俵石城(たわらいしじょう)

俵石城の基本情報

通称・別名

深堀城

所在地

長崎県長崎市深堀町

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

深堀氏

築城年

室町時代?

主な改修者

主な城主

深堀氏

廃城年

遺構

曲輪、石塁、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

長崎台場(長崎県長崎市)[5.5km]
福田城(長崎県長崎市)[8.3km]
高浜城(長崎県長崎市)[9.0km]
桜馬場城(長崎県長崎市)[11.0km]
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久山城(長崎県諫早市)[23.9km]
富岡城(熊本県天草郡)[24.8km]
伊賀峰城(長崎県大村市)[26.1km]

俵石城の口コミ情報

2024年04月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
俵石城



長崎県の長崎市にある【俵石城】♪歴史詳細がない為に記載します♪城山の標高350m付近に築かれた中世の山城となります♪野母半島の中程にあり、在地領主・深堀氏の居城であります♪

鎌倉時代の元寇襲来頃より、この地に移住してきた深堀氏はココに土着♪深堀氏は上総国深堀の御家人でありましたが、下向後の建長7年(1255年)肥前国は戸八浦の地頭職を獲得♪(戸八浦は現在の長崎市街地の南部から野母半島西部一帯です♪)南北朝時代以降は、国人領主として発展しています♪

桜馬場城の長崎氏と絶えず対立をしていて、深堀純賢は長崎純景にしばしば攻撃を加えています☆

天正12年(1584年)龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死した後、鍋島直茂が龍造寺家の実権を掌握していきました☆深堀純賢は鍋島直茂と共に朝鮮の役にも出兵後には鍋島姓を賜わり深堀鍋島氏の祖となっています♪

江戸時代には6千石の家禄で佐賀鍋島藩の家老となり、俵石城の北側に深堀陣屋を構えて代々ここを本拠として明治維新を迎えています♪この深堀鍋島氏ですが、 鎌倉時代から続く肥前国の国衆深堀氏の名跡を継ぐ家ではありますが血脈上は佐賀藩主鍋島氏の外戚家門石井氏(藤原氏)の一族となっています♪コノ複雑な深堀氏の家柄は…深堀陣屋の口コミに記載しています☆

城郭は単郭で北東側に細まり、三角形の様な形をしています♪周りを名前の由来の通り俵石の石塁で防御しています♪郭間には横堀をグルリ一周廻してます♪郭の削平は甘めで自然傾斜があり、そのままの地形?と思われる箇所もありました♪単郭の南斜面には連続する竪堀群が残り南側の防御の力強さが見てとれます♪東西南北の斜面を確認すると、確かに緩いのは南側でありましたので、必然ですね♪石塁には時折、開口部が何箇所か残り、コレは虎口なんでしょう♪
平たく積まれた石が印象的な石塁でした♪

2023年07月23日 気分爽快豊後守
俵石城



善長谷教会の左脇から登って行き、途中から道をそれて斜面に入りますが、案内板が小さくて分かりづらい。坂を下り始めたら通り過ぎたと思って下さい。2つ目のお墓に着いたら行き過ぎです。

登り始めると段々の平場となっているが、どうやらこれは遺構ではないらしい。山頂に単郭があり、周りを横堀で囲んだ単純な構造でした。横堀の内側には、あちこち石積みが確認できます。

①城域に最初に到着した場所には外側に石積み有
②③④⑤郭の周囲を囲む横堀
⑥北端には平石が積まれた場所がある
⑦八幡神社脇は立派な石垣
⑧最初見落とした案内。ここから山頂を目指す

2023年04月22日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
深堀陣屋[俵石城  周辺城郭]



長崎県の長崎市にある【深堀陣屋】(武家屋敷・菩提寺)♪現在は深堀カトリック教会のある高台の場所が陣屋の中心部となります♪

俵石城の北麓に立地する深堀陣屋は野母半島の中部で、長崎港の外海に突き出ていて長崎港の前線であり監視出来る場所に立地しています♪江戸時代に造られた深堀陣屋です♪

鎌倉時代後期以降に土着した深堀氏は上総国深堀の御家人でありました♪深堀仲光は承久3年(1221年)の承久の乱で幕府方として戦っていて鎌倉幕府から恩賞地を拝領♪
深堀仲光の子・深堀能仲は恩賞地の変更を幕府に要求して建長7年(1255年)肥前彼杵荘戸八浦の新補地頭となっています♪戸八浦は上総国(現千葉県)から遠いので、この荘園は子・深堀行光に任せています♪

深堀行光は子・深堀時光を代官にし戸八浦へ派遣♪以後、深堀時光の系統が戸八浦に在住、土着して地名も深堀と呼ばれる様になっていきます♪

戦国期の深堀氏は諫早城の西郷氏から養子を迎えてて当主としています♪18代目・深堀純賢です♪深堀純賢は諫早・西郷氏と協力し大村氏、長崎氏との抗争を繰り返しました☆天正5年(1577年)からは肥前平定を目指す龍造寺氏に属して大村氏と争いました☆
その後、宿敵である大村氏は龍造寺隆信に降っています☆
天正12年(1584年)龍造寺軍🆚有馬・島津連合軍の戦いである沖田畷の戦いが勃発☆
大将である龍造寺隆信は討死してしまいます…☆

深堀純賢は龍造寺隆信の敗死後も龍造寺家に属し島津氏に反抗し続けています☆
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐時には、これに従い所領を安堵されました☆
沖田畷の戦い以降、龍造寺隆信が敗死した事で肥前の国政は龍造寺家に代わり鍋島直茂が実権を掌握していきます☆
深堀純賢は鍋島直茂に従い姓も鍋島に改め、深堀鍋島家の祖となっています♪朝鮮の役にも鍋島直茂に従い出兵☆
その後、深堀純賢は鍋島家の重臣・石井忠俊の娘(大宝院)を継室に迎え、その子の茂賢に家督を譲っています♪鍋島茂賢(深堀、石井とも)は佐賀鍋島藩の家老として深堀の地に6千石を賜ります♪名は鍋島となりますが、鎌倉期以来一貫して深堀の地の主として明治まで、突き進んでいきました♪

少し高台に立地する深堀陣屋♪江戸時代に長崎湾に出入りする船を監視する海防の役割を果たしました♪残る遺構としては石垣が見事に残っていました♪武家屋敷には武家門、更には曹洞宗・菩提寺には深堀家の墓所が残り、これが、深堀家の菩提寺となっています♪長崎湾を守る台場の数々も、深堀氏が変わっているものもありそうですね〜♪

2021年01月01日 のんちゃん兵部卿
俵石城



善長の教会の隣を登って30分ぐらいです!途中別れ道右に50メートル右側に亀石があります!真っ直ぐ登ると城跡です!😊

俵石城の周辺スポット情報

 深堀陣屋(周辺城郭)

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