毛利甲斐守邸(もうりかいのかみてい)

毛利甲斐守邸の基本情報

通称・別名

長府藩毛利家上屋敷

所在地

東京都港区六本木6

旧国名

武蔵国

分類・構造

屋敷

天守構造

なし

築城主

毛利秀元

築城年

慶安3年(1650)

主な改修者

主な城主

長府藩毛利氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

都旧跡(毛利甲斐守邸跡)

再建造物

説明板

周辺の城

今井城(東京都港区)[1.0km]
太田道灌城(東京都港区)[1.2km]
西久保城(東京都港区)[1.4km]
星ヶ岡城(東京都千代田区)[1.8km]
虎ノ門見附(東京都千代田区)[2.1km]
赤坂見附(東京都千代田区)[2.1km]
渋谷城(東京都渋谷区)[2.2km]
河崎庄司郎館(東京都渋谷区)[2.3km]
喰違見附(東京都千代田区)[2.3km]
高輪大木戸(東京都港区)[2.5km]

毛利甲斐守邸の解説文



毛利甲斐守邸跡(もうりかいのかみていあと)は、東京都港区六本木六丁目にある史跡。長門長府藩主(現在の山口県下関市長府。長州藩毛利家の分家)だった毛利綱元の麻布上屋敷の跡地である。

現在は六本木ヒルズ内の毛利庭園(もうりていえん)となっており、ひょうたん池の傍に跡地である旨を示す標柱が建てられている。

歴史 

慶安3年(1650年)に、初代長府藩主毛利秀元(秀元は文禄4年(1595年)に甲斐守となっていた)が上屋敷として設けた。[1]

毛利綱元が長府藩主であった元禄15年(1702年)、赤穂事件が起こり、吉良義央邸に討ち入った赤穂浪士の岡嶋八十右衛門ら10人がお預けになり、幕府の沙汰を待った。元禄16年(1703年)2月4日同屋敷で切腹した。

享保3年(1718年)3月、第5代藩主であった毛利元矩が亡くなったために長府藩は一時無嗣断絶となるも、同年4月に清末藩主の毛利匡広による長府藩名跡相続により再興された。

嘉永2年(1849年)、のちに陸軍大将となる乃木希典が藩邸の侍屋敷で生まれ、幼年期を過ごした。

幕末には、禁門の変や長州征伐に対する幕府からの仕置きとして、長州藩・清末藩・徳山藩と共に江戸藩邸を没収された。

明治20年(1887年)、増島六一郎が取得して自邸とし、庭園を""と名付ける。

大正8年(1919年)4月、"乃木大将誕生地"として、旧跡(現東京都旧跡)に指定される。

昭和18年(1943年)3月、"毛利甲斐守邸跡"として、旧跡に指定される。

昭和27年(1952年)、ニッカウヰスキーが買収、同社東京工場となる。その後は、東映が買収し撮影所として所有され、昭和52年(1977年)、テレビ朝日(当時のNET)が東映から譲り受けて同社の敷地となると同時に、東映はテレビ朝日の筆頭株主となる。再開発により建設された六本木ヒルズが平成15年(2003年)4月にオープン、デベロッパーの「森」と「毛利」の語呂が良いとして、同ビルの日本庭園が毛利庭園と名付けられる。

毛利庭園 

  • 春にはソメイヨシノが咲くほか、秋には紅葉を楽しめるなど、四季を問わず風景を楽しめる。また冬にはイルミネーションで彩られる演出もある。
  • テレビ朝日の天気予報で、毛利庭園を背景に中継される場合が多い[2]
  • 金のハートがある。

赤穂浪士終焉の地 

預けられた赤穂浪士10名

1.岡島八十右衛門(常樹) 2.吉田沢右衛門(兼貞) 3.武林唯七(隆重) 4.倉橋伝助(武幸) 5.村松喜兵衛(秀直) 6.杉野十平次(次房) 7.勝田新左衛門(武尭) 8.前原伊助(宗房) 9.小野寺幸右衛門(秀富) 10.間新六(光風)

  • 水野家と細川家は赤穂浪士を厚遇したが、毛利家は赤穂浪士を罪人として冷遇したと伝わる[3]
  • 毛利家の意向により、赤穂浪士の墓や顕彰碑の類が藩邸跡に一切存在しない(毛利師就は江戸城の松の廊下にて乱心した水野忠恒から刃傷を受け、師就は吉良義央に倣い刀を抜かずに対応し、重傷を負ったが一命をとりとめた)[4]。庭園名に「毛利」を冠した森ビルも踏襲している[5]

他大名邸における遺構

四十六士がお預けとなり切腹した四大名家の藩邸は、いずれも今日の東京都港区にある。

預先 江戸藩邸 史跡 所在地
細川越中守(綱利) 肥後熊本藩 高輪下屋敷 大石良雄外十六人忠烈の跡 高輪一丁目
水野監物(忠之) 三河岡崎藩 芝中屋敷 水野監物邸跡 芝五丁目
松平隠岐守(定直) 伊予松山藩 三田中屋敷 大石主税良金ら十士切腹の地 三田二丁目
毛利甲斐守(綱元) 長門長府藩 麻布上屋敷 毛利甲斐守邸跡 六本木六丁目

