黒木御所(くろきごしょ)

黒木御所の基本情報

通称・別名

御所跡、高野城

所在地

島根県隠岐郡西ノ島町別府黒木

旧国名

隠岐国

分類・構造

御所

天守構造

なし

築城主

佐々木貞清

築城年

元弘2年〔南朝〕/正慶元年〔北朝〕(1332)

主な改修者

主な城主

後醍醐天皇

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

県史跡(黒木御所)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

加賀城(島根県松江市)[61.3km]
鳥取藩台場(鳥取県境港市)[65.3km]
真山城(島根県松江市)[67.1km]
海老山城(島根県松江市)[67.2km]
白鹿城(島根県松江市)[68.1km]
本宮山城(島根県松江市)[69.6km]
松江城(島根県松江市)[70.8km]
満願寺城(島根県松江市)[71.1km]
荒隈城(島根県松江市)[71.7km]
檜ヶ山城(島根県出雲市)[72.2km]

黒木御所の解説文



黒木御所(くろきのごしょ)とは、黒木(皮を削っていない木材)を用いて建てられた天皇の御所のこと。多くは戦時や政変時の行宮である。

概要 

自然状態あるいはそれに近い状態を“黒”と表現する場合がある(例:黒山)。「黒木」とは、「白木」や「赤木」のような製材過程を経た木材と違って皮を未だに付けたままのより自然状態に近い形態にある木材を指した。支配者である天皇の御所が黒木であるということは、その粗末さを印象付けることになった。

『十訓抄』によれば、天智天皇が九州筑前国上座郡朝倉に「黒木の屋」を作った(「朝倉宮」)と伝えている。 また、承久の乱により佐渡島に流された順徳上皇は、現在の佐渡市に造成された黒木御所に崩御までの約22年間暮らした記録が残る[1]。 さらに『太平記』には、元弘の変によって隠岐に流された後醍醐天皇のために佐々木宗清が用意したのが黒木御所であり[2]、ここを皇居としたと伝える。

南朝の黒木御所跡が現在の奈良県天川村の天河大弁財天社の境内付近にある。また、後においては尼御所の異名としても用いられた(『御湯殿上日記』)。

参考文献 

  • 後藤四郎「黒木御所」『国史大辞典 4』(吉川弘文館 1984年) ISBN 978-4-642-00504-3
  • 飯倉晴武「黒木御所」『日本史大事典 2』(平凡社 1993年) ISBN 978-4-582-13102-4
  • 黒田日出男「黒木」『日本歴史大事典 1』(小学館 2000年) ISBN 978-4-095-23001-6

黒木御所の口コミ情報

2024年11月18日 気分爽快豊後守
国府尾城[黒木御所  周辺城郭]



西郷に泊まり近所に手頃な城はないかとリア攻めマップを見ると、飛行場までの途中に良さげな城がありましたので、寄ってきました。

検索すると縄張り図があったので、マップに取り込んで出かけました。雨模様で早めに切り上げたので大竪堀と主郭裏の石垣を見つけることができず残念でした。

①国府尾神社への参道
②国府尾神社北の堀切
③大山神社へ向かう尾根道
④縄張り図には石垣とあったが。。。単なる土留めでは
⑤大山神社(主郭)手前の堀切
⑥大山神社入口
⑦主郭
⑧主郭からの眺め

2024年08月12日 佐渡守ゆみかわ
黒木御所

船で行くなら予約してない人は6時から開いてますので早めに七類港に、必要事項を明記しリア攻めするなら別府港に、片道切符しかないので帰りの切符はあとで購入すること

2024年08月01日 酒楽
黒木御所遺址[黒木御所  碑・説明板]

近年の台風で周りの柵が壊れたので新しくなっている

2024年07月27日 すなちゃん武蔵守
黒木御所



第96代・後醍醐天皇は、元弘の乱による鎌倉幕府討幕に失敗し1332年に当地へ配流された。

後鳥羽上皇も右隣の島に配流され、当時天皇家は隠岐の島に流しておけば良いと思われていたらしい。

1年後、当地豪族の協力により脱出に成功し、更なる敵の協力も得て討幕にも成功すると無事、京都に戻る。
その頃の天皇は地を歩いてはいけないらしく、おんぶされてのご入場だったらしい。

