碑文谷殿山(ひもんやとのやま)
碑文谷殿山の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 東京都目黒区碑文谷5(推定地)
旧国名
- 武蔵国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- 不明
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- なし
周辺の城
-
奥沢城(東京都世田谷区)[2.6km]
大平砦(東京都世田谷区)[2.7km]
目黒氏館(東京都目黒区)[3.0km]
荏原氏館(東京都品川区)[3.0km]
深沢城(東京都世田谷区)[3.4km]
三宿城(東京都世田谷区)[3.4km]
白金館(東京都品川区)[3.6km]
品川氏館(東京都品川区)[4.0km]
世田谷城(東京都世田谷区)[4.3km]
河崎庄司郎館(東京都渋谷区)[4.3km]
碑文谷殿山の解説文
碑文谷殿山の口コミ情報
2026年01月09日 マグロ常陸介祐平
碑文谷殿山
こちらのサイトの基本情報は、築城主・築城年・主な城主・廃城年とも不明で、遺構は消滅としており、所在地は推定地となっています。解説文も武士の居館が置かれていた可能性は高いとしています。目黒区のサイトを見ると、中世城館跡と認識はしていますが、発掘調査をしていないため詳しいことは分かっていないとしています。日本城郭大系の解説も「この辺は今では平坦な土地になっているが、殿山に続き、「台ノロ」「安藤山」 と、旧碑文谷村西方一帯はやや高い地形となっており、村内には鎌倉古道も通じ、中世の武士が割拠するには格好の地であった。」とし、「この地の領主や居館などについては詳らかではない。」としており、存在自体が怪しいお城となっています。
風土記稿を見ると、碑文谷村の小字の説明として殿山には何の注記もありませんが、殿山同様に村の西側に位置する安藤山は、「昔安藤某と云もの住し處」としており、殿山の地名から安藤某の館と混同して伝わったのかもしれません(勝手な推測です)。
台地は削られて地形は大きく変わったと思われ、お城マークの場所は駐車場となっています(写真1枚目)。
碑文谷は名所の多いところです。
碑文谷八幡宮(写真2枚目)は、畠山重忠の兜の立物に使用したとされる守り本尊を家臣の榛沢六郎が宮野左近をして祀った古社で、碑文谷の名前の由来となる「碑文石(写真3,4枚目)」が見られます。宮野氏は八幡宮の神職として続いています。
円融寺は、天台宗のお寺として慈覚大師により法服寺として創建されたお寺で、鎌倉時代に日蓮上人の高弟日源上人により日蓮宗に改宗され、法華寺として大変栄えたお寺でした。江戸時代に日蓮宗不受不施派が禁教とされ、元禄年間に法華寺は取り潰しととなり、天台宗に再度改宗されて円融寺と改められています。釈迦堂は国の文化財(写真5枚目)、日源上人の五重石塔(写真6枚目)も区の文化財として残っています。墓地には足守藩木下氏や田原本藩平野氏関連の女性の墓、風土記稿に載る武田家の旧臣加藤信重の墓(慶安期の舟形墓石としてはかなり大きい)があります。芸能人やスポーツ関係の墓も多く、墓地の写真のネット掲載はNGとなっています。余談ですが、芸能関係の墓マイラーの方がたまたまいて、芸能関係のお墓を案内していただきました(歴史系マイラーとは別人種でした)。
碑文谷公園には碑文谷厳島神社が鎮座しています。碑文谷の地は旗本神谷氏の知行地で、嘉永年間に神谷正庸に奉献の弁財天像が本殿に奉安されています。おそらく江戸時代初期まで使用された神谷氏の陣屋が、この地に存在したものと思われます。
2025年10月09日 田部朝臣土持安房守
碑文谷殿山
他の方ほぼ全員書かれている事ですが、「正直ここに選地する武士は居ないだろ。」な場所です。そもそも、環七から坂を下って、の位置です。柿の木坂の坂上から見下せるのではないでしょうか。この近辺なら都立大駅の南の位置の方が優れており、尾根端の舌状地で、呑川に三方を守られた地形です。
2023年11月14日 ムサコ美作守【織田】
碑文谷殿山
現地は時間貸し駐車場で、ここを見る限り城ら館があったとは想像しづらいです。
2023年03月28日 Tenshi49
碑文谷殿山
東急 東横線〝都立大学駅〟下車。目黒通り〝都立大学駅前バス停〟で東急バス東98東京駅南口、黒02、黒07目黒駅行き乗車。二つ目〝碑文谷5丁目交番前バス停〟下車 目黒通り ビオセボン碑文谷店、ホンダCar's東京中央碑文谷店の脇道を左折一つ目信号機左東急ベル碑文谷営業所の裏当たりです❣️
2023年02月06日 赤鷺ノ宮右兵衛佐武尊
碑文谷殿山
ゴルフ打ちっ放し練習場裏手の駐車場です。
2022年11月08日 兵部大輔てつ
碑文谷殿山
跡地付近は駐車場になっていて、遺構は見つかりませんでした。近くにある碑文谷公園は沢山の人で賑わっていました。
2022年06月20日 井伊内蔵頭十兵衛
碑文谷殿山
付近には看板や石碑などありませんでした。
2022年05月22日 左衛門督蛙喜
碑文谷殿山
碑文谷殿山は、他の口コミにもあるように、駐車場の14番の地点になります。近くには歴史ある碑文谷公園があり、池には古い厳島神社があります。また、碑文谷の地名の由来となった梵字の石が保存されている、碑文谷八幡宮も近かったので立ち寄ってきました。その他、竹林にある古民家や、サレジオ教会、23区内最古の重要文化財の木造釈迦堂がある円融寺にも立ち寄れます。
2021年05月10日 上総介五郎八(いろは)姫
碑文谷殿山
マップが指す場所は駐車場です。近くの碑文谷公園には縁と思われる戦国時代創建の神社があります。
2017年04月03日 まー刑部卿
碑文谷殿山
石碑も案内板も残ってないのは知っていましたがとりあえずきました。地図上に印されているところは【アトリオドゥーエ碑文谷】前の【NAVIPARK碑文谷第10駐車場】のNO.14の枠の前でした。周りはスポーツジムや住宅地になっており面影もなし。
碑文谷殿山の周辺スポット情報
管理事務所(遺構・復元物)
深沢(遺構・復元物)
鎌倉街道中ノ道・葦毛塚(寺社・史跡)
碑文石(寺社・史跡)
碑文谷八幡宮(寺社・史跡)










現在は宅地化され地形も変わっているが、そもそも高地であったと言われ、近くを街道が通ることなどから、武士の居館が置かれていた可能性は高い。