吹上城
吹上城([栃木城 周辺城郭])
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吹上城の口コミ情報
2025年07月15日 マグロ常陸介祐平
皆川広照の祖父成勝の甥、膝附又太郎宗長が居城したと伝わるようです。膝附氏は関東幕注文にもその名が見られます。慶長14年に皆川氏が忠輝の問題で改易になると、吹上城も廃城になったようです。江戸時代末期の天保13年(1842年)に、上総五井から有馬氏郁(吉宗の側近、氏倫の子孫)がこの地に移封してくると、城の跡地に陣屋を築いています。
城跡は吹上中学校が建ち、ほとんど遺構は見られません。中学校の入り口の坂付近はお城らしさを感じますが痕跡かどうかはわかりません。先人様の口コミに記載させている住吉神社脇の空堀は、薮となっていますが、何とかわかりました。説明板には、栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部に向かう道に沿って空堀が残るとしていますが、こちらは未確認です。
中学校の西側にある正仙寺には、家臣により再建された膝附又太郎の墓碑があります。また、西に隣接する山の斜面からは約70基の五輪塔群や31枚の板碑が出土しており、南北朝時代の文献で見られる「吹上御陣」が置かれた場所で、藤原秀郷系又は島津氏系の武士団ガ存在していたようです。
2024年08月20日 昌幸近江守更に吉
皆川氏の持ち城だった吹上城。
皆川氏は戦国時代は皆川城、江戸時代は栃木城を居城としましたが、この城は特に戦国時代の宇都宮氏に対する、皆川城防衛の拠点としての意味合いが強く、城主も一族の膝附氏が治めていました。
皆川氏改易により吹上城は一時表舞台から消えますが、江戸時代末期に領地替えのため有馬氏郁が着任すると、吹上藩として復活し本丸に陣屋が置かれました。
吹上中学校となった現在、残念ながら遺構の多くは失われました。ですが中学校南の住吉神社に堀跡を見ることができます。そして中学校西の正仙寺の墓地には鎌倉から明治に至るまでの吹上地区に関連する墓碑があり、膝附氏のものも祀られています。
車は中学校の近くに父兄の送迎用と思われる駐車場があり停められますが、場所が場所なだけに不審者と思われる行動は慎みたいものです。
【写真の説明】
①吹上城遠景
②本丸土塁
③段郭だったと思わせる地形
④当時は堀だったのかも
⑤住吉神社
⑥神社東側にある堀跡。中学校から繋がっている
⑦神社西側の堀跡
⑧正仙寺墓地にある膝附氏の墓碑。ジガバチの巣がありました。ご注意されたし。
2021年01月16日 お太閤
栃木城の支城。皆川氏改易時に廃城。江戸時代後期に有馬氏の陣屋が置かれ、吹上藩が成立した。説明板の他、堀や土塁が見られる。