萩藩毛利家下屋敷跡
萩藩毛利家下屋敷跡([毛利甲斐守邸 遺構・復元物])
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萩藩毛利家下屋敷跡の口コミ情報
2026年08月01日 マグロ常陸介祐平
このサイト登録城である毛利甲斐守邸(長府藩毛利家の上屋敷)から北に約1km、こちらは毛利家の本藩である萩藩の下屋敷です。屋敷は約12haと広大で、東京ミッドタウンと檜町公園の範囲がほぼ屋敷跡となります。
屋敷は寛永13年(1636年)に毛利家が拝領し、檜が多いことから檜屋敷と俗称されていました。庭園は「清水亭」と呼ばれ名園だったようです。また、萩藩の屋敷らしく発掘調査では長州の特産品である萩焼や赤間硯がまとまって出土しています。元治元年(1864年)の禁門の変により、下屋敷は上屋敷と同様に没収となり、建物は破壊されて幕府の勘定所の植物園となり、明治7年になると歩兵第一連隊の駐屯地となっています。歩兵第一連隊は、西南戦争や日清・日露戦争に従軍し、二・二六事件にも関与した部隊です。 敗戦後は米軍に接収され、日本の主権回復後な昭和35年にミッドタウン部分が防衛庁となり、庭園のある檜町公園部分は昭和38年に公園として開園されています。2000年に防衛庁が市ヶ谷に移ると都市計画により再開発が行われ、2007年にミッドタウンがオープンしています。
檜町公園は、下屋敷でも池泉回遊式庭園の清水亭のあった部分となります。現在の庭園はミッドタウンに合わせて作られたもので、登録城の「毛利甲斐守邸」にある「毛利庭園」と同様に榊原八郎によるものです。大名庭園ではなく、現代のものではありますが、大変見応えのあるものでした。









