荒隈城(あらわいじょう)
荒隈城の基本情報
通称・別名
- 洗合城、洗骸城
所在地
- 島根県松江市南平台26
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 毛利元就
築城年
- 永禄5年(1562)
主な改修者
- -
主な城主
- 毛利氏
廃城年
- 永禄10年(1567)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
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荒隈城の解説文
[引用元:Wikipedia「荒隈城」の項目]
荒隈城(あらわいじょう)は、島根県松江市国屋町にあった日本の城。
概要
宍道湖に突き出す丘陵端に位置し、現在丘陵の東西は佐田・松江方面共に陸地となっているが、当時は佐田水海と湿地帯が拡がっており、天然の要害をなしていた。
白鹿城攻めに先立ち毛利元就により築城されたが、宍道湖に面し水運の利もあることから、白鹿城の落城後も尼子氏が降るまで出雲侵攻の拠点として機能した。
関ヶ原の戦いの後、出雲に封じられた堀尾氏が再取立てを検討したが、石高に比して城域が広大との忠氏の意見を入れて亀田山を選地し、以後城郭として使用されることはなかった。
沿革
- 1562年(永禄5年)毛利元就が出雲侵攻の陣城として築城。
- 1566年(永禄9年)尼子氏が降り、その役目を終えて廃城になった。
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荒隈城の口コミ情報
2019年05月31日 あきおこ
荒隈城
墓地西側の段郭。天倫寺墓地最奥部に宍道湖に伸びる段郭がある。開墾地の疑いもあるが虎口、切岸、数段の削平地がある。かつて富田城攻めの兵站基地となった為、城域はかなり広大だったとされる。城の主要部とされる部分は住宅団地、ソーラー施設などになって徹底的に破壊されるが団地西の円光寺付近に城郭遺構が残る様である。団地内を探索していたら住民にかなり怪しまれた・・・
2011年12月10日 城之助
荒隈城
実際の城は広範囲に築かれ、国屋町、南平台、堂形町になります。主郭があったのは、ひがし南平代の団地辺りです。案内板は天倫寺にあります。