国府尾城

国府尾城([黒木御所  周辺城郭])

黒木御所 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「国府尾城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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国府尾城の口コミ情報

2024年03月08日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、おいらの旅は基本的に無計画、とりま現地入りしてから行きたい所をピックアップする(色々決めちゃうと逆に制約が発生して楽しめなくなるのさ。)。今回の遠征はアプリのイベに伴い松江入り、他に何処に行こうか悩んだ挙句、未攻略の黒木御所を落とすために隠岐に渡る事を松江城城内で決定した。

国府尾城(こうのおじょう)は黒木御所の東北東約26.8km、隠岐諸島の内、島後島、八尾川西岸(左岸)、西郷湾に張り出して南面する標高123.3mの独立山陵、城山山頂部を中心に立地する要害です。南麓の国道485号線からの比高は115m位でしょか。島内なのに国道が走っている事にはちょとびっくり…

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは前述の国道沿いからとなり、登城路てよりは城域内に鎮座する国府尾神社への参拝道を登ればよい。

築城年代は不明、築城者は佐々木氏の分流と推測される隠岐氏らしい。が、基本的に信濃の地方史しか詳しくないので深入りしない。ちなみに隠岐諸島にあって「国府」なのは隠岐がかつて一国であったから。隠岐氏は守護代として同国に入部したとされ、戦国時代には尼子氏の被官となりその盛衰を共にする。

松江市の七類港からその名も「おき」てフェリーが出ているのは事前情報で確認済み、こういう時のおいらは抜かり無く冴えまくっている。翌日、早起きして七類港へ行き、躊躇無く二等船室の切符を買って船に乗り込む。が、通路にまで溢れる人混みには辟易した。自分の居場所を見付けられなかったので吹き曝しのデッキ上で大半を過ごす事に…

船上では電波が入らなかったので黒木御所攻略は西郷港に到着してからとなった。さてさて、今度はリア攻めテロップでも回そうかの。早速、黒木御所の位置をGoogleマップで確認するんだけど、ありっ?なんかおかしい…眩暈が起きそうな現実を此処で突き付けられる…「…黒木御所、隣りの島じゃないの…」…今からだとリカバリー不可能だし帰りの船便まで4時間位ある…何をしようか悩んだ挙句、焼魚定食+隠岐蕎麦を食べながら現在地から最も近い中世城館を訪ねる事に決定した。ちなみに今回のおいらの失敗を纏めると…

①隠岐を一つの島だと勘違いしていた。

②乗船する港を間違えていた。

③そもそも論で誤った船便を選択していた。

て感ち?

お城は二段構えになるのかな。国府尾神社の鎮座する山尾根中段の郭群と城山山頂部の郭群に大別されると思う。神社勧進による改変は見られるが基本的に遺構はよく残っている。特に堀切の1条と大竪堀には感動した。又、城山山頂南側の堀切内には石組みの堀り抜き井戸、山頂の郭には小社が鎮座、展望もすこぶる良い。ちなみに縄張図外には結構な数の段郭様地形が確認出来る。但し、こちらの方は後世の耕作によるものと判断した。

隠岐には15の中世城館が確認されていて、国府尾城はその中でも最もアクセス容易な要害、帰りの船便までの時間潰しに登ってみたとはいえ相当に楽しめた。撮った写真は104枚、リア攻め時間は2時間弱、二度と来る事は無いて考えて丁寧に探索、後悔の念は微塵も無い。ありがとう。

※歴史深い隠岐諸島を真面目に散策したら凄く楽しいと思うんだけど、本州からのアクセスが悪い上に日帰りは土台無理な話…概ねで四島で構成され、各島間の連絡も頼りなく宿泊施設も限られている。観光地としての開発が非常に難しい地域だと思う。

※帰りは混雑を尻目に一等船室を独り占め、船旅は階級ヒエラルキーのピラミッドが如実に具現化される。

2023年02月10日 大膳大夫マイリバ


2023年1月28日☃️攻略💪
隠岐島・島後にも国府尾城、宮田城、勝山城等の山城があります。中でも国府尾城は堀切凹、井戸、石垣が遺る隠岐島を代表する山城です…が、大雪☃️の日に行く城ではありません😅

積雪❄️のせいで石垣🪨や主郭南堀切近くにあるとされる井戸は特定できず🤷‍♂️
おまけに予想以上に雪中行軍に苦戦して、結局、尼子再興軍🦌ゆかりの宮田城&勝山城は諦めざるを得ませんでした🥺それでも離島の山城で出逢えた白い堀切凹は雪の日に行った者だけが堪能することができるレアな光景🤩であり、記憶に残る城になりました😊

〜現地解説板より〜

国府尾城址

国府尾城は、戦国時代に隠岐島後を統一した守護代の佐々木氏 (隠岐氏) が本拠地とした山城です。 それまで、 西郷湾東部の一番奥まったところに位 置した宮田城を居城としていましたが、1400年代後半頃に西郷湾の中央に面した交通の要衝に島内最大規模の城郭を設けました。
『陰徳太平記』 (享保2年(1717年)) によると、天文元年(1532年) より島内の反尼子勢力の台頭に対抗するため、出雲国守護代尼子経久の援軍を得て奈森城の佐々木豊前守宗林と義秀父子、中村城の河渡氏、高尾城の刑部少輔清信、小路城の質尾十郎、島前美田の福頼氏を次々と攻略しました。
その後、中海に 面する本庄地域 (現松江市) を領有し、尼子勝久、山中幸盛らを宮田城、後に勝山城を築城して迎え、毛利氏に対する反抗の援助をするなどしました。
この城の頂上部の主郭からは宮田城、小松城の主郭が望め、小松城からは勝山城が望め、狼煙などを使った通信網が形成されていたと考えられています。
城の北東には、家臣が居を構えていたとされる土居敷地区、北西には城館跡とされる場所があります。
このような堅固な城も最後は、佐々木氏内の後継 者争いなどにより、落城したとされています。

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