133段だったかな、1段1段の高さが低いので問題無く登り降りできたが、さらに神社を越えたその奥に黒木御所が有る。

2024年07月20日 ペロモグラ
黒木御所



別府港ターミナルから徒歩17分でした。ちょっと階段がきついです。

2024年07月18日 治部卿丸に澤瀉
黒木御所



朝のフェリーで島に向かい、昼頃着きました。船着場から歩くこと5分ぐらいで到着。実際は軽く山登りもありますが、そこまで高くはないので普通の格好でも大丈夫だとは思います。

2024年05月07日 昌幸太閤更に吉
国府尾城[黒木御所  周辺城郭]



国府尾城(こうのじょう)は、宮田城(くんだじょう)からの移転先として、南は西郷湾、東側、北側は八尾川に囲まれて天然の要害となっている129mの城山の丘陵地に、1532年隠岐清政によって築かれました。

もとを辿れば尼子氏の分流だった隠岐氏はその力を借りて、近隣の豪族を滅ぼし隠岐一国を統一します。次第に毛利氏の勢力が強くなり、隠岐に攻め込んでくると、降伏し吉川氏の家臣となります。関ヶ原の合戦後は堀尾氏の持ち城となり、一国一城令が発布された1615年に廃城となりました。

縄張は3つの郭がメインで、現在は3郭が国府尾神社、2郭1郭が大山神社の敷地となっています。最新の調査によると、3郭(国府尾神社)へ向かう参道途中に大竪堀が、ニ郭手前の尾根と1郭下の腰郭で石垣が確認されたそうです。

隠岐の山城の中では、神社が建っていることもあり探索しやすいお城です。(というかその他の城は未整備という話も…)それでもI郭への最後の登りは岩場でロープが準備されているところなので、しっかりとした足元とグローブはあった方がいいと思います。

レンタカーで行きましたが、国道沿いの説明板前が広くなっていますので駐車可能です。隣の鳥居をくぐって登城していきましょう。

【写真の説明】
①大竪堀
②3郭には国府尾神社が建つ
③3郭背後の堀切
④2郭虎口
⑤1郭下の堀切。ここからロープを持って登る
⑥1郭腰郭と切岸
⑦1郭腰郭にかすかに残る石積み
⑧八尾川越しの国府尾城

2024年04月30日 昌幸太閤更に吉
隠岐国分寺[黒木御所  寺社・史跡]



奈良時代の聖武天皇の詔により全国に建立された国分寺。
隠岐では島後(とうご)の最大の平野である八尾平野(やびへいや)にあります。

隠岐といえば、鎌倉幕府の討幕計画が露見し後醍醐天皇が謀反人として流された土地。
その時の行在所として、本アプリで登録されている黒木御所説と、南北朝時代の歴史書『増鏡』や寺伝、古文書から、壱岐国分寺説があるそうですが、はっきり分かっていません。

先人の方の通り、私も隠岐が複数の島から成っているのを知らず、黒木御所のある島前(とうぜん)ではなく、島後(とうご)に着いたのは痛恨の極みと思いましたが、成功者と反逆者の両面を持ち、個人的に興味のある後醍醐天皇の足跡が、思わぬ形で知ることができ嬉しい誤算でした。

【写真の説明】
①参道
②山門
③現本堂
④後醍醐天皇行在所阯碑
⑤明治時代の廃仏毀釈で焼失した本堂跡
⑥本堂跡の後ろに座する王城鎮護社。後醍醐天皇像を祀る。

2024年03月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
国府尾城[黒木御所  周辺城郭]



さて、おいらの旅は基本的に無計画、とりま現地入りしてから行きたい所をピックアップする(色々決めちゃうと逆に制約が発生して楽しめなくなるのさ。)。今回の遠征はアプリのイベに伴い松江入り、他に何処に行こうか悩んだ挙句、未攻略の黒木御所を落とすために隠岐に渡る事を松江城城内で決定した。

