志波城(しわじょう)

志波城の基本情報

通称・別名

斯波城、志和城、方八丁

所在地

岩手県盛岡市上鹿妻五兵エ新田48-1

旧国名

陸中国

分類・構造

古代城柵

天守構造

なし

築城主

坂上田村麻呂

築城年

延暦22年(803)

主な改修者

主な城主

坂上田村麻呂

廃城年

遺構

(発掘調査:築地塀跡、大溝、掘立柱建物跡、竪穴建物跡)

指定文化財

国史跡(志波城跡)

再建造物

築地塀、門、碑、説明板

周辺の城

盛岡城(岩手県盛岡市)[4.0km]
厨川柵(岩手県盛岡市)[4.2km]
見前館(岩手県盛岡市)[6.8km]
徳丹城(岩手県紫波郡)[10.4km]
雫石城(岩手県岩手郡)[10.6km]
高水寺城(岩手県紫波郡)[14.7km]
日戸館(岩手県盛岡市)[15.3km]
柳田館(岩手県紫波郡)[17.5km]
樋爪館(岩手県紫波郡)[17.6km]
寺林城(岩手県花巻市)[24.0km]

志波城の解説文



志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。

現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。

歴史・沿革 

桓武朝の征夷事業と志波城

志波城は、平安時代初期、征夷大将軍・坂上田村麻呂が造営した古代城柵。胆沢地方において蝦夷の首長アテルイを降伏させた翌年の延暦22年(803年)に、北上川と雫石川合流地近くに造営された。これにより、朝廷は律令制の支配を北上川北部にまで及ぼすことが可能となった。志波城は、陸奥国最北の城柵であり、その平面規模は最大級であり、事実上は朝廷の文武支配が及ぶ最前線基地としての機能を担ったと考えられる。征夷大将軍の坂上田村麻呂は、延暦21年(802年)に胆沢城を、延暦22年(803年)に志波城を築いたが、築城と同時か数年後に鎮守府は胆沢に移転した。正確にいつかは不明である。胆沢の前に志波に置かれた時期があったかもしれないともいわれる。

志波城の規模と構造

外郭は840m四方の築地塀と928m四方の土塁をともなう外大溝によって二重に区画されている。外郭築地塀南辺中央には、五間一戸の外郭南門が、また築地塀をまたぐように櫓が約60m間隔で設置されている。郭内には、中央やや南寄りに150m四方を築地塀で囲み、正殿・東西脇殿など14棟の掘立柱建物跡が配置されている政庁、その周囲に官衙域、外郭内側1町(約108m)幅で兵舎や工房としての機能を持つ竪穴住居群が1,200~2,000棟ほど配置されていたと考えられる。外郭南門から政庁南門には、幅約18mの南大路で連結されていた。郭内北部には、小河川を取り込む構造だったと考えられている。物資の運搬等に運河として使われた可能性も指摘されている。

徳丹城への承継

志波城は、雫石川氾濫による水害のため北辺部分を失っており、後に南へ下った現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田の地に徳丹城が造営されることでその機能を移転し、約10年で役割を終えた。現在でも、志波城の北辺部には、水害の影響で形成されたと思われる段差が残る。

発掘調査と史跡の復元

昭和51-52年(1976年-1977年)に、東北自動車道建設にともなう岩手県教育委員会の発掘調査中に築地塀や大溝、竪穴式住居跡が発見され、その後の範囲確認調査の成果を受け、1984年に「志波城跡」として国の史跡に指定された。『日本紀略』延暦22年(西暦803年)条初見の志波城の所在地は諸説あり、長らく不明であったが、太田「方八丁(ほうはっちょう)」という地名が八町四方の外郭を持つ城郭の姿と一致したため、有力な確定根拠の一つとなった。

1991年から盛岡市によって、外郭南門と築地塀が古代の技術にならって復元され、「志波城古代公園」として志波城跡愛護協会により管理運営がなされている。現在では、外郭南辺のほか、政庁官衙域も復元整備されている。復元された官衙建物は解説ビデオなどを鑑賞できる展示室として整備されている。(入場無料)

