馬込勘解由屋敷(まごめかげゆやしき)

馬込勘解由屋敷の基本情報

通称・別名

所在地

東京都中央区日本橋大伝馬町3

旧国名

武蔵国

分類・構造

屋敷

天守構造

なし

築城主

馬込勘解由

築城年

慶長11年(1606)

主な改修者

主な城主

馬込氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

浅草見附(東京都台東区)[1.0km]
北町奉行所(東京都千代田区)[1.1km]
吉良上野介邸(東京都墨田区)[1.6km]
南町奉行所(東京都千代田区)[2.1km]
江戸城(東京都千代田区)[2.1km]
日比谷見附(東京都千代田区)[2.3km]
佃島砲台(東京都中央区)[2.7km]
越中島砲台(東京都江東区)[2.8km]
本郷城(東京都文京区)[2.8km]
汐留屋敷(東京都港区)[3.1km]

馬込勘解由屋敷の解説文

馬込勘解由屋敷は、江戸時代に人馬の継立てなどを行う伝馬役を務めた馬込氏の屋敷である。

馬込氏は徳川家康の江戸入府に従った由緒ある家柄で、同地の草分名主として名字帯刀を許され、代々当主は勘解由を名乗っていた。

現在、遺構などは特に残っていないが、屋敷跡であることを示す説明板が立っている。

馬込勘解由屋敷の口コミ情報

2025年09月18日 HAL2000壱岐守
大安寺[馬込勘解由屋敷  寺社・史跡]



江戸伝馬町処刑場跡という碑が残っています。

2025年09月18日 HAL2000壱岐守
吉田松陰終焉之地[馬込勘解由屋敷  碑・説明板]



山口萩、松下村塾の教育者であった吉田松陰が、安政の大獄により、当地にあった伝馬町牢屋敷に捕えられ、1857年に刑死した。

2025年08月26日 HAL2000壱岐守
寳田恵比壽神社[馬込勘解由屋敷  寺社・史跡]



江戸時代、日本橋大伝馬町に屋敷を持った馬込氏は、徳川家康の江戸入府と一緒にやってきて、初めは江戸城近くの宝田村を所領として与えられました。この時、馬込氏は家康から恵比寿様も賜ったとの言い伝えが残っています。

その後、江戸城の拡張に伴い移住が決まり、馬込氏の屋敷は宝田村の人々と共に今の伝馬町に移住したそうで。その際に、恵比寿様も住民と一緒に伝馬町に移り、神社の名前として今も「宝田」という名が残っていると解説されていました。

2025年08月26日 HAL2000壱岐守
馬込勘解由屋敷



日本橋大伝馬町にあったとされる屋敷跡。現在遺構は全く残っておらず、街の片隅に立札が残るのみです。この看板や周辺の関連施設から分かったことをまとめました。

江戸に来る役人の旅の「継立て」=人馬の交代(リレー)を担当していたのが、この「伝馬町」でした。伝馬の担当者が馬込氏であり、その屋敷がこの地(日本橋大伝馬町)にあったそうです。「勘解由」は馬込氏の名乗った役職名とのこと。

さまざまな人が集まるこの地は、江戸時代から商売が盛んに行われたそうで、現在のビジネス街のおこりはそこにあるのかもしれません。馬込氏にゆかりをもつ恵比寿神社がそばにあり、「べったら市」というお祭りが今なお10月19、20日に開催されているそうです。

2025年07月16日 勘解由長官きんさん
馬込勘解由屋敷



小伝馬町3番出口から日本橋方向に200メートルぐらいの所に説明版があります。

2025年06月30日 ラッセル小弓公方左兵衛佐
水天宮[馬込勘解由屋敷  寺社・史跡]



文政元年(1818)久留米藩主有馬頼徳が、久留米水天宮を江戸上屋敷内(芝赤羽橋)に分社したことに始まる。

本来屋敷神として祀られたもので、一般の人がお参りすることはできなかったが、江戸っ子たちの信仰は熱く、塀越しに賽銭を投げ込む人があとを絶たなかったため、毎月五日の縁日に限り屋敷を開放して、一般の参拝を許可した。

安産・子授け、初宮参り、除災招福に力を授けてくれる天御中主大神を主祭神とする神社。
水天宮は明治4年、屋敷の移転と共に赤坂に移り、その翌年現在の日本橋蛎殻町に移転した。日本橋蛎殻町界隈は、人影もまばらな寂しい場所だったが、水天宮が移ると共に商店が増え初め、大変な賑わいをみせるようになった。
安産・子授けの信仰が篤く、戌の日には祈願の参拝者で賑わっている。

境内の開門時間
▶午前7時〜午後6時
神礼所(御守・縁起物などの授与)
▶午前8時〜午後6時

東京駅八重洲口・北町奉行所の近くから無料循環バスが出ていて、日本橋、浜町、人形町、兜町を巡れる。
11時〜18時
約25〜28分間隔に走っている。

2024年12月13日 マグロ常陸介祐平
馬込勘解由屋敷



サイトの登録城としては異端の江戸市中の町人の屋敷です。主の馬込氏は、遠州馬込村(浜松市中央区中央付近)の出身で、家康に仕え、家康に伴い江戸に入り伝馬役と名主を代々務めています。町人とはいえ、苗字帯刀を許され、大給松平氏と姻戚関係を持ち、大名貸しを行うなど、高い格式と財力を誇っていました。また、確証はないようですが、三浦按針(ウイリアム・アダムス)の妻は初代馬込平左衛門の娘とする説もあるようです。

都心にあり、もちろん遺構は残りませんが、馬込氏が家康から授かった恵比寿様を御神体とする宝田神社が鎮座しており、大伝馬町の大店の恵比寿講を起源とする「べったら市」が今日まで続いています。

2024年07月17日 出羽守丸に澤瀉
馬込勘解由屋敷



駅から歩いてすぐに着きます。小さな説明版があるだけで、現在はコインパーキングやビルになっているので、わかりにくいです。

2024年06月09日 maki156
馬込勘解由屋敷



なかなか見つけることが出来ず、ぐるぐるまわった。案内板が有るだけで、特に見どころなし。

2023年12月11日 陸奥至宏
馬込勘解由屋敷

面影無しで相当な想像力を働かせる必要あり。コインパーキング😭

2022年12月20日 赤鷺ノ宮右兵衛佐武尊
馬込勘解由屋敷



駐車場脇に説明板のみで、遺構はありません。

2021年10月23日 八咫烏紀伊守鉄龍
馬込勘解由屋敷



説明版だけやけど、しっかりあります。
探す醍醐味を味わって下さい。

2021年10月09日 猿飛大宰大弐三輔
馬込勘解由屋敷

小伝馬町、三越前、人形町から歩けます。駐車場になってます

2021年01月06日 もっくん勘解由長官3号
馬込勘解由屋敷



少し西に歩くと、馬込さんが家康からもらった恵比寿様を祭る宝田恵比寿神社があります。

馬込勘解由屋敷の周辺スポット情報

 吉田松陰終焉之地(碑・説明板)

 傅馬町牢屋敷跡(寺社・史跡)

 水天宮(寺社・史跡)

 寳田恵比壽神社(寺社・史跡)

 大安寺(寺社・史跡)

 十思公園(関連施設)

 伝馬町牢屋敷展示館(関連施設)

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