赤坂見附(あかさかみつけ)
赤坂見附の基本情報
通称・別名
- 江戸城赤坂御門
所在地
- 東京都千代田区平河町2
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 見附
天守構造
- なし
築城主
- 黒田忠之
築城年
- 寛永16年(1639)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- 国史跡(江戸城外堀跡)
再建造物
- 碑、説明板(赤坂御門)
周辺の城
-
喰違見附(東京都千代田区)[0.6km]
今井城(東京都港区)[0.8km]
四谷見附(東京都新宿区)[1.0km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[1.3km]
市ヶ谷見附(東京都千代田区)[1.4km]
西久保城(東京都港区)[1.7km]
太田道灌城(東京都港区)[1.8km]
江戸城(東京都千代田区)[1.8km]
日比谷見附(東京都千代田区)[1.9km]
毛利甲斐守邸(東京都港区)[2.1km]
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赤坂見附の解説文
[引用元:Wikipedia「赤坂見附」の項目]赤坂見附(あかさかみつけ)とは、いまの東京都千代田区紀尾井町・平河町にあたる地に存在した、江戸城の「江戸城三十六見附」のひとつ、及び現在の赤坂見附の跡地や東京メトロ赤坂見附駅付近一帯を指す地名である。
【解説】
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附(四谷)、市谷見附(市ヶ谷)などがある。
赤坂見附は枡形門の形式で、これは江戸城の田安門、清水門などと同じである。現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。現在見られる赤坂見附の遺構は、紀尾井町の国道246号沿いに残る石垣である。
この赤坂見附跡の西側には弁慶堀が水を湛え、赤坂見附交差点は国道246号(大山道)と外堀通りの交点となっている。[続きを見る]
赤坂見附の口コミ情報
2019年05月31日 サンダンス武蔵守キッド
赤坂御門と紀州藩麹町邸の遺構[赤坂見附 遺構・復元物]
赤坂見附跡近くの東京ガーデンテラス紀尾井町空のひろばに赤坂御門の復元石垣と紀州藩麹町邸石組の遺構あります。
写真は紀州藩邸遺構
2019年03月21日 橘若狭守次郎吉
赤坂見附
赤坂見附は江戸城三十六見附のひとつで赤坂御門の跡です。福岡藩主の黒田忠之が石垣を、御門普請奉行の加藤正直、小川安則が門を担当したそうです。現在は石垣が残っていて、石垣には刻印が確認できます。
2016年08月30日 討幕の志士尾張守⚡️晋作
赤坂見附
寛永13年、62の大名家に石垣、58の大名家に堀を担当させる形で飯田橋・四谷・赤坂・溜池の江戸城外堀普請がおこなわれた。
寛永9年に栗山利章の訴えに端を発した筑前黒田騒動で改易を免れた黒田忠之としては、この天下普請は幕府に忠誠を示す絶好の機会となったのかもしれない。
こうして黒田家が築いた石垣の上に、加藤正直・小川正則ら普請奉行が赤坂御門を完成させたのは寛永16年。
なお、明治5年に門が撤去された。