猿沢城(さるさわじょう)

猿沢城の基本情報

通称・別名

福立城

所在地

新潟県村上市猿沢字福立

旧国名

越後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

本庄氏

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

本庄氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、畝状竪堀群

指定文化財

再建造物

周辺の城

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猿沢城の解説文

猿沢城(さるさわじょう)は、新潟県村上市猿沢にある山城。

歴史
築城年代は定かではないが、15世紀後半から16世紀に本庄氏によって築かれたと云われる。16世紀前半には、小河氏が拠っていた可能性も指摘される。

永正4年(1507)の永正の乱では、小泉荘本庄の本庄時長が守護代の長尾為景に対して反乱を起こし、天文8年(1539)の天文の乱では、本庄房長が伊達氏・中条氏に本庄城を攻められて落城。本庄領は小河氏に乗っ取られたが、天文20年(1551)に本庄繁長が奪還した。

永禄11年(1568)、本庄繁長は武田信玄に呼応して上杉輝虎(謙信)に反旗を翻し、猿沢城はこのとき攻められたという。やがて本庄繁長は上杉氏に降伏。謙信没後の御館の乱では景勝に味方し、新発田重家の乱でも景勝方についている。

遺構
高根川と三面川の合流点から北へ3.5kmほど離れた、高根川右岸に築かれている。

葡萄山塊の尾根の麓に置かれた「居館」、標高240mの「サルクロ」「八幡クロ」、中腹の「福立」から構成される。

居館は大きく3つの区画で構成され、土塁や堀切がめぐる。東端には帯曲輪を持つ薬師山という山城遺構があり、居館の防御とともに南から東方の監視を兼ねていると考えられる。

福立は薬師山から100mほど上がったところに築かれた山城で、主郭は750mに及び、主郭の南西側に曲輪が並ぶ。主郭の南から東側には、40本ほどの畝状竪堀が執拗に掘り込まれている。

サルクロ、八幡クロは、福立よりさらに100m以上あがった尾根上にある。山頂からは村上城を視認することができる。

交通
日本海東北自動車道朝日まほろばICから車で3分

参考文献
『甲信越の名城を歩く 新潟編』吉川弘文館、2016年。

文:萩原さちこ

猿沢城の口コミ情報

2019年05月01日 千ノ坂修理亮
説明板[猿沢城  碑・説明板]

車、数台停められるスペースがあります

2016年04月25日 釧路守きこりん
猿沢城

猿沢城…恐ろしく秘境感漂う名ですが、アプローチは極めて容易。日本海東北道の朝日まほろばICからすぐのR7号に道の駅朝日があり、その向かいが猿沢集落。集落の裏山が城跡。
本庄繁長が少年時代を過ごすなど、本庄氏の拠点であり、本庄城(村上城)よりこちらを本拠と見る向きもあるとか。それに相応しく、山麓居館から中腹の「福立」、ピークの「サルクロ」まで大規模な根小屋式城館となってます。しかし案内・説明皆無で藪も酷く、登城は難儀します。
集落にある神社の裏から入るとすぐに竹藪ながら巨大な堀に突き当たり、これを右に進むと、堀が切れた所に道があります。これを奥へ進んでゆくとやがて右手に尾根が見えてくるので、これに取りつき登ってゆくと福立。畝状阻塞が確認できます。福立の先はいくつかの堀切、郭を見ながら、藪を漕いで忠実に尾根を辿ってゆくと最高部のサルクロに到達します。敢えておすすめはしませんが、その筋のマニアなら楽しめる!?
道の駅は、食堂・物産館はもちろんのこと、温泉施設もあり、宿泊も可能。隣接してコンビニまであるので、この地域のリア攻めの良き基地となるでしょう。

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