四谷大木戸(よつやおおきど)

四谷大木戸の基本情報

通称・別名

所在地

東京都新宿区内藤町87

旧国名

武蔵国

分類・構造

関所

天守構造

なし

築城主

徳川幕府

築城年

元和2年(1616)

主な改修者

主な城主

徳川幕府

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

四谷見附(東京都新宿区)[1.5km]
喰違見附(東京都千代田区)[1.7km]
尾張徳川氏屋敷(東京都新宿区)[1.8km]
井伊氏屋敷(東京都渋谷区)[1.9km]
市ヶ谷見附(東京都千代田区)[2.0km]

四谷大木戸の解説文

※この城郭は2018年4月6日に名称と位置が変更となりました。

四谷大木戸(よつやおおきど)は、江戸時代の四谷に設けられていた、甲州街道の大木戸(街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所)である。現在の東京都新宿区四谷4丁目交差点にあたり、新宿区立四谷区民センターの脇には四谷大木戸門跡の碑が立っている。

概要
元和2年(1616年)、江戸幕府により四谷の地に、甲州街道における江戸への出入り口として大木戸が設けられた。地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けていた。初めは夜になると木戸を閉めていたが、寛政4年(1792年)以降は木戸が撤去されている(木戸がなくなった後も四谷大木戸の名は変わらなかった)。文政12年(1829年)成立の「江戸名所図会」には、木戸撤去後の、人馬や籠などの行き交う様子が描かれている。

大木戸近くには承応2年(1653年)に完成した玉川上水の四谷水番所が設けられ、ここから江戸市中へ配水していた。また、元禄12年(1699年)には大木戸の西に甲州街道最初の宿場となる内藤新宿が開設されている。

明治維新後、石畳や石垣は交通の障害となったため、明治9年(1876年)に撤去されてしまい、現在では何も残っていない。ただし、現在の交差点上が「四谷大木戸跡」として東京都指定旧跡となっている。なお、新宿御苑の出入り口のひとつである大木戸門の名前は、四谷大木戸に因むものである。

四谷大木戸の口コミ情報

野呂利左衛門督休三1月に比企様[2018年04月15日]
先の口コミで書くのを忘れていましたが、新宿から来た甲州街道は、四谷大木戸があったとされる四谷四丁目の交差点の少し手前から緩やかに下っていきます。そして交差点の直前で底を打ち、また緩やかに上がっていきます。

野呂利左衛門督休三1月に比企様[2018年04月15日]
四谷から新宿までの甲州街道を挟んで、南北方向に走る谷が何本かありました。
その最も新宿よりの谷の上にあったのがこの四谷大木戸です。
この谷は現在、外苑西通りと靖国通りが走っています。ちなみに靖国通りの、最も市ヶ谷寄りの北側上には市ヶ谷の尾張藩邸(現在防衛省)がありました。
この谷の東上に田安家の屋敷がありました(田安稲荷神社は田安家の屋敷神。九段北の筑土神社内の世継稲荷神社を分祀か)。また、四谷大木戸の南西側には内藤氏屋敷がありました。なお内藤氏屋敷(新宿御苑)の東側には堀状の地形が見受けられます。
赤坂見附のすぐそばに紀州家麹町屋敷(東京ガーデンテラス紀尾井町)、喰違見附ではすぐそばには井伊家屋敷(ホテルニューオータニ)、外側に紀州家赤坂屋敷(赤坂離宮)、喰違見附と四谷見附間に尾張家麹町屋敷(上智大、紀尾井ホール)が配置されていましたが、それを彷彿させます。

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