国府尾城(こうのおじょう)は黒木御所の東北東約26.8km、隠岐諸島の内、島後島、八尾川西岸(左岸)、西郷湾に張り出して南面する標高123.3mの独立山陵、城山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の国道485号線からの比高は115m位でしょか。島内なのに国道が走っている事にはちょとびっくり…

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは前述の国道沿いからとなり、登城路てよりは城域内に鎮座する国府尾神社への参拝道を登ればよい。

築城年代は不明、築城者は佐々木氏の分流と推測される隠岐氏らしい。が、基本的に信濃の地方史しか詳しくないので深入りしない。ちなみに隠岐諸島にあって「国府」なのは隠岐がかつて一国であったから。隠岐氏は守護代として同国に入部したとされ、戦国時代には尼子氏の被官となりその盛衰を共にする。

松江市の七類港からその名も「おき」てフェリーが出ているのは事前情報で確認済み、こういう時のおいらは抜かり無く冴えまくっている。翌日、早起きして七類港へ行き、躊躇無く二等船室の切符を買って船に乗り込む。が、通路にまで溢れる人混みには辟易した。自分の居場所を見付けられなかったので吹き曝しのデッキ上で大半を過ごす事に…

船上では電波が入らなかったので黒木御所攻略は西郷港に到着してからとなった。さてさて、今度はリア攻めテロップでも回そうかの。早速、黒木御所の位置をGoogleマップで確認するんだけど、ありっ?なんかおかしい…眩暈が起きそうな現実を此処で突き付けられる…「…黒木御所、隣りの島じゃないの…」…今からだとリカバリー不可能だし帰りの船便まで4時間位ある…何をしようか悩んだ挙句、焼魚定食+隠岐蕎麦を食べながら現在地から最も近い中世城館を訪ねる事に決定した。ちなみに今回のおいらの失敗を纏めると…

①隠岐を一つの島だと勘違いしていた。

②乗船する港を間違えていた。

③そもそも論で誤った船便を選択していた。

て感ち?

お城は二段構えになるのかな。国府尾神社の鎮座する山尾根中段の郭群と城山山頂部の郭群に大別されると思う。神社勧進による改変は見られるが基本的に遺構はよく残っている。特に堀切の1条と大竪堀には感動した。又、城山山頂南側の堀切内には石組みの堀り抜き井戸、山頂の郭には小社が鎮座、展望もすこぶる良い。ちなみに縄張図外には結構な数の段郭様地形が確認出来る。但し、こちらの方は後世の耕作によるものと判断した。

隠岐には15の中世城館が確認されていて、国府尾城はその中でも最もアクセス容易な要害、帰りの船便までの時間潰しに登ってみたとはいえ相当に楽しめた。撮った写真は104枚、リア攻め時間は2時間弱、二度と来る事は無いて考えて丁寧に探索、後悔の念は微塵も無い。ありがとう。

※歴史深い隠岐諸島を真面目に散策したら凄く楽しいと思うんだけど、本州からのアクセスが悪い上に日帰りは土台無理な話…概ねで四島で構成され、各島間の連絡も頼りなく宿泊施設も限られている。観光地としての開発が非常に難しい地域だと思う。

※帰りは混雑を尻目に一等船室を独り占め、船旅は階級ヒエラルキーのピラミッドが如実に具現化される。

2023年05月30日 黒田隠岐守如水
黒木御所



思ってたのとは違いました。石垣や堀というのはなく、階段を上がったところに石碑がありました。海のほとりにあるので、雰囲気が違いました。

2023年02月10日 ️_
国府尾城[黒木御所  周辺城郭]



2023年1月28日☃️攻略💪
隠岐島・島後にも国府尾城、宮田城、勝山城等の山城があります。中でも国府尾城は堀切凹、井戸、石垣が遺る隠岐島を代表する山城です…が、大雪☃️の日に行く城ではありません😅

積雪❄️のせいで石垣🪨や主郭南堀切近くにあるとされる井戸は特定できず🤷‍♂️
おまけに予想以上に雪中行軍に苦戦して、結局、尼子再興軍🦌ゆかりの宮田城&勝山城は諦めざるを得ませんでした🥺それでも離島の山城で出逢えた白い堀切凹は雪の日に行った者だけが堪能することができるレアな光景🤩であり、記憶に残る城になりました😊

