大平砦(おおひらとりで)

大平砦の基本情報

通称・別名

等々力城

所在地

東京都世田谷区奥沢3(推定地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

大平氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

大平氏?

廃城年

遺構

(発掘調査:空堀)

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

奥沢城(東京都世田谷区)[1.6km]
丸子城(神奈川県川崎市)[2.4km]
碑文谷殿山(東京都目黒区)[2.7km]
小杉御殿(神奈川県川崎市)[2.7km]
深沢城(東京都世田谷区)[2.9km]
荏原氏館(東京都品川区)[3.0km]
馬込城(東京都大田区)[3.3km]
池上氏館(東京都大田区)[3.3km]
瀬田城(東京都世田谷区)[4.5km]
新井宿城(東京都大田区)[4.5km]

大平砦の解説文

大平砦は、世田谷城主・吉良氏の家臣であった大平氏の砦跡とされている。

東京都教育委員会の遺跡地図では現在の奥沢小学校付近を砦跡としているが、遺構などは特に残っておらず、詳細は不明である。

大平砦の口コミ情報

2024年11月03日 城歩き左京大夫
大平砦

学校になっており休日で中に入る事が出来ませんでした。

2023年11月26日 nao86star
大平砦

田園調布駅から徒歩で当地の小学校に接近、環八をまたぎ15分。
もののすこし南には浅間神社あるです、砦からももしかしたら当時は富士山見えてたかもね。

2023年10月11日 ムサコ駿河守
大平砦

現地は小学校で、跡地の看板もない様です。場所柄、写真撮影は控えました。東急目黒線奥沢駅が最寄りですが、自由が丘駅からも徒歩10数分で行けます。

2022年03月05日 左近衛少将てつ
大平砦

奥沢小学校にあったと考えられていますが、周囲に遺跡らしいものは見つかりませんでした。

2021年05月11日 Tenshi49
大平砦

大平砦あとは現在、奥沢小学校の敷地内でそれ以上接近出来ない所でした。写真は撮りませんでした。

2017年05月19日 柏木常陸介マサカド
大平砦

②-10~13
古地図を見ると、北側は現在、道を挟んで北側にある奥沢中学校1947年(昭和22年)設立認可・1948年(昭和23年)木造校舎完成)、東側は50m程先の呑川あたりまで一体となった小山でした。

「goo地図」の古地図にある昭和22年の航空写真を見ると、昭和22年の時点で学校側は平ら(畑?)になっています。正確な年代は調べきれていませんが、第二次世界大戦前には山は削られ耕地化されていると思われます。

東急電鉄及びその前身の「田園都市株式会社」(1918年(大正7年)設立)による沿線開発の過程《 開発当初(1927年(昭和2年)の自由が丘辺りは衾沼や九品仏池(昭和30年代に埋め立て、現・ねこじゃらし公園)などがある泥炭地・湿地帯でした。水っぽい土地を宅地化させるために大量の土砂が必要であった為 》で埋め立て用の土砂として使われたと思われます。
そして、残った土地は耕地化・その後学校となりました。


【参考にしたサイト】
とうよこ沿線ホームページ「写真が語る沿線」
目黒区ホームページ
東急電鉄ホームページ
行け! いけ! 探訪!! 東京の池

2017年05月05日 柏木常陸介マサカド
大平砦

②-4~7
山門をくぐると境内を見渡せます。奥の正面に本堂、右手に墓地、本堂の左手に住職宅と思われる建物、その左側に裏門へ出る階段があります。松や銀杏の大木が印象的ですが、庭木の手入れが行き届いたお寺です。植栽が植えられているところ以外は舗装されていて、遺構はないと思われます。乗用車3~4台は停められると思います。

②-8・9
東側・北側は削平されています。(理由は後述)
一般家屋の2階レベルの所に寺が建っている事から、比高5mぐらいだと思います。

【近隣のコインパーキング】
タイムズ奥沢1丁目(②-8)
東京都世田谷区奥沢1-18   
24時間入出庫可   
8:00~22:00が40分200円

タイムズ奥沢第7
東京都世田谷区奥沢1-28   
24時間入出庫可   
8:00~22:00が60分300円

2017年05月05日 柏木常陸介マサカド
大平砦

②-3 
鉤型になっているニクラシイ(良い意味で)山門。門の手前左側に平成10年に改築した旨が書いてある石碑があります。世田谷区の記念樹木になっているクロマツの大木がお出迎え。また、門の左側には坂があり、クルマでの進入が可能です。

②-4 
境内から山門を撮りました。松の高さをご覧あれ!

2017年05月05日 柏木常陸介マサカド
大平砦

② 口コミや「大平砦」で検索すると、本命視されている「大音寺」。

当地の地頭・渡邊栄之丞の祖先(法名・最勝院)により開基、2世・誠誉の代の元禄(1688~1703)初頭に火災があり焼失、中興3世の香誉上人が渡邊氏の外護により再建、念誉上人(?~享保(1716~1735)間)により開山、明治初年に火災があり同年6月に再建されました。

「大音」の由来は、山頂に見張り小屋を作って野武士を集めてホラ貝を吹き鳴らさせた際に周囲が五月蠅がったことからです。

また、1619年に最勝院(本名不明)の一族が幕府の使者として肥後国熊本へ赴き、そこで客死した際に加藤家(恐らく2代藩主・加藤忠弘)か朝鮮の役に出兵した関係者から大音寺に贈り物があった事から「朝鮮山」「朝鮮丸」とも呼ばれていました。

しかし、物品や文献等は上記の火災により、焼失してしまいました。


【住所】
東京都世田谷区奥沢1-18-3

【交通】
東急目黒線  奥沢駅より徒歩10分
東急大井町線 緑が丘駅より徒歩8分
東急池上線  石川台駅より徒歩12分

2017年04月18日 柏木常陸介マサカド
大平砦

①城マークが付いている場所は現在、奥沢小学校(1933年創立)です。

この地は「出張(=砦)」と呼ばれていたという伝承があったとの事ですが、遺構はありません。

また、幕末期の古地図だと畑の中にある建物でした。

周囲は起伏のある土地で、学校は緩い傾斜地にある為、以前の口コミの通り防衛に不向きかと思います。

2017年02月26日 まー刑部卿
大平砦

奥沢小学校の周りを見たが説明板もなかった。駐車場もなく、小学校前にあるマンション前に幾らかスペースあり路駐(数分程度駐車。)したがすぐそばに【駐停車禁止】の看板有り早々に移動しました。

2012年01月08日 田部朝臣土持安房守
大平砦

 大疑問の地形。城には不適切としか…。
 まず、中原街道(古東海道の一つ)から少々離れた場所で、抑えるには微妙な感じ。出撃にも不便。
 次に、緩傾斜地の途中であり、高所を押さえられたらアウト。
 また、四周どの方向も守りの頼りと出来る地形がない。
 以上のような状態。
 正直、所有していた土地の中心に据えたのでない限り意味不明。
 調べればすぐわかる事ですが、呑川を東の天然の水堀と出来る、大音寺の方が確かに相応しい感じ。
 駐車場は・・・。石川台駅からの歩きで。

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