日比谷見附(ひびやみつけ)
日比谷見附の基本情報
通称・別名
- 江戸城日比谷御門
所在地
- 東京都千代田区有楽町1
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 見附
天守構造
- なし
築城主
- 仙台藩伊達家
築城年
- 寛永6年(1629)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
南町奉行所(東京都千代田区)[0.5km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[1.0km]
汐留屋敷(東京都港区)[1.1km]
北町奉行所(東京都千代田区)[1.2km]
江戸城(東京都千代田区)[1.5km]
西久保城(東京都港区)[1.6km]
浜御殿(東京都中央区)[1.8km]
太田道灌城(東京都港区)[1.9km]
赤坂見附(東京都千代田区)[1.9km]
今井城(東京都港区)[2.1km]
日比谷見附の解説文
日比谷見附の口コミ情報
2024年06月29日 COVA 信濃守 半之丞⛩
日比谷見附
ここは日比谷公園の入口、心字池の横にある石垣のみが残っています
2023年08月10日 Tenshi49
日比谷見附
地下鉄日比谷駅C9出口から地上の晴海通りと日比谷通りの交差点にある日比谷交番近くの有楽門を目指します❗️もうそご〝日比谷見附〟です‼️案内板をアップします❗️近くには伊達政宗終焉の地の碑もあります❗️
2023年04月29日 あきくん
日比谷見附
日比谷公園内に石垣が残っています。心字池を石垣上のベンチから見下ろすのも一興です。
2022年12月05日 S&K弾正大弼
日比谷見附
江戸城日比谷濠と道路を挟み三十六御門の1つ日比谷御門が有っただ所です。三十六御門の中では橋の無い枡形門が有りましたが、明治初期に撤去されました。
現在は石垣と土手が当時を偲ばせています。又日比谷御門側に仙台藩伊達政宗から三代綱宗迄仙台藩外桜田上屋敷有りました。この上屋敷には家康が三度、秀忠、家光が其々四度訪れたと言われており、伊達政宗が1636年70歳の生涯を閉じた終焉の地の案内板が残されています。(3回目口コミ依頼にて写真は撮りませんでしたが、口コミ内容は変えてます)
2022年10月22日 マグロ常陸介祐平
日比谷見附
日比谷公園の有楽門に石垣が残っています。説明板に門、枡形、渡櫓、番所をかこんでいた石垣の一部とありました。伊達政宗の終焉の地としての説明板もあります。少し離れていますが、公園内の日比谷図書文化館には、千代田区の歴史の常設展示場があり、江戸城に関する資料も展示されています。
2022年08月02日 マイクラレーマ侍従
日比谷見附
日比谷見附は石垣が残ってて凄い迫力満点だったので、もっと残して貰えなかったのは寂しいです。
2022年05月31日 寺左京大夫にゃん
日比谷見附
遺構は日比谷公園内。道路を挟んで江戸城の立派な石垣も堪能出来ますね。
2022年02月21日 のぶ修理大夫
日比谷見附
ここが伊達政宗終焉の地とは知りませんでした。見事な石垣と池が綺麗で雪除けが可愛かった
2021年04月01日 楠武蔵守正成
日比谷見附
石垣のみ残っていました。切り込み接ぎが綺麗です。
2020年11月29日 でんろく兵部卿パルキー
日比谷見附
日比谷公園の皇居よりの右端にあります。
近くに伊達政宗公最後の地があり、日比谷見附を築城したゆかりの場所である事が理解できた。
2019年03月22日 橘若狭守次郎吉
日比谷見附
日比谷見附は江戸城三十六見附のひとつで日比谷御門の跡。かつては高麗門、渡櫓、番所があったそうです、現在は石垣のみが残っています。石垣には刻印が確認できます。普請は伊達政宗が担当したとのこと。
また、日比谷公園には伊達政宗終焉の地の説明板もありますので、合わせてどうぞ。
日比谷見附の周辺スポット情報
石垣(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
伊達政宗終焉の地説明板(碑・説明板)
トイレ(トイレ)
文化館内ミュージアム(関連施設)
日比谷公園(関連施設)
見附とは敵の侵入を発見するための見張所という意味で、江戸城では俗に三十六見附と言われる多くの見附があった。
この日比谷見附は仙台藩・伊達家によって寛永6年(1629)に築造された。
現在は日比谷交差点となっている場所に枡形の城門があり、日比谷公園の敷地内に石垣の遺構が残されており、公園内には説明板などもある。