フルスト原遺跡(ふるすとばるいせき)
フルスト原遺跡の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 沖縄県石垣市大浜フルスト原
旧国名
- 琉球国
分類・構造
- 山城
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 遠弥計赤蜂(オヤケアカハチ)?
廃城年
- -
遺構
- 石垣
指定文化財
- 国史跡(フルスト原遺跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
下田原城(沖縄県八重山郡)[52.7km]
高腰城(沖縄県宮古島市)[129.3km]
伊敷索城(沖縄県島尻郡)[340.4km]
具志川城(沖縄県島尻郡)[342.3km]
宇江城(沖縄県島尻郡)[343.4km]
具志川城(沖縄県糸満市)[398.8km]
南山城(沖縄県糸満市)[403.5km]
三重城(沖縄県那覇市)[406.1km]
豊見城城(沖縄県豊見城市)[406.2km]
八重瀬城(沖縄県島尻郡)[406.5km]
フルスト原遺跡の解説文
[引用元:Wikipedia「フルスト原遺跡」の項目]
フルスト原遺跡(フルストばるいせき)は、沖縄県石垣市大浜にある遺跡。1978年(昭和53年)3月3日に国の史跡に指定されている。
概要
フルスト原遺跡は、石垣島南部の大浜地区に位置する。宮良湾を望む標高約25m、丘陵東側の高さ約20mの丘陵上にあり、史跡としての指定面積は、12.3ha。周囲に珊瑚性石灰岩(琉球石灰岩)を野積みした石壁を巡らし、敷地内には15基の郭状の石塁遺構、古墓、御嶽跡などが確認されている[1][2]。敷地からは、中国製陶磁器や八重山焼の破片が出土している。
石塁遺構は、城(グスク)の特徴を備えているとも考えられるが、生活用品が多数出土する一方、武器が見当たらないことなどから、近年の研究では屋敷囲いの石垣としての性格が強いと考えられている。
古くからオヤケアカハチの居城跡であると言い伝えられてきた[3]。オヤケアカハチは、15世紀に八重山列島に割拠した豪族のひとりで、大浜を本拠としたが、1500年にオヤケアカハチの乱を起こして琉球王国の尚真王に討伐され、以後、八重山列島は琉球王国の支配下に入った。
フルスト原遺跡をオヤケアカハチの居城とする史料はないが、オヤケアカハチが住んだとされる大浜地区には他に城跡が発見されておらず、琉球王国の歴史書である『球陽』においてオヤケアカハチが「嶮岨を負い、大海に面して」陣を構えたとする描写がフルスト原遺跡に当てはまることから、その可能性は充分にあると考えられている。ただし、近年の発掘で遺跡の存続年代は14世紀から16世紀後半とみられており、この遺跡はオヤケアカハチが活動した15世紀後半以前から存在していたことが分かっている[4]。
整備
フルスト原遺跡の石塁遺構は、第二次世界大戦中に隣接する海軍石垣島南飛行場(通称平得飛行場。後の石垣空港)の爆弾痕を埋めるために持ち出されたり、畑に利用されたりする等されていたが、発掘調査で石積みの基礎部分が確認され、1992年からの保存修理事業によって、15基中7基の石積みが復元された。また、2016年度から、崖下にインフォメーション広場、駐車場、芝生広場を備えた広場の整備が行われている。
石垣空港は、2013年に新石垣空港の開港に伴い供用廃止され、跡地の再開発が計画されている。空港跡地のうち、この遺跡の南側に隣接する旧空港北東部は「歴史・文化ゾーン」とされ、博物館や石垣市伝統工芸館の移転等が予定されており、フルスト原遺跡と一体的に整備することが計画されている[5]。
アクセス
- 遺跡北側の幹線道路(市道タナドー線)から直接車で入ることが可能。ただし、進入路が舗装されていないので、見学の際には注意が必要である。
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フルスト原遺跡の口コミ情報
2024年09月06日 tower428太閤
フルスト原遺跡
入り口がわかりにくかったですが、木の茂みを抜けると立派な石垣がたくさんあり見ごたえのあるお城でした。城跡から少し離れた場所にオヤケアカハチの石碑もありました。
