喰違見附(くいちがいみつけ)

喰違見附の基本情報

通称・別名

江戸城喰違見附

所在地

東京都千代田区紀尾井町4

旧国名

武蔵国

分類・構造

見附

天守構造

なし

築城主

小幡景憲

築城年

慶長17年(1612)

主な改修者

主な城主

徳川幕府

廃城年

遺構

土塁

指定文化財

国史跡(江戸城外堀跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

四谷見附(東京都新宿区)[0.5km]
赤坂見附(東京都千代田区)[0.6km]
今井城(東京都港区)[1.0km]
市ヶ谷見附(東京都千代田区)[1.2km]
四谷大木戸(東京都新宿区)[1.7km]

喰違見附の解説文

喰違見附は、江戸時代に江戸城の外堀に作られた外郭門のひとつである。

見附とは敵の侵入を発見するための見張所という意味で、江戸城では俗に三十六見附と言われる多くの見附があった。他の見附の多くは枡形の城門が築かれていたが、この喰違見附は周囲が高くなっている地形を生かして土塁を築く形となっており、城門は存在しなかった。

現在も当時の土塁が残されており、碑も立っている。

喰違見附の口コミ情報

①26鹿沼マサカド様[2019年01月09日]
①-2喰違見附から、東(写真の向きだと正面)に歩いて2~3分の所に「紀尾井坂」があり、中腹辺りに坂の名前を冠したの標柱が立っている。「紀尾井坂」の名前を冠した事件だと1878年(明治11年)に起きた時の内務卿・大久保利通が暗殺された「紀尾井坂の変」が思い浮かぶが、この地で事件は起きていない。実際の現場は、清水谷公園辺りが現場であった事が 標柱の裏に「紀尾井」の由来とともに記されている。当時、現場近くであった清水谷公園(千代田区紀尾井町2-1)は標注から歩いて5分程の場所にあって、「贈右大臣大久保公哀悼碑」(大久保利通哀悼碑)が建立されている。

個人的な見頃は、石碑の周囲に植えられている鹿児島県の県木・アメリカデイゴの花期と重なる夏です。落葉樹ですが、濃い目の緑色の葉に赤い花が映え、石碑を彩っています。また、石碑と書くと小さく見られがちですが、初めて立ち寄った際、大きさに圧倒されました。「東京都千代田区の歴史」というブログによると、台座を含めた高さは6.27mとの事です。

①26鹿沼マサカド様[2018年12月19日]
①写真の正面(東側)に見える坂が「紀尾井坂」。江戸時代は、左(北側)の建物(上智大学)が「尾張家」(現・上智大学)・右手前(南側)の建物(ホテルニューオータニ)が「井伊家」・右奥の高層ビルから南西の紀尾井町ガーデンテラス辺りまでが「紀伊家」の屋敷地だった。それが転じて地名の「紀尾井」の由来となった。

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