杉田屋敷(すぎたやしき)
杉田屋敷の基本情報
通称・別名
- 杉田氏館
所在地
- 東京都西多摩郡奥多摩町(奥多摩湖湖底埋没)
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 屋敷
天守構造
- なし
築城主
- 杉田氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 杉田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- なし
周辺の城
-
檜原城(東京都西多摩郡)[10.7km]
戸倉城(東京都あきる野市)[15.0km]
辛垣城(東京都青梅市)[15.8km]
熊倉城(埼玉県秩父市)[18.2km]
上野原城(山梨県上野原市)[18.7km]
網代城(東京都あきる野市)[18.9km]
岩殿山城(山梨県大月市)[20.2km]
勝沼城(東京都青梅市)[20.4km]
根古屋城(埼玉県秩父郡)[21.8km]
浄福寺城(東京都八王子市)[21.9km]
杉田屋敷の解説文
杉田屋敷の口コミ情報
2024年06月21日 いれぶん[⭕️雁雁]
箭弓(やぎゅう)神社[杉田屋敷 寺社・史跡]
1478年に小菅・丹波山の領主であった武田家臣・小菅遠江守信景が創建し、両者の総社とされました。(明治6年、小菅村社に列す)。
東北に小菅城を位置する山の麓にありますが、注目すべきなのは1500坪強の広さを有する境内を持ち、現代にも毎年8月第一土曜日に伝統芸能「箭弓神社の獅子舞」の奉納が行われ、近隣含めた村民が集まる場となっている事です。"弓矢"を意味する"箭弓"といい、根古屋としての側面も感じられる神社です。
小菅城へは神社の脇から進めます。小菅村情報サイト等によれば、約5台分の駐車スペースとトイレがあります。
2022年11月20日 いれぶん[⭕️雁雁]
緑と水のふれあい館[杉田屋敷 関連施設]
トイレや駐車場のほかにレストランを備える公共施設ですが、城巡ファンには北条家関連の文書(複製)や地元武将の小河内衆の存在や、対抗する武田側の小菅氏と小菅城の紹介が気になるところです。
2022年02月17日 土支田大膳大夫
海沢の城山[杉田屋敷 周辺城郭]
詳細不明の城跡。平将門が築いた城と伝わる。現在、遺構は残らない(見当たらない)。
2022年02月17日 土支田大膳大夫
水根の城山[杉田屋敷 周辺城郭]
詳細不明の城跡。平将門が一夜で築いた城という伝説が残る。『日本城郭大系』では、三田氏か北条氏の見張り台と推測している。現在、曲輪と堀切が残る。
2022年02月17日 土支田大膳大夫
城[杉田屋敷 周辺城郭]
『城山』『氷川の城山』『栃久保城』ともいう。平将門の城跡とする伝承があるが、詳細不明である。付近には『三の木戸(伝:大手)』『将門馬場』という地名が残る。現在、堀切、土塁、曲輪が残る。
2021年02月22日 武蔵守マクシミリアン
杉田屋敷
遺構自体は奥多摩湖の水底に沈んでいます。
リア攻めと「認定」してもらえるのは、青梅街道の奥多摩ダムのさらに山梨側、熱海トンネルの前後で城攻めすると、リア攻めになります。東京から熱海トンネルを抜けたすぐに、道に沿って駐車帯があります。
2016年05月14日 オリオリ
杉田屋敷
水と緑のふれあい館で奥多摩の歴史が確認出来ます。
居館跡は昭和32年(1957)の小河内ダム竣工に伴い水没。現在は奥多摩湖の湖底に沈んでおり、遺構などを確認することは出来ない。