日比谷見附(ひびやみつけ)
日比谷見附の基本情報
通称・別名
- 江戸城日比谷御門
所在地
- 東京都千代田区有楽町1
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 見附
天守構造
- なし
築城主
- 仙台藩伊達家
築城年
- 寛永6年(1629)
主な改修者
- -
主な城主
- 徳川幕府
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
南町奉行所(東京都千代田区)[0.5km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[1.0km]
汐留屋敷(東京都港区)[1.1km]
北町奉行所(東京都千代田区)[1.2km]
江戸城(東京都千代田区)[1.5km]
星ヶ岡城(東京都千代田区)[1.6km]
西久保城(東京都港区)[1.6km]
浜御殿(東京都中央区)[1.8km]
太田道灌城(東京都港区)[1.9km]
赤坂見附(東京都千代田区)[1.9km]
日比谷見附の解説文
日比谷見附の口コミ情報
2026年06月26日 尼崎城紀伊守一口城主
日比谷見附
[進軍編]
5/30登城。私事ながら当日は贔屓のラグビーチームの応援の為、夜行バスで上京🚌🌃東京駅で北町奉行所、有楽町駅付近で南町奉行所をリア攻めした後、日比谷見附に向け進軍。
日比谷交差点🚥で信号待ちの際に江戸城の堀が見えてきたので日比谷見附に向かう前に江戸城の堀や石垣(写真①、②)を眺めてきました。
日比谷公園内のMAP(写真③)を見ると写真①の石垣方面には楠木正成公像があるようです。本口コミを書く際、不勉強の為ふと「見附」とは何だ🤔と思ったので調べたところ、<江戸城の「見附」とは江戸城を警備するために設けられた見張り番所やその番所が置かれた城門のことで代表的なものは「江戸城三十六見附」と呼ばれた>とありました。
有楽門(写真④)から日比谷公園に入ると写真③のMAP左側の通り、心字池(写真⑤)のすぐそばにある石垣が遺構でした🪨
心字池付近を散策すると伊達政宗公終焉の地(写真⑥)の説明板があり、当地にはかつて仙台藩(伊達家)の外桜田上屋敷があったようです。
次に説明板(写真⑦)を読むと幕末まで松平肥前守等の屋敷地とあったので、再び気になり江戸時代の古地図を調べてみたところ、日比谷公園はかつて、松平肥前守(鍋島家・肥前佐賀藩)や長門萩藩毛利家の上屋敷があったようです。
2026年06月26日 尼崎城紀伊守一口城主
日比谷見附
[散策編]
日比谷公園の有楽門から入るとすぐに石垣(写真①、②)が見えてきて、その両側に説明板(写真③、④)がありました。
写真④の説明板の文字が見えづらいかもしれないので文字起こし🔍
「[日比谷門跡]門の名は、中世この地域に日比谷村があったことに由来します。1614年(慶長19年)に熊本藩(現在の熊本県)藩主加藤忠広によって石垣が築造され、1928(寛永5年)に仙台藩(現在の宮城県)藩主伊達政宗によって門の石垣が構築されました。日比谷門は現在の日比谷交差点付近にありましたが1873年(明治6年)に撤去されました。現在の日比谷公園の心字池沿いの石垣は日比谷門と山下門の間にあった土手の名残です。」
心字池沿いの石垣は、写真⑤の通り良好に遺構が残っているように見えますが説明板(写真③、④)には石垣の一部や土手の名残とあり、往時は圧倒される規模だったことが推測されます😳
石垣の上は散策したり、ベンチがあり一休み出来るようになっていたので歩いてみました。石垣の上から心字池の奥の政宗公終焉の地(写真⑥中央)を眺めてみました。訪城日は5月末で写真⑦の通り紫陽花が咲き始めていました。現在は梅雨時なので紫陽花も見頃のような気がします。石垣を江戸城側(北側)から南端まで歩いて石垣を降り、石垣の南端面(写真⑧)を眺めた後、霞ヶ関の虎ノ門見附に向かいました。
2026年05月16日 がっぽがっぽ左近将監
日比谷見附
至近に伊達政宗終焉の地があります。徒歩圏内に江戸三十六見附の馬場先門・山下門・幸橋門・数寄屋橋門・外桜田門があります。
2026年05月03日 虎之介図書頭
日比谷見附
日比谷見附は切込剥の石垣が美しく場所柄人が多いです。銀座から歩いてすぐなので気軽にリア攻め出来るのも魅力の一つです。
2025年09月04日 ジョージ右近衛中将
日比谷見附
日比谷公園のほぼ入り口南東の角です。石垣が一部残っていました。
