星ヶ岡城(ほしがおかじょう)
星ヶ岡城の基本情報
通称・別名
- 星ケ岡城
所在地
- 東京都千代田区永田町2
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- -
再建造物
- なし
周辺の城
-
赤坂見附(東京都千代田区)[0.6km]
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市ヶ谷見附(東京都千代田区)[2.0km]
星ヶ岡城の解説文
星ヶ岡城の口コミ情報
2025年06月29日 宮内大輔 rstones
星ヶ岡城
メトロ銀座線 溜池山王駅構内から取れるとは思わんかった...
2025年06月22日 サラフィナ刑部少輔
星ヶ岡城
現地は日枝神社の境内です。場所がよく分からず、看板などもないので写真を撮りたくてもどこを撮れば良いのか私には理解出来ませんでした。
2025年06月16日 千葉相模守早雲
星ヶ岡城
ザ・キャピトルホテル東急の敷地が主郭、二郭の日枝神社と三郭の日比谷高校の間の切り通し状の道路が堀切とされています。
都市開発により遺構は失われているとはいえ、日枝神社は周囲よりも高く、傾斜のある階段を見ると台地の端を利用し、削って郭を独立させて城を築いたのだろうと思われます。
1.主郭のザ・キャピトルホテル東急と二郭の日枝神社の参道。
2.二郭の日枝神社の参道。かなりの勾配。
3.二郭にある日枝神社。
4.二郭の日枝神社と三郭の日比谷高校の間の堀切。
5.日枝神社の参拝は階段は避けられず、独立した郭である事が分かる。
6.日枝神社の参道の一つ。高低差が大きい。
2025年06月13日 マグロ常陸介祐平
星ヶ岡城
今年(2025年)の4月6日に、奥多摩の杉田屋敷から変更されたお城です。お城の解説文の出典を見て驚かれた方も多いと思いますが、このお城は平成になって、工業デザイナーで歴史家の藤井尚夫氏が初めて紹介したお城のようです。かなり攻めた選択だと思います(肯定してますよ)。Googleマップにも、「星ヶ岡城跡」として位置登録されていますが、さすがに千代田区の文化財包蔵地では中世の区分にはなっていませんでした。
溜池山王駅そばのザ-キャピトルホテル東急(主郭)、日枝神社(二郭)、日比谷高校(三郭)が該当地で、舌状台地の先端に位置しており、要害性を感じられる場所となっています。道灌の築いた江戸城からも、直線で1km強で、支城を置くにはちょうどいい立地です。主郭のホテルは一段低くなっていますが、削られたのでしょうか。道灌の時代ではありませんが、北条氏所領役帳では、付近(一木貝塚62貫600文、少し西側)は太田大膳亮の所領だったようですが、関係するのでしょうか。
城址に鎮座する日枝神社は、太田道灌が川越山王社(仙波日枝神社)を江戸城に勧請したもので、家康が江戸城の鎮守として紅葉山に遷座し、明暦の大火で消失したため、大名屋敷を接収して江戸城の裏鬼門にあたる当地に遷座したものです。江戸城との関わりを感じる場所です。
宝物殿は無料で、神社に奉納された貴重な刀剣類を見ることができます。
2025年05月26日 ブルース・ウィリス
星ヶ岡城
多分大きな城郭だとは思いますがホテルが建っている為、本来の大きさはわかりません。ただ、ホテルから日枝神社へ続く道は堀だったのかなと思わせるものでした。
2025年05月11日 ようくん渡島守
星ヶ岡城
リア攻め地図上の場所はキャピタル東急ホテル内です。敷地内におそらく石垣の石で作られたモニュメントがありました。説明によると日枝神社の辺りと有りましたので、日枝神社にもお参りしてきました。
星ヶ岡城(ほしがおかじょう)は、東京都千代田区永田町に築かれた城。現在、日枝神社が鎮座している周辺がかつての城域である。
歴史
築城年代や築城主などについての詳細は不明だが、江戸城西南の台地上に築かれており、江戸城の支城と考えられている。享徳の乱が起き関東に戦乱が広がる中、長禄元年(1457)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が江戸城を築城。以降、約70年にわたり江戸城は扇谷上杉氏の重要拠点となった。文明8年(1476)、長尾景春の乱が起きると、江戸城周辺でも景春に味方する勢力が蜂起。道灌は景春に味方した練馬城、石神井城などを攻撃するなど、周辺は緊迫した状況下にあった。
その後、小田原北条氏が台頭してくると、大永4年(1524)、北条氏綱が江戸城に攻め寄せ、江戸城は北条方の城となった。
このように、戦国時代の緊張感漂う情勢の中、江戸城防衛のために星ヶ岡城が築かれたと考えられる。
遺構
ザ・キャピトルホテル東急の敷地が主郭にあたり、日枝神社が二郭、日比谷高校が三郭にあたると推察されている。星ヶ岡城は開発により遺構がほとんど残っていないものの、日枝神社と日比谷高校の間に通る切通し状の道路が堀跡とされ、舌状台地を切断する堀を持つ典型的な中世城郭の構造と考えられている。また、日枝神社の境内には土塁の一部が残っており、日枝神社が鎮座する台地の高低差と合わせて要害性の高さを見て取ることができる。
なお、二郭に鎮座する日枝神社は古くからの江戸郷の鎮守であり、江戸時代に現在の場所に移された。日枝神社を現在地に勧請するにあたり新しく社地を整備したのではなく、星ヶ岡城として整地されていたスペースを利用して社殿が移されたと考えられる。
交通
・東京メトロ銀座線溜池山王駅から徒歩約6分、丸ノ内線赤坂見附駅から徒歩約8分参考文献
・『太田道灌と武蔵・相模』伊藤一美、戎光祥出版、2023年。・『歴史読本43』藤井尚夫「江戸要塞化計画」、新人物往来社、1998年。