栃木城(とちぎじょう)
栃木城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 栃木県栃木市城内町1(栃木城跡公園)
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 皆川広照
築城年
- 天正19年(1591)
主な改修者
- -
主な城主
- 皆川広照
廃城年
- 慶長14年(1609)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(栃木城址の一部)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
御城(栃木県小山市)[3.0km]
榎本城(栃木県栃木市)[5.6km]
皆川城(栃木県栃木市)[5.9km]
壬生城(栃木県下都賀郡)[7.6km]
小山城(栃木県小山市)[8.1km]
鷲城(栃木県小山市)[8.7km]
西方城(栃木県栃木市)[11.1km]
薬師寺城(栃木県下野市)[11.5km]
中久喜城(栃木県小山市)[11.9km]
不摩城(栃木県栃木市)[12.6km]
栃木城の解説文
[引用元:Wikipedia「栃木城」の項目]
栃木城(とちぎじょう)は、栃木県栃木市城内町(下野国都賀郡栃木)にあった日本の城(平山城)。皆川広照が築城し、栃木町を繁栄させる基盤となった。栃木市指定史跡。
概要
皆川氏の居城を山城である皆川城から平城に移す計画自体は天正年間の初めから始まっていて、寺社を皆川からこの付近に移転させていたことからもそれが見られる[1]。しかし、3万5千石の小大名である皆川氏にとっては、新しい城を造ることが簡単ではなかった。そんな中、天正18年(1590年)の小田原征伐に際して皆川城は落城または開城し、広照は翌天正19年(1591年)[2]、皆川広照によりこの城が築かれるにいたった。
城は1年ほどで完成し、広照は城下町の構築を始めた。当時の栃木は荒れ地であったが、広照の政策によって繁栄を見せ、江戸時代に日光例幣使街道の宿場・栃木宿として巴波川の舟運で栄えることとなった。
慶長14年(1609年)、将軍徳川家康による広照の改易と[3]、城取り壊し政策により廃城となる。築城からわずか19年間という短い歴史であった。その後、栃木町は支配者の変遷を繰り返したのち足利藩領になり、その陣屋は宝永元年(1704年)栃木城内に設けられた。それから寛政元年(1789年)に北遷し、現在の薗部山満福寺南側から栃木簡易裁判所にかけての場所に移された。
城跡の一部は1972年(昭和47年)8月28日に市指定史跡となり[4]、翌年からの整備事業で児童公園の栃木城址公園に生まれ変わっている。城の名残としては、L字型の堀と小高い築山が残っている。
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栃木城の口コミ情報
2024年11月01日 治部卿丸に澤瀉
栃木城
現在では公園になっていました。公園内でも少し小高い丘になっている部分が天守跡と言うことになっていました。
2024年09月17日 尼崎城駿河守一口城主
栃木城
8/11、JR及び東武鉄道の栃木駅周辺に泊まっていたところ宿泊先から約1キロの場所に栃木城があったので早朝散歩で登城。Gマップに従って進軍していくと城郭付近にラーメン屋さんがあり店舗名が<城内店>だったのでテンションが上がってきました。目印になるラーメン屋さんから城郭方面への路地を進んでいくと皆川氏の家臣の坂本與兵衛さんがお殿様から貰ったという巻物📜(写真①)や栃木城の説明板(写真②)がありました。説明文終盤に城内という地名が残ると書かれていたのでラーメン屋さんの店舗名もやはりお城ゆかりの地名だったんだなと嬉しくなってきました🍜写真①②の案内板から右(東方面)に進むとすぐに栃木城址公園(写真③)に到着。本丸跡の雰囲気のある高台(写真④)に上がってみると石碑(写真⑤)が建っていました。高台入口の説明板(写真⑥)を読んでみると下部にH20年の発掘調査で北条氏の特徴の障子堀や徳川家の三つ葵紋の信楽焼きの一部が発見されたとあり、戦国の大勢力と深い関わりのある城郭だったように感じられました。
本丸跡見学後は城址公園の外周を散策し、戦国の空気感漂う本丸の林を北側から撮ったり(写真⑦)や堀(写真⑧)を見て下城。
2024年08月20日 昌幸近江守晩秋リア旅
吹上城[栃木城 周辺城郭]
皆川氏の持ち城だった吹上城。
皆川氏は戦国時代は皆川城、江戸時代は栃木城を居城としましたが、この城は特に戦国時代の宇都宮氏に対する、皆川城防衛の拠点としての意味合いが強く、城主も一族の膝附氏が治めていました。
皆川氏改易により吹上城は一時表舞台から消えますが、江戸時代末期に領地替えのため有馬氏郁が着任すると、吹上藩として復活し本丸に陣屋が置かれました。