2025年08月11日 秋津武蔵守宗駿
日比谷見附
2025.08.10 来城
有楽町駅から徒歩10分以内🚶日比谷公園を入って、すぐの所に日比谷門の石垣が見えます。門の傍に心字池があり、憩いの場となっております😌私はここでのんびりしたかったのですが、所用で急いでいたため、のんびりできませんでした…。今度来たらゆっくり散歩したいです。心字池より西に歩くと伊達政宗終焉の地の看板が立っており、仙台藩の上屋敷がありました。
2025年08月09日 MAHARAJA釧路守77
日比谷見附
日比谷公園の一角で訪問がしやすかったです。
2025年04月15日 あさひなと流山守
日比谷見附
立派な見附となっている日比谷公園の一角にあるがこの上からなら何キロも見渡せる
2024年12月08日 ペッカー弾正少弼
日比谷見附
石垣が長く伸び、前の堀の跡が池になってます
2024年11月26日 いしなゆ
日比谷見附
皇居の横にある日比谷公園内にありました。池の隣でほとりには鳥がいました。
2024年06月29日 COVA 信濃守 半之丞⛩
日比谷見附
ここは日比谷公園の入口、心字池の横にある石垣のみが残っています
2023年08月10日 Tenshi49
日比谷見附
地下鉄日比谷駅C9出口から地上の晴海通りと日比谷通りの交差点にある日比谷交番近くの有楽門を目指します❗️もうそご〝日比谷見附〟です‼️案内板をアップします❗️近くには伊達政宗終焉の地の碑もあります❗️
2023年04月29日 あきくん
日比谷見附
日比谷公園内に石垣が残っています。心字池を石垣上のベンチから見下ろすのも一興です。
2022年12月05日 S&K左京大夫
日比谷見附
江戸城日比谷濠と道路を挟み三十六御門の1つ日比谷御門が有っただ所です。三十六御門の中では橋の無い枡形門が有りましたが、明治初期に撤去されました。
現在は石垣と土手が当時を偲ばせています。又日比谷御門側に仙台藩伊達政宗から三代綱宗迄仙台藩外桜田上屋敷有りました。この上屋敷には家康が三度、秀忠、家光が其々四度訪れたと言われており、伊達政宗が1636年70歳の生涯を閉じた終焉の地の案内板が残されています。(3回目口コミ依頼にて写真は撮りませんでしたが、口コミ内容は変えてます)
2022年10月22日 マグロ常陸介祐平
日比谷見附
日比谷公園の有楽門に石垣が残っています。説明板に門、枡形、渡櫓、番所をかこんでいた石垣の一部とありました。伊達政宗の終焉の地としての説明板もあります。少し離れていますが、公園内の日比谷図書文化館には、千代田区の歴史の常設展示場があり、江戸城に関する資料も展示されています。
2022年08月02日 マイクラルーマ右兵衛佐
日比谷見附
日比谷見附は石垣が残ってて凄い迫力満点だったので、もっと残して貰えなかったのは寂しいです。
2022年05月31日 寺蔵人頭にゃん
日比谷見附
遺構は日比谷公園内。道路を挟んで江戸城の立派な石垣も堪能出来ますね。
2022年02月21日 のぶ大宰大弐
日比谷見附
ここが伊達政宗終焉の地とは知りませんでした。見事な石垣と池が綺麗で雪除けが可愛かった
2021年04月01日 楠武蔵守正成
日比谷見附
石垣のみ残っていました。切り込み接ぎが綺麗です。
2020年11月29日 でんろく中務卿パルキー
日比谷見附
日比谷公園の皇居よりの右端にあります。
近くに伊達政宗公最後の地があり、日比谷見附を築城したゆかりの場所である事が理解できた。
2019年03月22日 橘若狭守次郎吉
日比谷見附
日比谷見附は江戸城三十六見附のひとつで日比谷御門の跡。かつては高麗門、渡櫓、番所があったそうです、現在は石垣のみが残っています。石垣には刻印が確認できます。普請は伊達政宗が担当したとのこと。
また、日比谷公園には伊達政宗終焉の地の説明板もありますので、合わせてどうぞ。
日比谷見附の周辺スポット情報
石垣(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
伊達政宗終焉の地説明板(碑・説明板)
トイレ(トイレ)
文化館内ミュージアム(関連施設)
日比谷公園(関連施設)










見附とは敵の侵入を発見するための見張所という意味で、江戸城では俗に三十六見附と言われる多くの見附があった。
この日比谷見附は仙台藩・伊達家によって寛永6年(1629)に築造された。
現在は日比谷交差点となっている場所に枡形の城門があり、日比谷公園の敷地内に石垣の遺構が残されており、公園内には説明板などもある。