赤木名城(あかきなじょう)

赤木名城の基本情報

通称・別名

所在地

鹿児島県奄美市笠利町赤又の池他

旧国名

大隅国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

12〜13世紀

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、竪堀、腰曲輪

指定文化財

国史跡(赤木名城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

楠川城(鹿児島県熊毛郡)[235.0km]
伊是名城(沖縄県島尻郡)[241.7km]
根謝銘城(沖縄県国頭郡)[245.4km]
今帰仁城(沖縄県国頭郡)[261.5km]
名護城(沖縄県名護市)[266.2km]
伊江城(沖縄県国頭郡)[267.4km]
漢那城(沖縄県国頭郡)[279.0km]
恩納城(沖縄県国頭郡)[282.5km]
赤尾木城(鹿児島県西之表市)[283.9km]
泊城(沖縄県うるま市)[285.4km]

赤木名城の解説文



赤木名城(あかきなじょう)は、鹿児島県奄美市笠利町(奄美群島奄美大島)にあった日本の城。12世紀に築かれ、17世紀まで使用が確認された。国の史跡に指定されている。

概要 

奄美大島の北部の笠利湾赤木名港の奥、赤木名集落を後背から見下ろす標高約100メートルの丘陵にある山城。南北350m、東西800m、面積37000m2と比較的小規模の城の多い奄美群島では大型の城になる。曲輪、土塁、堀切、竪堀など本土的な構造が確認されている。山道は複数あるものの大手口は現在まで確認されていない。 赤木名城の建てられた山は聖山とされており、城跡の周辺には秋葉神社・観音寺(移転済み)・菅原神社・厳島神社といった建築物が見られる。かつてはノロの祭を行う場所であったとの伝承もある[1]。毎年10月に開催される招魂祭相撲では秋葉神社側の湧水で力水を汲むのが伝統である。 近年は史跡内での耕作・木材利用のための間伐が放棄されており、荒れつつある史跡の管理・保護が問題となっている。

歴史・沿革 

出土物と歴史的資料から以下の三つの段階に分けられる。

11世紀後半〜12世紀前半

本土での平安時代〜鎌倉時代に相当。地下からこの時期の土坑が発見されているがどのような施設があったかは不明。 日宋貿易が盛んな時期であり南西諸島でも硫黄貿易・夜光貝貿易など経済活動が活発化した。土坑からもカムィヤキ・滑石・石鍋など当時の物品が発掘されている。 なお地下からは帰属年代不明の土坑・ピットも発掘されている。こちらの土坑には多数の鉄滓と焦土面が認められ、鍛冶の技術が導入されていたことが窺える。

14世紀後半〜15世紀

本土での南北朝時代〜室町時代に相当。 沖縄本島を中心として琉球国家が急速に形成された時期であり、また倭寇の活動が盛んだった時期でもある。これを受けてか南西諸島で多くの山城・グスクが形成され始める。赤木名に山城が築かれたのもこの頃と考えられ、当時の物品である中国製の青磁などが出土している。 15世紀中盤〜17世紀初頭からは琉球の統治下に置かれる。背後の大笠利に笠利間切の蔵本が設置されており、海上交通と軍事において重要な拠点となっていた。

17世紀後半〜18世紀前半

1609年の琉球侵攻の際に島津軍が笠利湾を訪れ、これ以降赤木名を拠点に薩摩藩の統治下に置かれる。赤木名城の城跡も整備され現在の形になる。当時の物品として肥前の陶磁器などが出土している。 秋葉神社・観音寺はこの時期に建立され、また菅原神社も幕末には存在していたことが確認されており、聖地としての性格を考えるにあたって重要な時期である。

構造 

九州本土の城郭に見られる、尾根を三つの連続する堀切で南北に二分した構造を持つ。

北部

山の最高点を中心として南北22m・東西13mの平場をなす曲輪があり、主郭のあった場所と考えられている。これの周囲に土塁と石積みが存在する。

南部

大きな曲輪を取り囲むように七つの帯曲輪が斜面に作られ、斜面下方には多くの竪堀が存在する。竪堀によって外敵の移動を制限し、帯曲輪下方に誘導して射撃するという設計だったとの考察がある[2]。帯曲輪の一部はかつて耕作地として利用されており、非常時の食料となるソテツが栽培されていた[3]

特徴・学術的価値 

中国大陸からの影響で城壁の発達している琉球のグスクと比較すると、石材がほぼ加工されていない・防衛機能がやや低いという特徴が見られる。特に加工した石材の少なさは同じく防衛機能の低い先島諸島のものと比べても際立っている。 かつて奄美大島の城は沖縄におけるグスク研究の周辺事例という扱いだったが、先述のような本土の特徴が認められる城跡が赤木名城・伊津部勝グスクなど複数確認されており、九州から沖縄県にかけての歴史を考察するにあたり重要なものとなった。特に赤木名城は規模が大きく特徴が顕著であり、これによって2009年(平成21年)2月12日に国の史跡に指定された。

参考文献 

史跡赤木名城跡保存管理計画書 奄美市教育委員会.2017年1月29日閲覧(https://www.city.amami.lg.jp/bunka/kyoiku/bunka/bunkazai/documents/akakinajoatohozonkanrikeikusyo.pdf)
付編 史跡赤木名城跡をめぐる歴史的概観 奄美市教育委員会.2017年1月29日閲覧(https://www.city.amami.lg.jp/bunka/kyoiku/bunka/bunkazai/documents/akakinajoatohozonkanrikeikakusyohuhen.pdf)
赤木名城 奄美市教育委員会.2017年1月29日閲覧(http://bunkaisan-amami-city.com/user-lib/2015-24.pdf)

