御殿山城(ごてんやまじょう)

御殿山城の基本情報

通称・別名

太田道灌館

所在地

東京都品川区北品川4(推定地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

太田道灌

築城年

長禄年間(1457〜1460)

主な改修者

主な城主

太田氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

品川氏館(東京都品川区)[1.1km]
梶原氏館(東京都品川区)[2.1km]
高輪大木戸(東京都港区)[2.1km]
白金館(東京都品川区)[2.4km]
荏原氏館(東京都品川区)[3.2km]

御殿山城の解説文

御殿山城は太田道灌館とも呼ばれ、江戸城を築いたことで知られる太田道灌が江戸近辺に築いた多くの城館のひとつである。

歴史
長禄年間(1457~60)に築かれ、太田道灌の居館となった。

のち、太田道灌が江戸城を築くと、ここには宇田川長清(現在の東京都渋谷区宇田川町の由来となった人物)が配された。

江戸時代に入り、将軍が鷹狩りの際に使用する御殿が築かれ、御殿山と呼ばれるようになった。

だが江戸中期に御殿は焼失、その後は多くの桜が移植され、眼下に品川の海を見下ろす桜の名所として江戸市民に親しまれるようになった。

幕末になると、品川台場(現在のお台場)を建造するための土砂採取地となった。

また文久元年(1861)には幕府がこの地に英国公使館を建築するが完成目前に長州藩の尊皇攘夷派志士(高杉晋作、井上馨、伊藤博文ら)によって焼き討ちされるという事件も発生している。

台場建造の土砂採取によって山が崩され、明治以降の鉄道建設でも大きく地形が変わってしまったことから現在では当時の遺構の確認はもとより、城館の正確な場所の特定も難しくなってしまっている。

御殿山城の口コミ情報

山城F玄蕃頭マサカド 様[2017年06月12日]
②品川区北品川3-2-3のJRの線路裏にある「群書類従板木置場」の立て札。
寛政10年(1798年)に国学者で国文学・国史を主とする一大叢書(今の表現で○○全集)『群書類従』の編纂者・塙保己一(1746~1821)がこの地周辺1600坪を板木場として拝借しました。立て札には宝暦9年(1759年)に江戸城二の丸用の土取り場の跡地になっていた場所と書いてあります。幕末の江戸幕府にとっては、少なくとも100年程前からこの地は土取り場として認知されていたのでしょう。

山城F玄蕃頭マサカド 様[2017年06月12日]
①googlemapに掲載されていた「品川台場土取場跡」の場所。現地は品川女子学院の敷地にある貯水タンクと思われる施設裏にある藪でした。外からは石碑などは確認できませんでした。品川台場建造に当たって、この御殿山や泉岳寺の一部が切り崩され、土砂が使用されました。また、御殿山通りを西へ向かうとJRの線路(御殿山を分断して敷設しました。)や越えた先に御殿山トラストコート、更に越えると「御殿山」の名を冠する住宅街がちらほら、よって遺構は残っていないと思われます。

田部朝臣土持左衛門佐様[2011年12月12日]
実際に歩き回ると、ホテルの位置に城館があったというのは疑問。
かなりの広範囲が城地でなければならず、防衛がかなり不安な感じ。
かえって、品川神社がある、この台地の南端の方が相応しい印象。
帰宅後、古地図を検索。結果、神社の北側の道は古くからあるものの様で、やっぱりこれは堀切が道になったのでは?との疑惑が…ただ、少々手狭なのが難。また神社の方が古い。連郭式の一つで井戸廓かも…
車より北品川駅からの徒歩が良い。

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