切支丹屋敷(きりしたんやしき)

切支丹屋敷の基本情報

通称・別名

キリシタン屋敷、山屋敷、(井上筑後守政重下屋敷)

所在地

東京都文京区小日向1-24-8

旧国名

武蔵国

分類・構造

屋敷

天守構造

なし

築城主

徳川幕府

築城年

正保3年(1646)

主な改修者

主な城主

井上政重

廃城年

寛政4年(1792)

遺構

消滅

指定文化財

都旧跡(切支丹屋敷跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

御殿山城(東京都新宿区)[1.0km]
築土城(東京都新宿区)[1.1km]
牛込城(東京都新宿区)[1.4km]
牛込見附(東京都千代田区)[1.6km]
本郷城(東京都文京区)[2.1km]

切支丹屋敷の解説文

切支丹屋敷は、江戸時代に大目付であった井上政重の下屋敷であり、現在の文京区小日向にあった。

井上政重
井上政重は、江戸初期の大目付で、過酷なキリシタン(キリスト教徒)弾圧を行ったことで知られる。

だが実は政重は、元キリシタンであったが、その後棄教したとも言われている。

徳川幕府に仕え、寛永9年(1632)に大目付となり、寛永15年(1638)に天草四郎率いるキリスト教徒らが島原(現在の長崎県)で蜂起した島原の乱には幕府方の上使、その後は宗門改役という役職も兼ねて、絵踏みや密告の奨励を行って、キリスト教徒を厳しく取り締まった。

後に島原の乱の功を評価され、1万石に加増、下総高岡藩の初代藩主となった。

歴史
正保3年(1646)に宗門改役であった井上政重の下屋敷に牢や番所などを設けて宣教師やキリスト教徒を収容したのが始まり。

この屋敷を設けた井上政重の死後も切支丹屋敷として変わらず役割を果たしたが、享保9年(1724)に火災により焼失、以後再建されぬまま、寛政4年(1792)に宗門改役が廃止されると同時にこの屋敷も役割を終えた。

現在は跡地に都旧跡として碑が立っている。

切支丹屋敷の口コミ情報

しぐ左近衛少将様[2015年01月02日]
2014年4月より石碑の通り向かいの建築工事現場で発掘調査が行われ、弥生〜古墳時代、江戸時代の遺構が確認されました。また切支丹屋敷に収容されていたシドッティ神父(1668-1714)と思われる墓も出土したとのことです。

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