三宿城(みしゅくじょう)

三宿城の基本情報

通称・別名

三宿塁

所在地

東京都世田谷区三宿2(推定地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

吉良氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

吉良氏?

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

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三宿城の解説文

三宿城は三宿塁とも言い、室町時代に世田谷吉良氏の勢力下の城郭であったとされる。

現在、世田谷区立多聞小学校がある付近の高台に存在したとされるが、周囲は完全に住宅街となっており、遺構などを確認することは出来ない。

ただ、現在は暗渠化されている部分が多いものの、北東方面には目黒川が流れており、川に囲まれた高台という地形は確かに城郭を築くのに適していただろうということが窺える。

三宿城の口コミ情報

2021年05月07日 左兵衛督五郎八姫
三宿城

マップが指す場所は小学校。遺構も地図表示も何もありません。

2021年03月21日 長森原
三宿城



世田谷城の東方の守りであった三宿城(多聞寺砦)は、世田谷領の南北の天然の外堀であった北沢川・烏山川の合流地点を東に臨む舌状台地の先端に位置していました。
また、世田谷には、矢倉沢往還と滝坂道(瀧坂道)という古代に起源を持つ2つの古道が東西に通っており、台地上にある三宿城はこの2つの街道の監視の役目を負っていたと考えられます。
特に三宿城北150mの所で、北沢川を渡河して世田谷城下へと侵入してくる滝坂道の監視・掌握は重要な任務だったと思われます。

滝坂道、矢倉沢往還の道筋は、それぞれ現代の淡島通り、玉川通り〜世田谷通りに踏襲されており、三宿城跡にある多聞小と街道の距離・位置関係を今も確認する事が可能です。

写真1.豪徳寺1丁目に設置されている瀧坂道説明板の、中世期三宿城周辺部分のアップ。

写真2.現代地図でも、北沢川を渡河して三宿城(現・多聞小)西方へ侵入してくる滝坂道(現・淡島通り)と、渋谷から世田谷城下へ向かう矢倉沢往還(写真右下のオレンジのライン)を見てとる事ができます。

写真3.三宿城のある台地東で合流して目黒川となる北沢川と烏山川。2つの川は今は暗渠となり緑地遊歩道となっている。

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