桜馬場城(さくらばばじょう)

桜馬場城の基本情報

通称・別名

鶴城

所在地

長崎県長崎市片淵

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

長崎氏

築城年

室町時代?

主な改修者

主な城主

長崎氏(大村氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

なし

周辺の城

長崎台場(長崎県長崎市)[5.6km]
福田城(長崎県長崎市)[6.6km]
中尾城(長崎県西彼杵郡)[7.0km]
戸石城(長崎県長崎市)[7.4km]
琴尾山烽火台(長崎県諫早市)[10.4km]
俵石城(長崎県長崎市)[11.0km]
久山城(長崎県諫早市)[13.2km]
伊賀峰城(長崎県大村市)[15.3km]
玖島城(長崎県大村市)[16.8km]
諫早城(長崎県諫早市)[17.6km]

桜馬場城の口コミ情報

2023年12月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
眼鏡橋[桜馬場城  寺社・史跡]



長崎県の長崎市にある【眼鏡橋と石橋群、桜馬場の石切丁場】♪今日は城郭ではありません♪長崎市内に流れる中島川には、幾つもの石造りのアーチ橋が架かります♪この中島川は長崎観光の名所の1つとも言えるでしょう♪『眼鏡橋』は『日本橋』『錦帯橋』と並ぶ日本三名橋とも呼ばれています♪

この石造りのアーチ橋の起源は、江戸時代初期の寛永時代です♪眼鏡橋は寛永11年(1634年)興福寺の唐僧黙子如定禅師(中国の僧)の手によって造られています♪唐僧黙子如定禅師は、中島川の氾濫の度に橋が流されるのを見かねて、中国から石工を呼び寄せ建造したと言われています♪
正保4年(1647年)中島川の洪水により被害を受け、翌年には平戸の石工と伝えられる平戸好夢によって最初の大修理が行われました♪
元々は水面に映る姿がめがねの様で、古くより、『めがね橋』として親しまれていました♪
明治15年(1882年)正式に『眼鏡橋』と命名されて、1960年に国の重要文化財に指定されました♪

その石橋群の石を調達した場所が桜馬場城とも伝わっていて、龍頭巌と呼ばれる、往時の桜馬場城の岩壁の場所です♪この、桜馬場城は以前にも写真投稿している長崎氏の城郭です♪今回は、長崎市内、石橋群の石材の調達場所として訪れました♪
岩壁には今も矢穴の跡が残り、矢場取の跡が残っていました♪ふとした場所にも、歴史がある♪面白かった〜♪

2023年04月23日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
グラバー園[桜馬場城  寺社・史跡]



長崎県の長崎市にある【グラバー園】♪時は江戸時代末期♪南山手の高台に居住した外国人商人の居留地となります♪

1858年(安政5年)江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヵ国と修好通商条約を結び、新たな時代に進む日本へ夢を抱いた外国人商人が集まりました♪開港都市となった長崎です♪

居住者はトーマス・ブレーク・グラバー♪
長崎開港直後に来日したグラバーは、造船と採炭の技術を日本にもたらしました♪
来日後にはグラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、薩摩藩、長州藩や後の明治政府の要人とも深い関係を築きました♪因みに奥様は日本人のツルです♪

更に居住者のフレデリック・リンガー♪
英国人の貿易商のリンガーは若くして英国・ノリッジから東アジアへ渡り、1865年から茶の貿易の監督官として長崎でグラバー商会に勤務しています♪グラバー商会の幹部としてやって来たリンガーですが、明治元年(1868年)にはホームという人物と共に大浦にホーム・リンガー商会を設立しています♪因みに外食チェーンのリンガーハットの社名は、このリンガーに因んで名付けられています♪

更なる居住者はウィリアム・ジョン・オルト♪安政年間(1859年頃)に長崎に来訪したイギリス人商人で文久年間から慶応年間(1860年代)にかけ、南山手と大浦に製茶所を持っていました♪後は旧ウォーカー住宅などの居住地がありました♪

長崎港を見渡す南山手の丘陵地には日本風の屋根瓦に覆われた洋風建築が立ち並び、各国から集まった外国人商人の日常がそこにはありました♪
居留地時代から残る外国人の住宅と長崎市内に点在していた洋館が集まるこの地では、幕末から明治の長崎の歴史を感じることができます。石畳や石段、長崎港を一望できるロケーションは素敵すぎます♪

2021年01月30日 宝町奉行所
桜馬場城

山頂に大岩ゴロゴロ、たぶん築城には苦労したろうが長崎市の岩盤地質を改めて実感した、古墳時代の巨岩信仰も彷彿とさせる、岩盤の壁は秀逸、圧巻

2021年01月23日 大納言Z周防守369
日本二十六聖人殉教記念碑[桜馬場城  碑・説明板]



豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって、フランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された場所です。

キリストが十字架にかけられて処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、長崎の西坂の丘で処刑されることを望んだといわれており、1597年2月5日に26人は群衆が見守る中、磔にされて刺し貫かれて処刑されました。

処刑された26人はその後、1862年6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられました。そして、列聖100年目の1962年に二十六聖人等身大のブロンズ像記念碑と記念館が建てられ、カトリック教徒の公式巡礼地と定められました。

なお、2021年1月10日、前々日からの記録的大雪の日に訪れたので、雪が少し積もっています。

2021年01月09日 大納言Z周防守369
長崎村庄屋跡[桜馬場城  寺社・史跡]



長崎家の居館だったが、長崎を退去することになり、慶長10年に森田彦右衛門が長崎村の初代庄屋となり、代々庄屋としてこの地を治めた。現在の桜馬場中学校の敷地が屋敷跡である。この庄屋前に大樟があったそうだが、今から100年程前に伐採されたようだ。

2017年08月09日 Midori琉球守
桜馬場城

シーボルト通りから桜馬場中学校横の坂道を上り、突き当たりを右折(美容専門学校方向)して急坂を道なりに進むと、春徳寺の墓地に出ます。墓地の後方に城古趾(桜馬場城跡)に続く道。中央の階段を上っても、左手の坂道を上っても、巨石、石垣、絶壁、石仏(迫害されたキリシタンを祀る?)に出会えます。
訪れる人は少ないようですので、蚊の襲撃や蜘蛛の巣だらけは覚悟してください。

桜馬場城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 日本二十六聖人殉教記念碑(碑・説明板)

 長崎村庄屋跡(寺社・史跡)

 (寺社・史跡)

 グラバー園(寺社・史跡)

 眼鏡橋(寺社・史跡)

 登城口(関連施設)

 岩盤層(関連施設)

 登城口(墓地側)(その他)

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