檜ヶ山城(ひがせんじょう)
檜ヶ山城の基本情報
通称・別名
- 檜ヶ仙城、桧ヶ仙城
所在地
- 島根県出雲市多久町
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 東郷忠光?
築城年
- 大永年間(1521〜1528)?
主な改修者
- 東郷忠光、多久義敷、毛利氏
主な城主
- 東郷氏、多久氏、毛利氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財
- -
再建造物
- -
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-
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檜ヶ山城の解説文
[引用元:Wikipedia「檜ヶ山城」の項目]
檜ヶ山城(ひがせんじょう / ひのきがせんじょう)は、島根県出雲市多久町にあった日本の城。
概要
地元の小学校の校歌にも登場し、「檜山富士」とも呼ばれるたおやかな山容の檜ヶ山(桧ヶ仙とも)山頂に築かれた山城で、古くは大永年間に東郷忠光が拠ったと伝わる。
1562年の毛利氏侵攻時には毛利方に攻められ、多久義敷率いる城方は良く守り、一度は防いだものの、善戦虚しく落城した。
元亀年間の尼子氏残党の蜂起に際しては、毛利氏が改修し在城したことが文献記録からわかる。
遺構
現在も城下には五輪塔や塚が点在しており、周囲には支城の遺構もある。山上の城郭遺構も良く残り、区域によって郭や切岸の普請の度合いに差があることから、毛利氏による改修の事実をうかがわせるものとなっている。しかし、檜ヶ山への登山道は荒れている上に山頂付近は急峻であり、案内板等もほとんどないことから、登城には注意が必要である。
沿革
- 大永年間、東郷忠光が拠った。
- 1562年(永禄5年)毛利氏の出雲侵攻により、多久義敷の善戦も虚しく落城。
- 1571年(元亀2年)尼子氏残党の蜂起を受けて、毛利氏が改修。
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檜ヶ山城の口コミ情報
2018年03月15日 INO【兒】右京大夫
檜ヶ山城
登山口は南側からになります。
案内板がありそこから道が極端に狭くなる坂になり不安になりますが登りましょう。
舗装なしの広場に駐車場あり。
登山は上に行くほど険しくなり道もわかりにくくなりますので、木に結ばれているピンクの帯びや赤色の塗料を目印に登りましょう。
初心者にはお薦めできない登山道です
2011年12月09日 城之助
檜ヶ山城
案内板や駐車場はありません。2009年に登山できることを確認しています。登山道がありますが、一部足場の悪い場所がありました
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