吹上中学校となった現在、残念ながら遺構の多くは失われました。ですが中学校南の住吉神社に堀跡を見ることができます。そして中学校西の正仙寺の墓地には鎌倉から明治に至るまでの吹上地区に関連する墓碑があり、膝附氏のものも祀られています。
車は中学校の近くに父兄の送迎用と思われる駐車場があり停められますが、場所が場所なだけに不審者と思われる行動は慎みたいものです。
【写真の説明】
①吹上城遠景
②本丸土塁
③段郭だったと思わせる地形
④当時は堀だったのかも
⑤住吉神社
⑥神社東側にある堀跡。中学校から繋がっている
⑦神社西側の堀跡
⑧正仙寺墓地にある膝附氏の墓碑。ジガバチの巣がありました。ご注意されたし。
2024年06月20日 マグロ常陸介祐平
大宮城[栃木城 周辺城郭]
大宮神社(写真5枚目)周辺が城址となります。最初に大宮小太郎が築城(御城・北城)、その後、小山氏が北側に支城を築いたとされているようです。隣接する如意輪寺(写真7枚目)には、小山氏の祈願所として建立されたとの伝承があることから、小山氏の関連とするのが自然なような気がします。気になるところでは、立地的には壬生城に約6㎞と近く(祇園城まで約10km、皆川城まで約7km)、大宮神社の氏子で近隣の光永寺を菩提寺とする赤間氏が壬生氏の家臣の赤間小四郎(五貫)の一族だとすると、壬生氏関連の城の可能性もあるように思われます。
また、「北城」の屋号を持つ松本氏は、松本の文字が刻まれた天文6年の五輪塔が土塁上に存在していたようで、城との関連が考えられているようです。
廃城の経緯なども不明ですが、江戸時代になると江戸城で刺殺された大老堀田正俊の次男正虎が、1684年に2万石を分知されてこの地に大宮藩が立藩、陣屋が置かれています。1694年に兄の死により福島藩を継いだことで大宮藩は廃藩となっています。陣屋の置かれた期間は僅か10年でした。
遺構として、神社の南東側に数年前までハッキリとした土塁や堀が残っていたようですが、残念ながら消滅していました。現在残る遺構としては、陣屋跡付近の鳥居のある土塁の痕跡(櫓台?写真3枚目)、神社を囲むように流れる用水路(写真1,4枚目)、神社東側の窪み(写真2枚目)、神社から東に150mに位置する普賢院裏の土塁のような土盛り(写真8枚目)が見られます。
2022年09月26日 大膳大夫しろし
栃木城
最後の進入路がとても狭いですのでクルマで行く場合は、気をつけて。
2022年03月08日 芦屋能登守虎吉
栃木城
栃木駅から徒歩15分ほど、岩下の新生姜ミュージアムのほど近くにひっそりとあります。地元の人にもあまり知られていないみたいですが、松平忠輝と縁の深い皆川広照が皆川城から移ってきた際の城郭で、当時はなかなかの規模があったみたいです。
今は堀跡と少しの高台を遺し遺構はありませんが、家臣・坂本氏に下賜された巻物の展示が近隣にあり、その隣に「坂本」の表札のある立派な家屋が。
2022年02月12日 しゅう関白
栃木城
皆川城はなかなか狭い道の中にあり車の置き所に四苦八苦しました。城近くには皆川氏を支えた坂本氏のお家発見。武士から農民になったそうです。主君を失ったからなのでしょうか。しかし3軒くらい坂本の表札を見て、城のすぐ近くに住み、廃城後から現在までの移り変わりを先祖代々見てきたであろうと想像したら羨ましいし、これからも守ってほしいと思いました。
2021年06月26日 マグロ常陸介祐平
栃木城
城址は公園になっており、築山とL字の水堀?があります。城址の前には、皆川家の家臣で帰農した坂本家が城を守った褒美として頂いた連歌の巻物を公開しています。
2021年04月12日 ひより修理大夫
栃木城
整備されて公園になっています。車が入るにはちと道が狭い。駐車場はありません。バイクで行きました。
2021年01月16日 お摂政
吹上城[栃木城 周辺城郭]
栃木城の支城。皆川氏改易時に廃城。江戸時代後期に有馬氏の陣屋が置かれ、吹上藩が成立した。説明板の他、堀や土塁が見られる。
2021年01月16日 お摂政
栃木陣屋[栃木城 関連施設]
江戸時代の陣屋の跡だが、説明板を含めて何も無い。
2020年10月18日 tosono 左馬助
栃木城
栃木藩と宇都宮藩になったのか?と思う。そんな歴史があるんだ。
近くに行ったとき 道が狭いので注意しましょう。北側に 数台の駐車スペースがある。トイレがあることは、公園として整備されている証しです。
2015年12月28日 まー刑部卿
栃木城
城跡に入って行く道は細くて狭く駐車場もありません。近くのカワチ薬品の駐車場に停めて歩いて行くと先人の坂本家というところで巻物が見れるようです。また城跡に公民館がありそこに栃木城址保存会資料室があるのでそこで資料も見れるようですが市役所に問い合わせするといいでしょう。普段は閉まっています。堀や土塁の跡が一部残存してます。
2012年12月25日 鳳雛SASlov優彩
栃木城
見るべきものはありません。
近場の民間で、皆川山城守家臣、坂本興兵衞公の巻物(コピー)を見せて頂けます。
それに合わせ話しも聞く事も出来ます。