佃島砲台(つくだじまほうだい)
佃島砲台の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 東京都中央区月島1
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府
築城年
- 元治元年(1864)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
越中島砲台(東京都江東区)[0.8km]
浜御殿(東京都中央区)[1.9km]
南町奉行所(東京都千代田区)[1.9km]
汐留屋敷(東京都港区)[2.0km]
北町奉行所(東京都千代田区)[2.1km]
日比谷見附(東京都千代田区)[2.4km]
馬込勘解由屋敷(東京都中央区)[2.7km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[3.1km]
吉良上野介邸(東京都墨田区)[3.2km]
西久保城(東京都港区)[3.4km]
佃島砲台の解説文
佃島砲台の口コミ情報
2024年11月07日 まるく
佃島砲台
昔と変わらない埋め立て港町。その当時の事が目に浮かぶ様な気がします。
2023年10月30日 コロスケコロコロ
佃島砲台
もんじゃのついでに訪城しました。説明板しかありませんが、往時に想いを馳せました。
2023年05月03日 武州左兵衛督 憧れの天守閣
佃島砲台
月島もんじゃ焼きの過程でリア攻め。拠点はマンションに成ってましたが、良い環境です。
2023年04月10日 まりん兵部少輔
佃島砲台
月島駅から歩いて5分位で着きます。案内板だけが有りました。駅から近いので立ち寄り易いです。
2023年01月18日 四国制覇能登守やなんちゅ極
佃島砲台
佃島渡船場跡之碑 隅田川や佃煮屋、住吉神社など散策するならこちらがおすすめです。
2021年11月21日 Azaz右近衛中将
佃島砲台
月島駅周辺のタワマン群を超えて、昭和の香り漂う住宅地の中にひっそり看板がありました。
歴史
江戸防衛・海防策の一環で砲台が築造されたのは、嘉永6年(1853)6月にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本の開国・貿易の開港などを求めた出来事が契機であった。ペリー来航から2ヵ月後の同年8月、幕府は非常事態に備えて品川沖に江戸防衛用の台場(砲台)築造を始め、翌年11月までの短期間に「第1~第3・第5・第6・御殿山下」の6基(品川台場)を完成させた。佃島の南に砲台が築かれたのは、品川台場の築造から約10年後の元治元年(1864)。砲台新設の契機となったのは、文久3年(1863)に勃発した薩英戦争や元治元年の四国(英・米・仏・蘭)連合艦隊による下関砲撃事件などの出来事であった。幕府は、より強固な江戸湾防備体制を敷くため、品川から越中島までの間に新たに海岸砲台の設置を計画し、佃島砲台もその1つとして築造された。
佃島砲台の規模は『東京市史稿』の「東京通志」によると「京橋区佃島南端海中ニアリ。東西凡三拾九間(約70m)、南北凡四拾間(約72m)、面積凡千三百七拾坪。元治元年甲子幕府之ヲ築キ、明治ニ至リ修理ヲ加ヘ、陸軍省ニ属ス」とある。明治期には、陸軍省所管の砲台となったが、明治20年(1887)に始まった月島築造工事の際に、佃島砲台を起点として月島第1号埋立地(現在の月島1~4丁目)の埋立が進められ、工事の過程でその姿を消した。