毛利甲斐守邸の口コミ情報

2026年06月17日 尼崎城紀伊守一口城主
毛利甲斐守邸



5/30登城。私事ながら当日は贔屓のラグビーチームの応援の為、夜行バスで上京し、東京駅から試合会場の秩父宮競技場への道中に都内のリア攻めに挑戦‼️私、旧毛利領の山口出身で誕生日が6/17なので自動リア攻め617城目は毛利氏ゆかりの城郭で達成したいなと思っており無事に目的達成✌️
毛利甲斐守邸は東京メトロ🚇六本木駅からひたすら毛利庭園への道標(写真①)に従って進めば辿り着けました。
庭園(写真②)が見えてきて、心の準備をする間も無く説明板(写真③)がすぐ近くに見えたので読んでみました✅
読んでみると毛利元就公の孫(元就公の四男穂井田元清公の子)の秀元公を初代とする長府藩毛利家の上屋敷の一部とのことでした。また、説明板中盤にある通り、赤穂義士の内入後に義士の岡島八十右衛門はじめ十名を預かった屋敷とのことでした。
庭園(写真④、⑤)を散策中、池に宇宙メダカ🐟(写真⑥)も遊泳しているとのことでした🪐
散策後、毛利庭園を最後に一目見ようと振り返ってみたところ、思いがけず東京タワー🗼が庭園の奥の方(写真⑦)に見えてきたので再度池に戻り、池のハートリングのセンターと東京タワー🗼を合わせるように調整して撮影(写真⑧)宇宙メダカや東京タワーなど思いがけない発見があり楽しめました‼️

2026年05月05日 ラッセル下総守【鱗】栗太郎
毛利甲斐守邸



六本木ヒルズとテレビ朝日の間にある庭園。よくテレビ朝日のニュースで天気予報のコーナーの中継で使うところ。これは遺構ではなく六本木ヒルズが出来たとき造った庭園です。

2025年06月15日 マグロ常陸介祐平
毛利甲斐守邸



毛利秀元を初代とする長門長府藩の上屋敷で、大正8年に「乃木大将生誕地」として、昭和18年には「毛利甲斐守邸跡」として東京の旧跡に指定されています。秀元は、毛利元就の四男の穂井田元清の子で、子供のいない輝元の養子となり本来は毛利宗家を継ぐ予定でしたが、輝元に実子(秀就)が生まれたことにより独立しています。

秀元は慶安3年(1650年)ここ麻布日ヶ窪に上屋敷を拝領し、庭園も慶安年間に造られたようです。綱元の代に忠臣蔵で有名な赤穂事件が起こり、岡島八十右衛門ら10名の赤穂浪士がこの屋敷で切腹しています。

明治になっても庭園は生き残り、明治20年にこの地を取得した増島六一郎(弁護士で、中央大学の創設者の一人)は、「芳暉園」と名付けています。

戦後になっても池は存続し、「ニッカ池」として親しまれてきましたが、再開発により池は埋められ、平成15年に毛利庭園として生まれ変わっています。また、江戸時代初期に起源を持つニッカ池は、破壊せずに毛利庭園の地下に埋まっているようです。池に泳ぐメダカは、1994年にスペースシャトル「コロンビア」で、宇宙空間で初めて脊椎動物として繁殖したメダカの子孫のようです。

庭園は、日本庭園ですがハートのオブジェがあり、これがまた周りのビルとマッチしていて、違和感を感じさせないヒルズにふさわしいものです。

毛利邸とは関係ありませんが、六本木駅そばの六本木霊園(幽霊坂に入口がある)には、高鍋藩初代藩主秋月種長と、家康の養女として加藤明成(会津藩主で会津騒動を起こす)に嫁いだ保科正直の娘(高運院殿)のお墓が並んでいます。たまたま通りから立派な宝篋印塔が見えたので立ち寄りましたが、現地で戒名をググるとすぐに身元が判明しました。

2024年12月30日 HAL2000壱岐守
毛利甲斐守邸



六本木ヒルズと日テレ本社の間の庭園。アクセスはしやすいけど、遺構は残っていません。

2024年07月17日 ᴿᴱᴰ副将軍
毛利甲斐守邸



いわゆるテレ朝の毛利庭園

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1650年に毛利秀元により築かれた上屋敷。
毛利秀元は毛利元就の孫にあたり初代長府藩主でもあります。甲斐守を任じられ麻布日ヶ窪の地に大名屋敷を設けました。
1702年には吉良上野介を討ち損じて切腹に処せられた浅野内匠頭に代わって家臣47人が吉良上野介を討った赤穂事件が勃発。藩主である毛利綱元に忠臣蔵の間新六郎ら10名が預けられ、幕府の沙汰により翌1703年に毛利甲斐守邸で切腹となりました。
1849年、陸軍大将となる乃木希典が三男として生まれ、幼年期9年を過ごしています。
その後は、ニッカウヰスキー東京工場、東映撮影所となり、現在のテレビ朝日の敷地となりました。

見所
都市開発により遺構は完全に消失。大名屋敷の庭園跡として現在は毛利庭園として親しまれています。しかし庭園もひょうたん池も六本木ヒルズ開業時に造られたレプリカです。

2022年06月30日 瑞大光之介
毛利甲斐守邸



六本木ヒルズ毛利庭園入口に説明板があります。ここも館跡は瓢箪池を臨む丘の上にある。あらためて赤穂浪士の最後に思いが及びました。武士とは平時にあっても家名の為に生命を賭す存在ですね。

2019年03月17日 橘若狭守次郎吉
毛利甲斐守邸

毛利甲斐守邸は長門長府藩毛利氏の上屋敷です。現在は六本木ヒルズが建ち、敷地に毛利庭園があります。毛利庭園は回遊式の庭園です。

毛利甲斐守邸の周辺スポット情報

 萩藩毛利家下屋敷跡(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 毛利甲斐守邸跡説明板(碑・説明板)

 毛利庭園説明板(碑・説明板)

 香林院(寺社・史跡)

 祥雲寺(寺社・史跡)

 東北寺(寺社・史跡)

 毛利庭園(関連施設)

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