志波の地名 

旧岩手郡内に所在する「志波城」が古代「志波郡」の名を冠するのは、造営当時まだ「岩手郡」が建郡されていなかったためである。北上川流域の「奥六郡」は、はじめ磐井郡~志波郡までを指したが、後に磐井郡が国府多賀城の直接管理を受けることになると、新たに生まれた岩手郡を含めた六郡となり、俘囚長・安倍氏により治められた。

シハ(しわ)の表記「志波」「斯波」「紫波」は、いずれも古代郡名に由来し、同源であると考えられるが、当該城跡を指す場合、『日本紀略』での表記である「志波」が定着している。それに対し、斯波は中世の「斯波氏」にかかわる事象をあらわし、紫波は現在の「紫波郡」での使用が一般的である。

なお、「志和」は現在特に岩手県紫波郡紫波町上平沢・水分周辺の通称として狭域的に用いられ、「志和町(しわまち)」などの表現が残されている。これは同地区が南部八戸藩の飛び地であったことに由来する。また、日本最北の延喜式内社「志賀理和気(しがり・わけ)神社」(紫波町桜町)に由来するとの説もあり、当時として朝廷の支配力が及ぶ最も遠方の地域を示していたと考えられる。

参考画像 

参考資料 

  • 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」

志波城の口コミ情報

2021年07月22日 安房守ダンゾウ
志波城



駐車場がよくわかりませんでした。外郭より南に公園案内所があるのですが、外郭の内側にも道路が通っているため、敷地内を自家用車で通行でき、駐車場の案内もないため、敷地内の砂利敷きの空地に車を停めて公園内を散策しました

敷地は恐ろしく広いのですが、どこからが公園なのかがわかりづらかったです。高速道路から見える城跡でずっと気になっていたので、リア攻め出来てよかったです

2020年10月27日 neige飛騨守
志波城



バス本数が少ないため、盛岡駅東口から東へ徒歩5分のところにある市営盛岡駅前自転車駐車場でレンタサイクルを借りるのがベター。1日フルで借りて200円は良心的。そこから約30分で到着、志波城古代公園案内所に自転車を停めさせて頂きました。

2020年10月25日 じょん
志波城

門など再現された建物や規模の大きさ等も堪能できます
車でないと一時間歩くことになります

2019年08月26日 尾張守ひろっちぃ
志波城

門や櫓跡が復元されており、平安時代を思わせるような遺跡となっています。
とにかく広いです。


2017年06月30日 まー刑部卿
志波城

志波城古代公園を目指して下さい。東門側に停めてしまいました。柵がしてありますが駐車可。真新しいトイレもあります。復元施設は正庁南門・正庁東門・正庁西門・外郭南門・櫓・築地塀・官衙建物(展示室)・竪穴建物です。パンフレットには正庁西脇殿の平面表示が写っていますが草が生えているためよく分からず。堀も復元されています。北門は目の前に暴れ川があったため資料に乏しく復元出来なかったとのこと。
官衙建物の中の展示室ははじめ開館が9時とあったが閉まっていた。手動かと思いこじ開けたがダメでした。志波城古代公園案内所に声を掛けて開けてもらうか019-658-1710に掛けて職員が開けるのを待つかになります。城内に居ると案内所の場所も案内図もないし矢印板もないし不親切。開錠方法も官衙建物に一切張っていませんでしたので職員へ忠告しておきました。

志波城の周辺スポット情報

 外郭西辺北部広場(遺構・復元物)

 外郭西辺北部広場(遺構・復元物)

 竪穴建物域(遺構・復元物)

 外郭南門(遺構・復元物)

 政庁東門(遺構・復元物)

 政庁西門(遺構・復元物)

 政庁南門(遺構・復元物)

 政庁北門(遺構・復元物)

 南東官衙復元建物(遺構・復元物)

 志波城跡説明(碑・説明板)

 志波城説明(碑・説明板)

 外郭南門(碑・説明板)

 築地塀と櫓(碑・説明板)

 政庁と官衙(碑・説明板)

 志波城跡小河川跡(碑・説明板)

 外郭東辺北部(碑・説明板)

 大宮北遺跡(碑・説明板)

 飯岡館(周辺城郭)

 下太田八幡神社(寺社・史跡)

 大宮神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 案内所(関連施設)

 雫石川旧河道南岸(その他)

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