烏岳城(からすだけじょう)

烏岳城の基本情報

通称・別名

烏嶽城

所在地

大分県豊後大野市緒方町小原

旧国名

豊後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

堀相模守

廃城年

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

市史跡(烏嶽城跡)

再建造物

周辺の城

岡城(大分県竹田市)[7.5km]
川上城(熊本県阿蘇郡)[17.0km]
松尾城(大分県豊後大野市)[19.6km]
大野原城(宮崎県西臼杵郡)[21.5km]
山野城(大分県竹田市)[22.9km]

烏岳城の解説文

立地
祖母傾山系に属す烏岳山頂にある。祖母傾山系によく見られる細く長くのびた尾根に立地するが、非常に急峻な地形で岩が方々で露出している。

現状
一部植林がなされているが、ほとんどが低木の雑木林で覆われている。

構造
本城のなかでの最高所に曲輪があるが、狭小な曲輪であり、中心部は、その下段にある比較的大きな面積を有す曲輪であると考えられる。

曲輪の西側、北側には、削り残しと見られる巨大な土塁をもち、武者溜まり的な曲輪として機能していたのではないかと考えられる。

南北に長く延びた尾根の両端は堀切によって仕切られ、そこには数段の曲輪がつく。南郡地域でよく見られる典型的な縄張り構造で、非常にコンパクトにまとまり実戦的である。強固な土塁の設置が西側に見られることから、緒方の集落側(西側)から攻めのぼる敵を意識して築城されたものと考えられる。

歴史
天正14年、薩軍の豊後侵攻の際、梓峠を越え三重の松尾城に拠点を築いた島津家久と、肥後口より侵入した義弘隊が緒方に侵攻する。

堀相模守が守っていたとされるこの烏岳城には島津義弘麾下の北郷忠虎、三久兄弟が攻撃したとされ、籠城していた堀は後に討ってでて、敗れたとされる(『北郷忠虎譜』)。

情報提供:豊後大野市歴史民俗資料館

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