2024年02月25日 生駒讃岐守江現蔵✿
桃林寺[フルスト原遺跡 寺社・史跡]
桃林寺は臨済宗のお寺で、石垣島に400年前からある八重山諸島最古の寺院です。薩摩藩に進言された琉球王朝7代目国王の尚寧王によって建立されました。入口にある仁王像は、沖縄県で現存する最古の木彫り像と言われています。
2月の曇り空の3連休最終日、讃岐に帰る前に訪れました。離島ターミナルから桃林寺までは徒歩15分です。沖縄独特の建物は異国情緒が溢れていて、隣接する同時代に建てられた重要文化財の権現堂は色合いが綺麗なので、是非合わせて参拝ください。
2024年02月25日 生駒讃岐守江現蔵✿
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡は、石垣島最大の流域面積を誇る宮良川の西にある遺跡です。波照間島出身の英雄、オヤケアカハチの居城跡ともいわれていますが、詳細は不明です。700年以上前に石垣市大浜に築造された遺跡で、1978年に国指定史跡になりました。
2月の曇り空の日、石垣港離島ターミナルからバスで大浜下車、民家の街並みを抜けてリア攻めマップで確認しながら徒歩10分ほど進むと城の南側に到達します。
現在は15基確認されている石垣のうち、7基が復原されています。屋敷跡を石垣が囲う構造となっており、規模もとても大きいので見応えがかなりあります。石垣の内部は背丈ほどの草が茂っていて中に入れないのが残念でした。
遺構の南から北の案内板までゆっくり往復して30分、北の方はジャングル気分を味わえます。石垣島を訪れた際には是非リアをオススメします。
2024年02月02日 笑門来猫
小城盛(クスクムイ)[フルスト原遺跡 寺社・史跡]
竹富島にある火番盛(狼煙台)で、旧展望スポットとして有名な なごみの塔の北側にあります。火番盛としてはかなり大型タイプで、且つ弓なりに石垣を伸ばす構造を持つので、実は戦いを意識した造りなのでは?と、妄想が膨らみます^ ^
ここからさらに北に進むと、ブラタモリでも紹介された竹富島始まりの地もあります(草ボーボーですけど)
2023年09月20日 明石家船上
フルスト原遺跡
トイレのある駐車場から歩くと遠いですね。直接遺跡の近くまで、自動車で入れます。
2023年03月03日 KAZ左大臣正勝
第3号石塁[フルスト原遺跡 遺構・復元物]
先人さまがおっしゃってる低くなっている所は渦状になってますね(^-^)ただの住居の風除けなら渦状にする必要は無いのでは?個人的な見解ですが、3号石塁だけは役目が違うのではないでしょうか?
2023年01月11日 播磨守狂鬼人間
フルスト原遺跡
南海自動車側から入ると一本道です。珊瑚石灰岩はイイですね。
2022年12月05日 気分爽快豊後守
フルスト原遺跡
立派な駐車場からすぐ上の丘にありますが、1km程度大回りする必要があります。
石塁内部は草だらけのため、怖くて入れませんでした。
2022年03月16日 たか加賀守astro
第3号石塁[フルスト原遺跡 遺構・復元物]
三号石塁も出入り口狭めですが向かって左側(北側?)はやや崩れたような状況を再現しているようです。低くなっています。
2022年03月16日 たか加賀守astro
第2号石塁[フルスト原遺跡 遺構・復元物]
2号石塁は、出入り口が最も狭くなっています。復元の度合が高いようです。
2022年03月15日 たか加賀守astro
第15号石塁[フルスト原遺跡 遺構・復元物]
関連情報…ふもとの駐車場から直接は入れません。周りこむことになるのでよく調べてお越しを。
2022年03月15日 たか加賀守astro
第10号石塁[フルスト原遺跡 遺構・復元物]
美しく整備されました。かつての生活の姿がしのばれます。
2022年03月15日 たか加賀守astro
石碑[フルスト原遺跡 碑・説明板]
昭和53年建立
10数年前に比べると随分きれいに整備されていて驚きました。
ただ、遺跡はこの石碑、駐車場から見上げる丘の上にあります。ぐるっとかなりの距離を歩いて回り込まなくてはなりません。事前によく調べてお越しになることをおすすめします!
