桜馬場城(さくらばばじょう)
桜馬場城の基本情報
通称・別名
- 鶴城
所在地
- 長崎県長崎市片淵
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 長崎氏
築城年
- 室町時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 長崎氏(大村氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- なし
周辺の城
-
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桜馬場城の口コミ情報
2021年01月30日 宝町奉行所
桜馬場城
山頂に大岩ゴロゴロ、たぶん築城には苦労したろうが長崎市の岩盤地質を改めて実感した、古墳時代の巨岩信仰も彷彿とさせる、岩盤の壁は秀逸、圧巻
2021年01月23日 大納言Z内大臣369
日本二十六聖人殉教記念碑[桜馬場城 碑・説明板]
豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって、フランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された場所です。
キリストが十字架にかけられて処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、長崎の西坂の丘で処刑されることを望んだといわれており、1597年2月5日に26人は群衆が見守る中、磔にされて刺し貫かれて処刑されました。
処刑された26人はその後、1862年6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられました。そして、列聖100年目の1962年に二十六聖人等身大のブロンズ像記念碑と記念館が建てられ、カトリック教徒の公式巡礼地と定められました。
なお、2021年1月10日、前々日からの記録的大雪の日に訪れたので、雪が少し積もっています。
2021年01月09日 大納言Z内大臣369
長崎村庄屋跡[桜馬場城 寺社・史跡]
長崎家の居館だったが、長崎を退去することになり、慶長10年に森田彦右衛門が長崎村の初代庄屋となり、代々庄屋としてこの地を治めた。現在の桜馬場中学校の敷地が屋敷跡である。この庄屋前に大樟があったそうだが、今から100年程前に伐採されたようだ。
2017年08月09日 Midori琉球守
桜馬場城
シーボルト通りから桜馬場中学校横の坂道を上り、突き当たりを右折(美容専門学校方向)して急坂を道なりに進むと、春徳寺の墓地に出ます。墓地の後方に城古趾(桜馬場城跡)に続く道。中央の階段を上っても、左手の坂道を上っても、巨石、石垣、絶壁、石仏(迫害されたキリシタンを祀る?)に出会えます。
訪れる人は少ないようですので、蚊の襲撃や蜘蛛の巣だらけは覚悟してください。