河崎庄司郎館(かわさきしょうじろうやかた)
河崎庄司郎館の基本情報
通称・別名
- 妹尾氏館
所在地
- 東京都渋谷区渋谷3-10
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 河崎重国
築城年
- 応保年間(1161〜1163)
主な改修者
- -
主な城主
- 河崎氏
廃城年
- 不明
遺構
- (発掘調査:掘立柱建物跡)
指定文化財
- -
再建造物
- なし
周辺の城
-
渋谷城(東京都渋谷区)[0.1km]
目黒氏館(東京都目黒区)[1.4km]
井伊氏屋敷(東京都渋谷区)[2.2km]
毛利甲斐守邸(東京都港区)[2.3km]
白金館(東京都品川区)[2.5km]
三宿城(東京都世田谷区)[2.9km]
今井城(東京都港区)[3.2km]
四谷大木戸(東京都新宿区)[3.5km]
太田道灌城(東京都港区)[3.5km]
喰違見附(東京都千代田区)[3.7km]
河崎庄司郎館の解説文
河崎庄司郎館の口コミ情報
2023年12月24日 余語出羽守
河崎庄司郎館
今は高級マンションになっていて、遺構などは確認できない状況でした。
2023年06月04日 コロスケコロコロ
河崎庄司郎館
遺構何も無さそうで、ただ往時に想いを馳せるのみ…。
2023年04月05日 きらら伊豆守
河崎庄司郎館
皆さんお書きのとおり何もありません。ビル建設の際に土台のために掘ったら色々出てきて、調査後は計画通り建設が進んだのでしょう。
2022年12月17日 赤鷺ノ宮右兵衛佐武尊
河崎庄司郎館
渋谷警察署裏、ビルが建ち遺構は見られず。
2022年11月08日 左近衛少将てつ
河崎庄司郎館
跡地付近はビルがあるだけです。遺構は見つかりませんでした。
2022年06月10日 後藤信濃守又兵衛
河崎庄司郎館
渋谷城から明治通り方向に徒歩2分くらいです!遺構みたいなものは見当たりません。霊園付近です。
2021年11月11日 Tenshi49
河崎庄司郎館
JR山手線渋谷駅下車国道246号の渋谷警察署裏東福寺霊苑辺りです❗️
2019年03月12日 橘若狭守次郎吉
河崎庄司郎館
河崎庄司郎館は渋谷氏の祖である河崎基家の孫である河崎庄司郎重国の居館と伝わっています。渋谷城のすぐ近くのマンション付近がその跡だと云われていますが、遺構は消滅しています。
遺構
JR渋谷駅から南西へ徒歩5分ほどの、渋谷川に向かって下る傾斜地に位置する。中世遺跡として渋谷区の埋蔵文化財包蔵地に登録されているが、現在は宅地化によりその遺構を見ることはできない。
2010年に行なわれた集合住宅建設に伴う発掘調査では、江戸時代の土坑、掘立柱建物跡、柵列、ピットなどが検出され、中世の陶器、江戸時代の土器や瓦が出土している。
歴史
前九年の役の功績により、渋谷氏の祖である河崎基家が永承6年(1051)に武蔵国荏原郡を領して以降、河崎庄司郎館のすぐ北側の地に渋谷城(現、金王八幡宮)を築城した。そして基家の孫にあたる重国(庄司郎)が、応保年間(1161~1163)に荏原郡から相模国高座郡渋谷荘までを領し、後に河崎庄司郎館を構えたとされる。享保17年(1732)に菊岡沾涼によって著された、江戸の地名や社寺・名所の来歴を記した地誌『江戸砂子』には、河崎庄司郎館について「八幡の西堀の内というところにあり、古は大堀・築地あり」と記され、同地誌が書かれた頃までは城館としての面影が残っていたことが窺える。
交通
・JR・東急・営団地下鉄各線 渋谷駅から徒歩約5分参考文献
・集合住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書『河崎庄司郎(妹尾氏)館跡遺跡』共和開発株式会社編、2010年12月。