汐留屋敷(しおどめやしき)

汐留屋敷の基本情報

通称・別名

仙台藩伊達家上屋敷

所在地

東京都港区東新橋1

旧国名

武蔵国

分類・構造

屋敷

天守構造

なし

築城主

伊達忠宗

築城年

寛永18年(1641)

主な改修者

主な城主

伊達氏

廃城年

遺構

建物礎石

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

浜御殿(東京都中央区)[0.7km]
南町奉行所(東京都千代田区)[1.0km]
日比谷見附(東京都千代田区)[1.1km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[1.2km]
西久保城(東京都港区)[1.4km]
太田道灌城(東京都港区)[1.6km]
佃島砲台(東京都中央区)[2.0km]
北町奉行所(東京都千代田区)[2.0km]
今井城(東京都港区)[2.4km]
赤坂見附(東京都千代田区)[2.6km]

汐留屋敷の解説文

汐留屋敷は、江戸時代に仙台藩(伊達家)が現在の汐留シオサイト一帯(日本テレビタワー付近)に拝領していた屋敷である。

仙台藩 

藩祖は、戦国大名として知られる伊達政宗である。

江戸時代を通じて現在の宮城県及び岩手県・福島県の一部を領有し、石高は62万石超と、諸藩の中でも有数の大藩であった。

歴史 

江戸初期の寛永18年(1641)頃から仙台藩がこの地に上屋敷を設けた。

立地を生かし、江戸でも最大級の船入場が設けられた邸であったといわれる。

その後、江戸期を通じて仙台藩上屋敷として使用され、明治になると日本初の鉄道の起点として新橋駅が開業した。

その後、長い間鉄道駅として使用されるが、昭和61年(1986)に廃止、平成7年(1995)から再開発が始まった。

この時、江戸時代の仙台藩上屋敷跡が遺跡として発掘された。この時発掘された屋敷の礎石が銀座七丁目交差点付近に置かれている。

現在では再開発も一段落し、高層ビル群となっており、当時の遺構などを見ることは出来なくなっている。

汐留屋敷の口コミ情報

2023年05月05日 HAL2000壱岐守
汐留屋敷



旧新橋停車場が近くにありました。新橋横浜間の最初の鉄道が通ったとき、ここに新橋駅があったそうです。

2023年01月22日 いれぶん[⭕️雁雁]
仙台藩上屋敷表門跡[汐留屋敷  遺構・復元物]

「江戸時代の仙台藩上屋敷表門跡」
ここは、汐留遺跡の発掘調査によって、仙台藩上屋敷の表門の遺構が発見された場所である。
覚永十八年(一六四一)に設けた屋敷
は、当初下屋敷として用いられたが、
延宝四年(一六七六)には上屋敷となり、以後幕末まで似台藩の江戸における拠点となった。
元禄十五年(一七〇二)十二月十五日、本所吉良邸において、主君浅野内匠頭長矩の仇討ちを成し遂げ、その墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪土は、この場所で粥のもてなしを受けたといわれる。あたかもレトルト食品のように瞬く間に作られた粥は、仙台名産の似台糒(粳米を蒸して乾燥させた保存食)であった。
仙台市
日本テレビ

Front Gate of Sendai Han's Residence in Edo Period
「江戸勝景 芝新銭坐之図」
(歌川広重作 天保6~8年 (1835〜1838))
この図に描かれる冠木門の基礎の木組み遺構が発見された。

2022年11月27日 nyarくん
汐留屋敷

仙台藩江戸屋敷で現在では復元の新橋駅やパナソニックのビル(パナソニック美術館に行きました)など驚くほど開発されてます。

2021年03月12日 くるみ丸
汐留屋敷



現在は鉄道発祥記念建築物である新橋駅が復元されてます
一見の価値ありです

汐留屋敷の周辺スポット情報

 間知石と切り石(遺構・復元物)

 建物の礎石(遺構・復元物)

 (遺構・復元物)

 仙台藩上屋敷表門跡(遺構・復元物)

 手水鉢(その他)

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