池ノ前台場(いけのまえだいば)
池ノ前台場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 和歌山県和歌山市深山
旧国名
- 紀伊国
分類・構造
- 台場
天守構造
- -
築城主
- 紀州藩
築城年
- 安政2年(1855)
主な改修者
- -
主な城主
- 水野丹後守
廃城年
- -
遺構
- 石垣、土塁
指定文化財
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再建造物
- -
周辺の城
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洲本城(兵庫県洲本市)[10.9km]
木本城(和歌山県和歌山市)[11.7km]
中野城(和歌山県和歌山市)[13.1km]
雑賀崎城(和歌山県和歌山市)[16.6km]
和歌山城(和歌山県和歌山市)[16.8km]
淡輪城(大阪府泉南郡)[17.0km]
中津城(和歌山県和歌山市)[17.1km]
薗部城(和歌山県和歌山市)[17.8km]
弥勒寺山城(和歌山県和歌山市)[18.3km]
雑賀城(和歌山県和歌山市)[18.7km]
池ノ前台場の解説文
池ノ前台場の口コミ情報
2020年10月08日 小野近江守湖青
深山第一砲台駐車場[池ノ前台場 駐車場]
前の口コミに追伸で。本スポットからの遊歩道は、深山第一砲台だけでなく男良谷砲台(深山第三砲台。ちなみに第二砲台は休暇村さんの敷地に遺っています。)、海軍由良水雷遺跡へも行けるので、第一砲台の展望台から駐車場へ引き返すのではなく、そのまま「海へ」という案内に導かれるままに進んで周回していくと充実したリアになりつつ気づけば駐車場に戻れます。写真の、導水路?のトンネルは海へ出ますが軌道跡?のトンネルは途中で崩落してるような埋められたような感じになっていました。海に突き出す突堤のような遺構も、海軍遺跡らしいのですが…。詳しい方にガイドされたい…。
2020年10月07日 小野近江守湖青
深山第一砲台駐車場[池ノ前台場 駐車場]
明治期に紀淡海峡防備の為順次設置されていった由良要塞のうち深山第一砲台見学に最寄の駐車場です。
某天空の城みたい、と有名な友ヶ島の遺構を見に行く前の前菜として寄らせていただきました…なつもりが…友ヶ島への船、「本日ハ天気晴朗ナレドモ波高シ」ということで欠航。この日リアできた由良要塞群は結局ココだけ、となりました。というわけで、友ヶ島に行けた方にもセットで、また40秒で支度できず等の理由で行けなかった方にもトゥエルにおすすめの遺構です。
※ラピュタリアされたことがある方へ、友ヶ島にスポット設置できるようになっています。ぜひぜひ、ご設置、ご投稿を~。
深山第一砲台跡近くの森林公園にはお城写真あるあるの猫城主やカモシカではなく何故か恐竜が棲息していました。そして森林公園駐車場からすぐの四国山展望台からは、人がゴミのよう…違います、深山砲台群や友ヶ島、遠く和歌山城までもが俯瞰できました。よろしければ。
池ノ前台場(いけのまえだいば)は、和歌山県和歌山市深山にあった台場である。
【歴史】
嘉永6年(1853)のペリー来航、さらにその翌年の、大阪湾に現れたロシア軍艦ディアナ号が紀州沖に停泊した事件を受け、紀州藩ではにわかに海防論が高まった。
翌安政元年(1854)以降、紀州藩領では大阪湾の防衛のため、現在の和歌山市加太沿岸、友ヶ島(地ノ島・神島・沖ノ島・虎島の総称)、さらに紀中・紀南地方にかけて数多くの台場が築かれた。
池ノ前台場はそのうちのひとつで、水野丹後守が築造と守備を担当したという。
【遺構】
池ノ前台場は、和歌山市沖に浮かぶ友ヶ島のうち、沖ノ島の西端に築かれている。
海岸線に沿って設けられた土塁が、左翼と右翼に分かれ、それらが雁行する形で配置されていた。紀州藩が各台場の規模と構造を絵師に描かせた『異船記』によると、左翼は長さ20間、高さ7尺、厚さ3間半、左翼は長さ21間、高さ7尺5寸、厚さ3間5寸8寸の規模であったという。
現在、左翼側の土塁と石垣が一部残存しているが、西端部は明治期に友ヶ島第2砲台が築かれたことで破壊されており、海岸周辺はこの第2砲台の残骸が崩れ落ちている状態である。
なお、友ヶ島には他に、藻崎・配府・保古良・蒲浦・小浦・池ノ尻の6つの台場が設置されていた。
【交通】
加太港から友ヶ島汽船で約20分、下船後徒歩約15分
【参考文献】
・『和歌山の近世城郭と台場』戎光祥出版、2018年。
・(一財)和歌山社会経済研究所公式サイト(http://www.wsk.or.jp/)。