内藤氏屋敷(ないとうしやしき)

内藤氏屋敷の基本情報

通称・別名

高遠藩内藤家四谷内藤新宿下屋敷、四谷屋敷

所在地

東京都新宿区内藤町(新宿御苑)

旧国名

武蔵国

分類・構造

屋敷

天守構造

なし

築城主

高遠藩内藤家

築城年

江戸時代前期

主な改修者

主な城主

高遠藩内藤家

廃城年

明治12年(1879)

遺構

多武峰神社

指定文化財

再建造物

周辺の城

四谷見附(東京都新宿区)[1.6km]
井伊氏屋敷(東京都渋谷区)[1.7km]
喰違見附(東京都千代田区)[1.9km]
尾張徳川氏屋敷(東京都新宿区)[2.0km]
市ヶ谷見附(東京都千代田区)[2.2km]

内藤氏屋敷の解説文

内藤氏屋敷は、江戸時代に信濃・高遠藩(内藤家)が現在の新宿御苑一帯に拝領していた屋敷である。

高遠藩(内藤家)
高遠藩内藤家は、戦国時代~江戸初期に徳川家譜代の家臣として活躍した内藤清成を祖とする。

天正18年、徳川家康が豊臣秀吉によって関東に移封されると、清成は江戸入りの先陣を務めた。

その後、内藤家6代・清枚(キヨカズ)の時に、天領であった信濃・高遠に移封され、高遠藩(内藤家)となる。

その後内藤家は幕末まで高遠を領有し、8代藩主・頼直は戊辰戦争で新政府側につき北越戦争や会津戦争を戦った。

歴史
家康が関東に移封された翌年の天正19年、長年の功を認められた内藤清成は現在の新宿に約20万坪と言われる広大な屋敷地を拝領した。

その後、内藤家は安房国など各地を領有するが、この屋敷は江戸期を通じて内藤家が使用しており、6代・清枚が高遠藩に移封されると、新たに別な場所に上屋敷を拝領したことから、この屋敷地は下屋敷として使われるようになった。

明治に入り、この場所は大蔵省が購入し農業試験場となるが、明治34年に庭園への改造計画がスタート、5年後の明治39年に「新宿御苑」となり、今に至る。

地名の由来
現在、日本を代表する繁華街である新宿であるが、ここはもともと内藤新宿と呼ばれていた。

江戸幕府によって制定された五街道のひとつである甲州街道は、日本橋を基点に西に向かい甲斐国(現在の山梨県)へ至る街道であったが、この街道の最初の宿場は当初、高井戸宿(現在の杉並区高井戸)であった。

元禄10年(1697)になり、江戸開府から約100年が経つと、人の往来や輸送量も増え、江戸から約4里(約16km)も離れている高井戸宿では不便が多かった。

そこで江戸-高井戸間に新たな宿場を設ける事となり、候補地となったのが江戸から約2里(約8km)で青梅街道との分岐点となる、現在の新宿付近である。

この候補地となった場所には前述の通り内藤家の屋敷地があったが、内藤家は幕府に土地の一部を返上、ここに新たな宿場が開設される事となり、内藤新宿と呼ばれるようになった。

内藤氏屋敷の口コミ情報

野呂利駿河守休三7/29様[2015年04月07日]
千駄ヶ谷駅方向の入口の千駄ヶ谷門近くに新井白石終焉の地の説明板があります。

野呂利駿河守休三7/29様[2015年02月17日]
新宿御苑こと内藤氏屋敷の北側、新宿御苑前駅の北東数分のところの太宗寺は徳川秀忠大御所時代の内藤家当主正勝の墓があります。
寺内には塩かけ地蔵(見た感じ“塩漬け地蔵“)や閻魔像や奪衣婆像、地蔵尊像があります。
新宿山手七福神の布袋の寺でもあります。
周囲には猫もたくさんいます。

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