池ノ前台場(いけのまえだいば)
池ノ前台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 和歌山県和歌山市深山
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 台場
天守構造
- -
築城主
- 紀州藩
築城年
- 安政2年(1855)
主な改修者
- -
主な城主
- 水野丹後守
廃城年
- -
遺構
- 石垣、土塁
指定文化財
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再建造物
- -
周辺の城
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洲本城(兵庫県洲本市)[10.9km]
木本城(和歌山県和歌山市)[11.7km]
中野城(和歌山県和歌山市)[13.1km]
雑賀崎城(和歌山県和歌山市)[16.6km]
和歌山城(和歌山県和歌山市)[16.8km]
淡輪城(大阪府泉南郡)[17.0km]
中津城(和歌山県和歌山市)[17.1km]
薗部城(和歌山県和歌山市)[17.8km]
弥勒寺山城(和歌山県和歌山市)[18.3km]
雑賀城(和歌山県和歌山市)[18.7km]
池ノ前台場の解説文
池ノ前台場の口コミ情報
2024年03月31日 大納言Z周防守369
深山砲台[池ノ前台場 周辺城郭]
「由良要塞」の一つである「深山第1砲台跡」。由良要塞群の中では一番保存状態が良く、28cm榴弾砲が6門置かれていて、2門ごとに仕切られていてトンネルでつながっていました。現在はハイキングコースとして整備されています。
2023年12月09日 気分爽快豊後守
第一砲台跡[池ノ前台場 寺社・史跡]
第一砲台は桟橋からかなり遠くにありますので、最終便に乗り遅れないよう、時間に余裕を持って行く必要があります。
残念ながら中に入れなくなっていました。
①入口は閉ざされている
②脇の坂を登ると上から見ることができる
③ちょっと離れた場所にある
④③への通路
⑤④の入口
2023年11月24日 気分爽快豊後守
第三砲台跡[池ノ前台場 寺社・史跡]
第2次世界大戦が終わるまでは、一般人立入り禁止だったとのこと。終戦後、砲台は取り壊され、大砲は処分されていますが、レンガ造りの砲台跡が島に五箇所あり、その中で最大規模のものです。
小さな島と思っていましたが、ちょっとした山城なみの歩きとなります。
①将校宿舎から第三砲台への入口
②左が弾薬支庫
③弾薬支庫から①の入口方向
④弾薬支庫の内部
⑤砲台跡への通路
⑥砲台跡
⑦砲台跡への階段
⑧水の溜まった砲台跡
2023年11月21日 気分爽快豊後守
海軍聴音所跡[池ノ前台場 寺社・史跡]
道からそれて400mほど歩くと到着。誰もいないこともあり、廃墟感満載です。
①入口
②壁は落書きだらけ。何が目的なのか。。
③海側から見た
2023年11月20日 気分爽快豊後守
池ノ前台場
加太よりフェリーが出ているが予約は出来ないようなので、時間に余裕を持って出かけた方が良い。満員になると乗船できないが、朝一の便は満員だった。
風化により崩壊が進み、近づいて見ることは無理な様子。ただし、池ノ前台場の遺構というよりも、第二砲台跡になってしまっている。
①海岸に着くと砲台の遺構がある
②無惨に壊れた箇所。目の前は淡路島
③横から見たところ
④大型船が通行中
2023年10月19日 ともえ和泉守
池ノ前台場
加太駅から徒歩15分、フェリーで20分、他の砲台跡も散策しながら歩くとたっぷり半日はかかります。池ノ前台場=第2砲台跡においては、人の立ち入りは禁止されていますが、建物の滅び具合、趣ある風格は一見の価値あり。綺麗な海も望めます。
2022年03月28日 よてぃ
第三砲台跡[池ノ前台場 寺社・史跡]
友ヶ島にある、戦時の砲射場が遺跡として現存しています。風化が進んでいますが、城郭として価値の高い建造物です。
2022年03月22日 カズ@大高の信長
池ノ前台場
池の前台場というより、日露から第二次大戦まで、大阪を守る要塞群として、幾つもの砲台群が和歌山から友ヶ島、淡路にかけてあります。是非現地を訪問ください。個人的には、第二第三砲台跡と、和歌山側の由良水雷隊関連施設(謎が多く面白い)が印象に残りました。
2021年10月25日 山城守吉川
池ノ前台場
現在友ヶ島は殆どの場所が通行止めとなっているため台場に向かうのは遠回りをしないといけません。また定期船も寒く成るまでは混雑していますので現地で早めのチケット購入を進めます。
2021年08月28日 ブルーノ
第三砲台跡[池ノ前台場 寺社・史跡]
入り口からみると、確かにラピュタの世界のようです。第三砲台の方は、中に入ると、ひんやりとした地下洞窟のようですが、まっすぐな並びが、戦地後の雰囲気を残していました。2021年8月26現在。土砂災害のため、二次災害防止のため、アイコンがある場所は、通行止めです。
2021年08月21日 安濃津中納言壱午
深山第一砲台駐車場[池ノ前台場 駐車場]
私も先人の方同様、この駐車場に止め、深山第一砲台跡へ向かいました。何となく趣のあるレンガ道の上を歩き、10分弱で砲台跡に辿り着きました。レンガ造りの薄暗く不気味なトンネル?や弾薬庫跡があります。どうやら心霊スポットとして有名のようです。弾薬庫の中は真っ暗!懐中電灯要ります!中に霊的な物が居そうです(ーー;)怖いので、さっさと出て展望台の方へ向かいます。素晴らしい景色でした!と言いたいところですが、この日は大雨で淡路島は四国はおろか、淡路島も見えませんでした…晴れた日に行くことをお勧めします。先人の方によると、海軍由良水雷遺跡まで、ここから行けるそうですが、私はスケジュールがカツカツだったので、行けませんでした…この砲台跡は、由良要塞の一部であり、淡路・友ヶ島・加太にも同様の砲台跡があります。時間に余裕がある方は、そちらに行くのも良いのではないでしょうか。
歴史
嘉永6年(1853)のペリー来航、さらにその翌年の、大阪湾に現れたロシア軍艦ディアナ号が紀州沖に停泊した事件を受け、紀州藩ではにわかに海防論が高まった。翌安政元年(1854)以降、紀州藩領では大阪湾の防衛のため、現在の和歌山市加太沿岸、友ヶ島(地ノ島・神島・沖ノ島・虎島の総称)、さらに紀中・紀南地方にかけて数多くの台場が築かれた。
池ノ前台場はそのうちのひとつで、水野丹後守が築造と守備を担当したという。
遺構
池ノ前台場は、和歌山市沖に浮かぶ友ヶ島のうち、沖ノ島の西端に築かれている。海岸線に沿って設けられた土塁が、左翼と右翼に分かれ、それらが雁行する形で配置されていた。紀州藩が各台場の規模と構造を絵師に描かせた『異船記』によると、左翼は長さ20間、高さ7尺、厚さ3間半、左翼は長さ21間、高さ7尺5寸、厚さ3間5寸8寸の規模であったという。
現在、左翼側の土塁と石垣が一部残存しているが、西端部は明治期に友ヶ島第2砲台が築かれたことで破壊されており、海岸周辺はこの第2砲台の残骸が崩れ落ちている状態である。
なお、友ヶ島には他に、藻崎・配府・保古良・蒲浦・小浦・池ノ尻の6つの台場が設置されていた。
交通
・加太港から友ヶ島汽船で約20分、下船後徒歩約15分参考文献
・『和歌山の近世城郭と台場』戎光祥出版、2018年。・(一財)和歌山社会経済研究所公式サイト(http://www.wsk.or.jp/)。