赤木名城の口コミ情報

2023年07月08日 SHIN
赤木名城

本日リア攻め。先人の教え通り、神社の左側に山道があり、そこを登ると本丸跡まで行けます。昼間はハブが活動していないと信じ、進みましたが蛮勇だったかもしれません。あと、オオジョロウグモの巣が大量にありますので、攻略は冬がいいと思います。夏はクモの巣除去のため、ハブよけの赤い棒をブンブン振り回しながらの登山となり体力を使います。また、けっこう急な山道で、夏は温度と湿度でも体力を奪われます。本丸跡(山頂)はある程度の広さがあり、入り口に堀切、曲輪の配置を記した(草に埋もれかけの)説明板がありますか、堀切はよく分かりませんでした。先週の雨のせいもあるかもしれませんが、道もけっこう崩れており、足元はかなり注意してください。最後に私は山頂から下りるとき、来た道が分からなくなり焦りました。本丸跡側から見ると山道は丈高い草に覆われていて非常に視認しづらいです。本丸到着時、必ず退路を確認することをお勧めします。

2023年01月10日 ファン掃部助トム治郎
赤木名城



学校脇の秋庭神社の鳥居をくぐってすぐ左に尾根へのとりつき道があります。15分くらい登ると1m弱まで草が繁っておりハブとの遭遇が危惧されましたので攻城を断念しました。

2022年02月10日 ( *¯ ³¯)っ旦
赤木名城

2月10日に行きましたが、草ほーぼー、道は有ってないような道。かなり根性いれてもう少し、というところまで登りましたが断念…半分くらい登った大きな段差のところでリア攻め可能。赤木名中学校と郵便局の間から入って行きますが、タクシーで空港から1500円足らずですが、めっちゃスピードを守ります!良いことなんですけどね…(´Д`υ)

2021年10月08日 :::真田安房守持郎❖
赤木名城



赤木名郵便局の前に車を停めさせて頂き、赤木名城跡の山頂を目指しました。
先人の方の口コミからどう変わっているかと期待しましたが、更に薮は成長していたようです。
近所だったら刈り払い機持ってきて刈りながら登りたかったです。
30mも登らない位置で諦めました、民族資料館でも郵便局でもハブには気をつけて下さいと言われ弱気になりました。
そんな私を元気にしてくれたのが、目の前の赤木名中学校の生徒達でした。
薮の中からガサガサ降りてくる私に何人もの生徒が「こんにちはー!」と元気に声を掛けてくれました。
こちらも元気に「こんにちはー!」と返し少しはなしました。みんなこの赤木名城跡には登った事がないそうです。

以上、山城の防御は完璧でした。笑

2020年11月25日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
赤木名城



石碑左側より登頂を試み、ロープを頼りに藪だらけの中を登り始める…30m程進んだら首から下がひっつき虫に侵されてる事に気づく…ほれ緊急事態よ!!
磁石と砂鉄の実験思い出してみ〜あんな感じよ

11/25現在

2018年02月21日 摂津守いくpika
赤木名城

やはり先達の情報通り駐車場が無い(路駐か郵便局かAコープか赤木名中学校に交渉するかは完全に自己責任で)事と、雨とハブにびびってリア攻めは断念。

しかし、あやまる岬のすぐ近くにある奄美市歴史民俗博物館で職員の方に尋ねた所、赤木名城の立派なパンフレットを頂けました。
電子ミュージアム奄美と言うサイトからPDFで見ることも出来ます。

また、車に戻っていたらその職員の方が車まで追い掛けてくれて、奄美市笠利地区におけるグスク分布と言うパンフレットを頂けました。

二つとも立派なパンフでしたので、ヤブもハブも厭わないリア攻め派の方も是非お立ち寄りを。

2017年10月09日 カーネル
赤木名城

奄美空港から直線で3.6km
空港前の県道82号線を渡り、開けた生活道路を西へ歩く。一人で知らない土地を歩くのには、いい雰囲気です
20分ほどで、正面に大きな会社があるT字に出るので、右折して北へ進むと県道601号線にでるので左折して西へ
歩道が広く下り坂で快適。JAを過ぎたあたりで右を見ると小山があってこれが赤城城

赤木名中学校の西の脇を歩くと「国指定赤木な城跡」と看板があり、気分も高まる
学校に沿って歩き、道は左斜めに向かうが、そのまままっすぐ狭い路地を進むと、秋葉神社の鳥居が見えます
階段を1分ほど登れば城の石碑と案内図もあります。少し戻って看板に従い山道を上れば10分ほど登れば、最初の曲輪で南国風の木々と土塁の組み合わせは新鮮
堀を越えて先に進むと本丸。ここまで1時間半。往復して3時間ちょい。疲れた


2016年03月20日 征夷大将軍もんたろう
赤木名城

名瀬の観光案内所に赤木名城と集落の資料(1枚もの)があったので、窓口の方に、城の最寄りの駐車場を聞きましたが、ないとのこと。でも、わりと路駐で平気な所なので、城と合わせて集落の散歩を勧められました。ちなみに資料では駐在所と消防署の間に駐車場があることになってますが、現地に表記がないので、断念して、Aコープの駐車場に駐めました。
登城道は蜘蛛の巣だらけでした。蜘蛛の平気な相棒を連れ行きましょう

2013年02月21日 鷹征夷大将軍鍛治
赤木名城

秋葉神社を中に入ると登城口に出ます。15分程登ると平らな場所に出て、ここに解説板2ヶ所確認できます。道はあまり整備されておりませんので踏破される方はご注意を。あとハブにも…

2012年06月17日 おしげ
赤木名城

赤木名中学校の裏手に登山口があります。近くに駐車場は無さそう…

赤木名城の周辺スポット情報

 説明板と縄張り図(碑・説明板)

 登城口(その他)

 登城口(その他)

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