〜現地解説板より〜

国府尾城址

国府尾城は、戦国時代に隠岐島後を統一した守護代の佐々木氏 (隠岐氏) が本拠地とした山城です。 それまで、 西郷湾東部の一番奥まったところに位 置した宮田城を居城としていましたが、1400年代後半頃に西郷湾の中央に面した交通の要衝に島内最大規模の城郭を設けました。
『陰徳太平記』 (享保2年(1717年)) によると、天文元年(1532年) より島内の反尼子勢力の台頭に対抗するため、出雲国守護代尼子経久の援軍を得て奈森城の佐々木豊前守宗林と義秀父子、中村城の河渡氏、高尾城の刑部少輔清信、小路城の質尾十郎、島前美田の福頼氏を次々と攻略しました。
その後、中海に 面する本庄地域 (現松江市) を領有し、尼子勝久、山中幸盛らを宮田城、後に勝山城を築城して迎え、毛利氏に対する反抗の援助をするなどしました。
この城の頂上部の主郭からは宮田城、小松城の主郭が望め、小松城からは勝山城が望め、狼煙などを使った通信網が形成されていたと考えられています。
城の北東には、家臣が居を構えていたとされる土居敷地区、北西には城館跡とされる場所があります。
このような堅固な城も最後は、佐々木氏内の後継 者争いなどにより、落城したとされています。

2022年07月31日 ゆきにこふ備中守
黒木御所



別府港の近くの山の中にひっそりとその所在を構えています。後醍醐天皇は、ここでどんな思いでたたずんでいたのかなど考えると、不思議な感覚に包まれました。日帰りの旅だったので、島をじっくりと堪能できませんでしたが、歴史を感じるところはたくさんあり、是非宿泊を伴って、じっくりと出掛けてみるといいかと思いました。

2021年09月27日 日向夏隠岐守
黒木御所



別府港から徒歩9分、自転車で2分程度のとこにあります。黒木神社に至る階段を登り頂上の建物が黒木御所…!と思ったらこれは黒木神社。なおここに設けられた展望台は木々が茂り、全く眺望はありません。

この神社の裏へ回り、30メートル歩くと黒木御所の石碑が見えてきます。昔は離れた島だったのかな、と思わせる丘陵地ですが、木々が生い茂り、ここに陛下は1年もの間幽閉されてたかと思いを馳せると、居た堪れない気持ちになります。

2020年10月18日 天河水式部卿
黒木御所

羽田から飛行機で米子空港へ。到着が5分遅れる。急ぎJRへ走るもわずかに間に合わず。境港線は飛行機遅延を考慮してくれません。待機タクシーもなく呼ぶもしばらく時間がかかる。かなりあせるもギリギリ境港からのレインボージェットに間に合う。島が見え始めるタイミングでポチッて黒木御所攻略。別府港下船後、徒歩でリア攻め。
隠岐郡島は城攻め以外にも見所がたくさんあるので、一泊以上で回るのをお勧めしたい。
黒木御所、三位局館跡ともに昼でも暗い印象で一人の長居は躊躇するものがあるが、流刑という雰囲気は感じ取れる。

