佃島砲台(つくだじまほうだい)

佃島砲台の基本情報

通称・別名

所在地

東京都中央区月島1

旧国名

武蔵国

分類・構造

台場

天守構造

なし

築城主

徳川幕府

築城年

元治元年(1864)

主な改修者

主な城主

徳川幕府

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

越中島砲台(東京都江東区)[0.8km]
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佃島砲台の解説文

※この城郭は2020年4月6日に名称と位置が変更となりました。

佃島砲台(つくだじまほうだい)は、江戸時代末期、外国船の渡来に対処するための海防施設として佃島(東京都中央区南東部)に築かれた砲台。

歴史
江戸防衛・海防策の一環で砲台が築造されたのは、嘉永6年(1853)6月にアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本の開国・貿易の開港などを求めた出来事が契機であった。ペリー来航から2ヵ月後の同年8月、幕府は非常事態に備えて品川沖に江戸防衛用の台場(砲台)築造を始め、翌年11月までの短期間に「第1~第3・第5・第6・御殿山下」の6基(品川台場)を完成させた。

佃島の南に砲台が築かれたのは、品川台場の築造から約10年後の元治元年(1864)。砲台新設の契機となったのは、文久3年(1863)に勃発した薩英戦争や元治元年の四国(英・米・仏・蘭)連合艦隊による下関砲撃事件などの出来事であった。幕府は、より強固な江戸湾防備体制を敷くため、品川から越中島までの間に新たに海岸砲台の設置を計画し、佃島砲台もその1つとして築造された。

佃島砲台の規模は『東京市史稿』の「東京通志」によると「京橋区佃島南端海中ニアリ。東西凡三拾九間(約70m)、南北凡四拾間(約72m)、面積凡千三百七拾坪。元治元年甲子幕府之ヲ築キ、明治ニ至リ修理ヲ加ヘ、陸軍省ニ属ス」とある。明治期には、陸軍省所管の砲台となったが、明治20年(1887)に始まった月島築造工事の際に、佃島砲台を起点として月島第1号埋立地(現在の月島1~4丁目)の埋立が進められ、工事の過程でその姿を消した。

情報提供:中央区教育委員会

佃島砲台の口コミ情報

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