舞子台場(まいこだいば)
舞子台場の基本情報
通称・別名
- 舞子砲台、明石藩舞子台場
所在地
- 兵庫県神戸市垂水区東舞子町
旧国名
- 播磨国
分類・構造
- 台場
天守構造
- なし
築城主
- 松平慶憲
築城年
- 文久3年(1863)
主な改修者
- -
主な城主
- 明石藩
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- 国史跡(明石藩舞子台場跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
松帆台場(兵庫県淡路市)[3.8km]
明石城(兵庫県明石市)[4.4km]
岩屋城(兵庫県淡路市)[5.0km]
船上城(兵庫県明石市)[5.6km]
枝吉城(兵庫県神戸市)[6.6km]
松岡城(兵庫県神戸市)[9.1km]
端谷城(兵庫県神戸市)[10.8km]
魚住城(兵庫県明石市)[12.6km]
兵庫城(兵庫県神戸市)[13.3km]
和田岬砲台(兵庫県神戸市)[14.1km]
[大きい地図で開く]
舞子台場の解説文
[引用元:Wikipedia「舞子台場」の項目]明石藩舞子台場跡(あかしはんまいこだいばあと)は、兵庫県神戸市垂水区の舞子公園にある砲台跡。舞子砲台跡とも。国の史跡に指定されている。
【概要】
幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された。工事は勝海舟の設計・総指揮、設備担当は幕使佐藤與之介、施工は明石藩で、ほか神戸海軍操練所等の協力による。竣工は1865年。
建設の目的は、淡路島北端(淡路市)の徳島藩松帆台場跡(国の史跡)と対になって両岸から明石海峡(瀬戸内海と大阪湾をつなぐ海峡)を通過する黒船を挟撃することであったが、一度も使用されることはなく現在に至っている。
【建築概要】
当時の一般的な台場は上部が土盛り形式であった。
しかし当台場は総石垣造である。
半星形稜堡で幅約70m、高さ約10mという規模で建設されるも、明治時代末の火災により上部が撤去されたため高さ6mとなった。
2003年〜2004年の発掘調査で全容を確認できたが、保存のため埋め戻されたため、現在は台場の一部と石垣の一部が地表に露出しているだけである。
【交通】
・JR神戸線 舞子駅 徒歩3分
・山陽電鉄本線 舞子公園駅 徒歩5分[続きを見る]
舞子台場の口コミ情報
2020年10月14日 播磨屋弾正大弼
舞子台場
駅近城郭でJR舞子駅・山陽電車舞子公園駅から国道2号線の歩道橋を渡った西側にあります。
西隣のマンションの西に海岸へ降りる通路があり、海側から台場の石垣を見ることができます。