2020年09月24日 RED副将軍
黒木御所



オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

日帰りでの隠岐島、黒木御所リア攻めについて。
まず、前提として隠岐は島前と島後に分類されます。黒木御所は島前の西ノ島にあります。
七類港からの出港となりますが無料駐車場、シャトルバスが用意されています。
本土と隠岐をつなぐ船舶はフェリー3隻と高速船1隻があります。
その中で、日帰りで最も滞在時間を確保するには、9時半に本土(七類港)を島前に向けて出発する「くにが」に乗り、西ノ島にある別府港に12時過ぎに到着。そして、島後経由で本土に戻る15時45分発の「おき」に乗るのがベストです。選択肢は他に無く、乗船手続き等を差し引けば、日帰りの滞在時間は3時間強が限界です。
金額は2等客室で片道3,300円です。
今回の私の目的は、①隠岐一宮由良比女神社参拝、②黒木御所リア攻め、③摩天崖の絶景です。
僅か3時間で全てを達成するため、観光案内所の島唯一のレンタサイクルで回る計画でした。しかしレンタサイクルは空きが無く予約が必要とのこと。大きく計画が揺らぎます。
そこで、町営バスで浦郷港行きに乗り、港から徒歩5分の由良比女神社に参拝しました。町営バスは一律200円と安いですが、1時間以上時間が空きます。島内一の観光地、摩天崖を諦め、別府港近くの黒木御所に行くため、戻りのバスを待ちます。飲食店を探したのですが無く、餌付けされた茶虎のネコと戯れていると、まさかのバスに乗り遅れる大失態。茶虎と唐突な別れをしても間に合うはずもなく、結局はタクシー代2,000円を出費。しかも島内にタクシーは8台しか無く、結構待つ羽目に。
黒木御所は、別府港から徒歩10分。小高い山上にあり、近くの三位の局館跡を含めても40分あれば充分です。
別府港二階の喫茶店で遅めのランチ(アジフライ、お刺身で900円)を食し、予定通り15時45分発、18時頃着のフェリーで戻りました。
まとめ、①レンタサイクルは要予約、②ネコと戯れあってもバス時間は注意せよ
隠岐島リア攻めのご参考ください。
写真
①隠岐國一宮、由良比女神社
②黒木御所登城口
③鎮座する黒木神社
④黒木御所からの眺望
⑤黒木御所遠景
⑥ 三位の局館跡

2017年08月14日 織田上総介晃司
黒木御所

フェリー「くにが」から別府港に寄港前に撮影。

停泊時間は15分。日帰り弾丸ツアーの為、眺めるのみ。
隠岐の武将はリア攻めしないと見つからない。

後醍醐天皇行在所跡については黒木御所跡と隠岐国分寺境内の2つの説があるそうです。

島後・西郷でかっぱを奉る祠がありました。勿論お供え物はきゅうりでした。

隠岐にはローソク島や赤壁(三国志とは全く関係ありません)など多くの自然美があり、日帰りは勿体ない。2泊はして観光するのがよろしいかと…


2015年07月05日 仕事多忙中納言速水右近
黒木御所

高速船故障欠航や飛行機も雲や霧で欠航します。フェリーは七類港〜別府港は片道2時間半、地元周辺の方以外、公共交通機関での日帰りは不可能。
最短リアル攻めは飛行機で伊丹空港→出雲空港→西郷空港→西郷港→菱浦港、島前内航船に乗り換え→別府港!
リアル攻め後→西郷港に戻り、翌日は飛行機でもフェリーでも帰れる余裕が必要!
後醍醐天皇が黒木御所流刑になり、鎌倉幕府倒幕の野望を持ち、名和一族と地元民の助けを借り脱出。伯耆船上山で挙兵。後鎌倉幕府滅亡。

隠岐島の名物
1隠岐牛(海士町の黒毛和牛のみ隠岐牛と呼ぶ)
西ノ島や島後は島根牛
2岩がき(養殖でも絶品)
すべて魚介類は絶品!
変わり種は焼き飯茶漬
焼きおにぎりに味噌をつけてだし汁をかけた物
出雲番外編
十六島(ウップルイ)の海苔はたった60gで2646円もする。(◎-◎;)
黒木御所からタクシーで往復1時間、西ノ島の国賀海岸の壮大な景観は一見の価値あり!海外旅行気分になれます。
島後には日本で唯一駅伝や駅舎のルーツを語る文化財駅鈴がある!

2014年10月01日 修理大夫ゴダイゴ
黒木御所

本土ではなく、是非隠岐諸島に来られてポチしてみませんか?

黒木御所の周辺スポット情報

 黒木御所阯石碑(碑・説明板)

 黒木御所遺址(碑・説明板)

 国府尾城(周辺城郭)

 因屋城(周辺城郭)

 宮田城(周辺城郭)

 千福寺御座所跡(寺社・史跡)

 三位局館跡(寺社・史跡)

 隠岐判官館跡(寺社・史跡)

 黒木神社(寺社・史跡)

 隠岐国分寺(寺社・史跡)

 村上家資料館(関連施設)

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