城に侵攻して一向一揆衆が打ち破りました。しかし、織田信長の軍勢が一向一揆衆を駆逐し、廃城となりました。
2022年02月24日 平 左近衛大将 泰次郎 將門
勝山城
勝山城趾碑は勝山市民会館左前にあります。勝山城の本丸は勝山市役所です
2020年09月21日 千賀乃介琉球守次は市場城
勝山城
市役所をカーナビに目的地でセットすると本丸跡に一直線です😁
2020年08月30日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
村岡山城[勝山城 周辺城郭]
スポットを置かれた先人さんの口コミを見てたら、城友さんが行かれる様なので、ご一緒させて頂きました
村岡公民館に車を停めさせて頂きました
トイレは現地には有りません
国道158号線沿いコンビニ等で済ませて
少し下道歩き、村岡山神社より右手の登城路へなかなかの急登道ゆっくりゆっくりとおよそ20分程で城域です
遺構は主郭周りの横堀に土橋
登城口より右手虎口形状その奥に郭、更に右手に畝状竪堀の斜面が続いてます、こちら側が大手道なのかなと思います
主郭も広く櫓台有り、そこに三等三角点有ります
登城口左手尾根にも堀切と段曲輪が見られました
大きく平削りされ、山頂遺構は大きく
畝状竪堀から高い切岸その下に横堀を配し、
攻めてを一方向に誘う、上から矢玉に投石で
攻撃そんなに様に感じ取れました
今回は8月末まだまだ下草も有り見にくい部分もありましたが凄らしい遺構
下草の少ない時期に再訪したいと思いました
2020年05月06日 【G6】OROKA参議
村岡山城[勝山城 周辺城郭]
Welcome to this crazy castle
このイカレたお城へようこそ
君は tough boy...
どこに停めたか記憶ない
うずくまって悩んでも10年前だし
tough boy...
時はまさに戦国末
淀んだ越前で 一向宗が築いた
Keep you burning 駆け抜けて
この土塁と 竪堀と 土橋のまっただなか
No joy no climb 進まなきゃ
寺尾側登り口 上り坂を20分
We are living, living in present day...
We still fight, fighting in present day...
※元のアレが分からない方はアニメ「北◯の拳2」を観てください、オープニングだけで大丈夫です。あと、駐車場とか知ってる方は、ぜひ補足していただけると幸いです。
2020年04月26日 織田上総介晃司
勝山城
本来の勝山城は勝山市役所あたりに存在してました。
ですから勝山城博物館(模擬天守)のある場所は城と関係ありません。
日本一高い天守と謳ってますが模擬(なんちゃって)天守の為カウントされず自称と云うことになってます。
2015年06月29日 源山城守@ポンコ2…
勝山城
勝山城博物館は九頭竜川の東岸・平泉寺町平泉寺にあって、五層六階の天守風の博物館だが、1580年に築城された勝山城と場所がやや異なるとのこと。
当時の勝山城は、九頭竜川東岸の河岸段丘に位置し、現在の市民会館、市役所、西法寺、および中央公園あたりが本丸であったとのことで、市民会館前に石碑が建てられているのは、市民会館が本丸天守台の跡に建てられていることによるものと言われているそうです。
2015年05月01日 まー刑部卿
勝山城
模擬天守の中の階段が低すぎてグルグルまわって目が回った。あと自動演奏のピアノの音がうるさい。市民文化会館の旧勝山城石碑のまわりにある石垣は天守台を壊した時に出てきた石垣かな?
2014年08月21日 チェリ治部少輔
勝山城
勝山城のことは、一切、展示物ありませんでした。ガッカリ。城についても、残念なことにただデカイだけです。
2011年02月14日 左馬允もっくん
勝山城
模擬天守は勝山市で名誉市民になった地元の名士の方が建てたんですね。
だだっ広いところにドンッとそびえ立つ大天守閣、あまりの胡散臭さに大爆笑しましたよ。
2010年09月21日 三河守コーキしゃん
勝山城
想像以上に模擬天守がデカいです(笑
勝山城の周辺スポット情報
楠木正成公墓塔(碑・説明板)
勝山城址の碑(碑・説明板)
西光寺城 説明板・登り口(碑・説明板)
村岡山城(周辺城郭)
壇ヶ城(周辺城郭)
三室山城(周辺城郭)
野津又城(周辺城郭)
西光寺城(周辺城郭)
平泉寺城(周辺城郭)
保田城 (西光寺城)(周辺城郭)
下荒井(東)城(周辺城郭)
下荒井(西)城(周辺城郭)
三谷城(周辺城郭)
三室遺跡(寺社・史跡)
平泉寺白山神社(白山平泉寺坊院跡)(寺社・史跡)
平泉寺白山神社 三ノ宮(寺社・史跡)
西蓮院跡推定地(寺社・史跡)
勝山城博物館(関連施設)
白山平泉寺歴史探遊館まほろば(関連施設)
村岡山城登城口(その他)