梶原氏館(かじわらしやかた)

梶原氏館の基本情報

通称・別名

伝梶原氏館

所在地

東京都品川区東大井3(推定地)

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

梶原氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

梶原氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

浜川砲台(東京都品川区)[0.6km]
品川氏館(東京都品川区)[1.9km]
御殿山城(東京都品川区)[2.1km]
新井宿城(東京都大田区)[2.4km]
荏原氏館(東京都品川区)[2.7km]
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高輪大木戸(東京都港区)[4.2km]
行方氏館(東京都大田区)[4.2km]

梶原氏館の解説文

梶原氏館は、後北条氏の家臣で馬込村(現在の大田区~品川区付近)を領有した梶原氏の居館である。

JR大井町駅付近の来福寺近辺が館跡とされるが、遺構などは残っておらず詳細は不明である。

梶原氏館の口コミ情報

2023年03月26日 源山城守@ポンコ2…㉔㉕
梶原氏館



浜川砲台から歩いて15分ほどで推定地の来福寺に。来福寺は、北から続く段丘の端にあり、山門のある東側は緩やかな斜面に、南側は厳しめ斜面になってました。遺構はないものの、地形より館があったように伺えました。

『小田原衆所領役帳』より小田原北条氏家臣の梶原氏役高と記されてる事が館の由来になってますが、来福寺の北の住宅地にある梶原稲荷神社は梶原景時に由来すると社殿脇の説明書きにあります。この梶原稲荷神社、かつて来福寺境内にあったそうです。どちらの梶原氏の館なんでしょう。

2022年12月08日 鉄武蔵守紺太郎信繁
山内容堂公墓所[梶原氏館  遺構・復元物]



幕末の四賢侯の1人と評価される尊皇家であり佐幕派であった山内豊信/容堂のお墓。なのにとても質素な墓所。故郷ではなく江戸屋敷の見晴らし良い場所に埋葬を願ったらしい。しかし今は海岸線も遠ざかり京急の高架とビルが視界を覆う。

2022年12月08日 鉄武蔵守紺太郎信繁
梶原氏館



久しぶりに訪問。先人たちが書いていた檀家以外立入禁止の看板は無くなっていましたが遠慮がちに見学させて頂きました。門の彫刻は誰の作か分かりませんけど手が凝ったものです。参道階段の落ち葉は秋の良い雰囲気を醸し出してました。

2022年03月10日 くるみ丸
梶原氏館



先人の言うとおり 檀家以外立ち入り禁止の看板。出入り口から チラ見

2021年02月19日 たのさん
梶原氏館



お寺の境内には檀家の方しか入れない旨の看板が数カ所あり入りづらいです。
むしろ立会川駅近くの龍馬銅像の方が土佐藩下屋敷と関連性で楽しめるかと思います。

2018年09月05日 橘若狭守次郎吉
梶原氏館

来福寺、梶原稲荷神社が館跡とされています。京急本線「立会川」駅から徒歩10分くらいです。途中、浜川中学校の国道15号線側のフェンスに “土佐藩下屋敷跡” の説明板があります。

2012年12月20日 田部朝臣土持安房守
梶原氏館

来福寺の裏手に梶原稲荷神社なるものがある。元々は同一敷地だったとの事で、名前からして明らかな関係があった証拠。地勢からすると、東海道を管制下における段丘上で東側の守りは堅く、西側には立会川が南北に切れ込み、南に回り込んでいる。つまり北側に堀切りを造れば良いだけの好適地である。

梶原氏館の周辺スポット情報

 山内容堂公墓所(遺構・復元物)

 土佐高知藩下屋敷(碑・説明板)

 梶原氏館(その他)

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