見前館(みるまえだて)
見前館の基本情報
通称・別名
- 見舞館
所在地
- 岩手県盛岡市西見前8地割
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 見前氏、日戸氏
廃城年
- 天正20年(1592)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
徳丹城(岩手県紫波郡)[3.8km]
盛岡城(岩手県盛岡市)[6.7km]
志波城(岩手県盛岡市)[6.8km]
高水寺城(岩手県紫波郡)[8.4km]
厨川柵(岩手県盛岡市)[9.4km]
樋爪館(岩手県紫波郡)[11.7km]
柳田館(岩手県紫波郡)[13.2km]
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寺林城(岩手県花巻市)[18.9km]
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見前館の解説文
[引用元:Wikipedia「見前館」の項目]見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前にあった日本の城。別称 見舞館。
東を北上川が南流し、平坦な地に東西150m南北250mの規模で館跡が所在した。付近に堀田、大館、大手先、搦手などの地名が残っているが、現在、畑や水田になっていて館の遺構は全く見られない。
【沿革】
陸奥国志和郡西見前村に所在し、古くは見舞とかいて「みるまえ」と訓んだという。(都南村史)
築城時期は不明であるが、郡主斯波氏の家臣見前氏の本拠地で、元亀・天正にはたびたび南部勢と戦火を交え、斯波氏の前線基地であったと伝えられている。 天正16年(1588年)、斯波氏滅亡のころには、南部方の日戸氏が見前の館主となっている。
天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「見舞 平城 破 信直抱 代官 日戸 中務」とあり、破却された。[続きを見る]
見前館の口コミ情報
2017年06月30日 まー刑部卿
見前館
民家裏の畑となっており遺構なし、説明板なし。【西見前17地割】と表示された電柱を曲がると(中学校と反対方向)あるが住民の方が見えたら説明しましょう。近くの清水寺墓地脇に停めました。