佃島砲台(つくだじまほうだい)

佃島砲台の基本情報

通称・別名

所在地

東京都中央区月島1

旧国名

武蔵国

分類・構造

台場

天守構造

なし

築城主

徳川幕府

築城年

元治元年(1864)

主な改修者

主な城主

徳川幕府

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

越中島砲台(東京都江東区)[0.8km]
浜御殿(東京都中央区)[1.9km]
南町奉行所(東京都千代田区)[1.9km]
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北町奉行所(東京都千代田区)[2.1km]
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吉良上野介邸(東京都墨田区)[3.2km]
西久保城(東京都港区)[3.4km]

佃島砲台の解説文

佃島砲台(つくだじまほうだい)は、江戸時代末期、外国船の渡来に対処するための海防施設として佃島(東京都中央区南東部)に築かれた砲台。

歴史 

江戸防衛・海防策の一環で砲台が築造されたのは、嘉永6年(1853)6月にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本の開国・貿易の開港などを求めた出来事が契機であった。ペリー来航から2ヵ月後の同年8月、幕府は非常事態に備えて品川沖に江戸防衛用の台場(砲台)築造を始め、翌年11月までの短期間に「第1~第3・第5・第6・御殿山下」の6基(品川台場)を完成させた。

佃島の南に砲台が築かれたのは、品川台場の築造から約10年後の元治元年(1864)。砲台新設の契機となったのは、文久3年(1863)に勃発した薩英戦争や元治元年の四国(英・米・仏・蘭)連合艦隊による下関砲撃事件などの出来事であった。幕府は、より強固な江戸湾防備体制を敷くため、品川から越中島までの間に新たに海岸砲台の設置を計画し、佃島砲台もその1つとして築造された。

佃島砲台の規模は『東京市史稿』の「東京通志」によると「京橋区佃島南端海中ニアリ。東西凡三拾九間(約70m)、南北凡四拾間(約72m)、面積凡千三百七拾坪。元治元年甲子幕府之ヲ築キ、明治ニ至リ修理ヲ加ヘ、陸軍省ニ属ス」とある。明治期には、陸軍省所管の砲台となったが、明治20年(1887)に始まった月島築造工事の際に、佃島砲台を起点として月島第1号埋立地(現在の月島1~4丁目)の埋立が進められ、工事の過程でその姿を消した。

情報提供:東京都中央区教育委員会


佃島砲台の口コミ情報

2024年11月07日 まるく
佃島砲台



昔と変わらない埋め立て港町。その当時の事が目に浮かぶ様な気がします。

2023年10月30日 コロスケコロコロ
佃島砲台



もんじゃのついでに訪城しました。説明板しかありませんが、往時に想いを馳せました。

2023年05月03日 武州左兵衛督 憧れの天守閣
佃島砲台



月島もんじゃ焼きの過程でリア攻め。拠点はマンションに成ってましたが、良い環境です。

2023年04月10日 まりん兵部少輔
佃島砲台



月島駅から歩いて5分位で着きます。案内板だけが有りました。駅から近いので立ち寄り易いです。

2023年01月18日 四国制覇能登守やなんちゅ極
佃島砲台



佃島渡船場跡之碑 隅田川や佃煮屋、住吉神社など散策するならこちらがおすすめです。

2021年11月21日 Azaz右近衛中将
佃島砲台

月島駅周辺のタワマン群を超えて、昭和の香り漂う住宅地の中にひっそり看板がありました。

佃島砲台の周辺スポット情報

 石川島灯台(遺構・復元物)

 軍艦操練所(寺社・史跡)

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