2022年01月17日 伊勢守ぼうちゃん
フルスト原遺跡
去年の春以来久しぶりにリア攻めしたところ、以前から綺麗に手入れされている芝生はもとより、草ボウボウだった石塁の中がスッキリしており、石塁の高さや中の広さが実感できました(環境整備のきっかけはTV取材でしたか・・・)。
2021年07月09日 MACHT征夷大将軍
フルスト原遺跡
どこから入ればいいのかしばらく悩みながら周囲を車でウロウロ。北側に案内矢印を見つけたのでそこから徒歩で入ろうとしたが、どうも車で入れそうな感じだったので最終的には車で内部に。入ってみると綺麗に芝生が手入れされており、石塁も綺麗に積まれてなかなか見応えのある場所であった。海も見えるので展望は良好。ただ石塁内部はあえてなのか草が刈ってないところが多数。石塁倒壊による安全確保のためか?
石垣島中心部から比較的アクセス良いところなので、お近くに来た際にはぜひ訪れて下さい。
2021年05月31日 にい
フルスト原遺跡
この場所は、車でも中まで入ることができますが、北側入口から徒歩で攻めると、城に向かう雰囲気がとても良い。南側入口はオススメしません。バスなら、磯辺下車です。帰りは南側からが、バス停が近くて良いでしょう。
2020年12月10日 ファン掃部助トム治郎
フルスト原遺跡
北側の道路から案内板に従い小道を歩いていくと10分足らずで拓け、広場のようになります。石垣が古き海人の時代に誘います。12月はハブの心配なく歩けました。東側の川の脇に駐車場が建設中でした。
2020年01月02日 アレックス・ディノ
フルスト原遺跡
石垣島離島ターミナル近くで、自転車を借り、フルスト原遺跡まで来ました!レンタサイクルは1時間100円でした。距離は約6キロ。時間にして30分弱で到着します。
石垣島離島ターミナルからさんばし通りを北上し、小波本橋の交差点を右に曲がり、あとは道なりに進みます。
フルスト原遺跡の北側の未舗装の道から入ると、自転車でも行けます。
2019年11月22日 太閤 なつりん
フルスト原遺跡
先人様の史跡までの道のりがかなりの悪路と言うことで、直接会って伺い後に恐る恐る実態調査。
結果、史跡の入口は北側が有効で目印はありませんが、侵入するとその悪路も車がすれ違えるほど整備されていて辿り着く事が出来ました。
その道を抜けると視界が広がりだだっ広い陣屋跡が見えてきます。
そこには石塁が至るところに復元され、周りが芝刈りで綺麗に整備されておりました。
行く価値ありです!
2018年05月03日 征夷大将軍、٩(ˊᗜˋ*)و
フルスト原遺跡
先人の通り、現地の入り口まで行きましたが、「自分の車なら絶対行きたくない、狭く険しい草むら」で、ハブに噛まれたらやだので、入るのは断念しました(ᵔᴥᵔ)
2016年12月18日 橘若狭守次郎吉
フルスト原遺跡
フルスト原遺跡は標高20M~25M程の丘陵上に築かれた14世紀~16世紀の集落遺跡。沖縄風城郭であるグスクに似ているが、どちらかというと集落的な要素が高いといいます。
フルスト原遺跡の入口は遺跡の北側にあります。石碑と案内板があるところからは進入できません。未塗装の畦道を暫く進むと復元石塁が見えてきます。そこがフルスト原遺跡です。
石塁は確認されている15基のうち7基が復元されています。石積は自然岩盤と珊瑚性石灰岩を上手く用いて野面積されています。
フルスト原遺跡より少し南に下った所の大浜小学校の東側にオヤケアカハチ像、そこから海に向かって道を少し進むと右手に津波石があり、その奥にオヤケ赤蜂之碑があります。
フルスト原遺跡の石碑と案内板は遺跡のある丘陵の東側の道沿いにあります。その真後ろには第2次世界大戦時に日本軍が掘った海軍堤もあります。
2014年06月26日 左近衛中将五郎八(いろは)姫
フルスト原遺跡
石碑と説明板の所からは入れず、石碑に簡単な案内図があるものの入口の場所が示されるのみで現在位置や行き方は書いてない。石垣群付近ではまだ発掘調査中のような区画があり、今後に期待したい。城主、オヤケアカハチ之像は少し浜方面に出た崎原公園にある。両脇に木目調の鳥居があるが神社ではない。
2014年06月13日 仕事多忙中納言速水右近
フルスト原遺跡
自分の車なら絶対行きたくない、狭く険しい草むら?ジャングル?を車で5分程入って行かなければならなく、マムシやハブの事を考えるとタクシーをおすすめします。
空港からタクシーで約20分。単純往復なら1時間3000円で時間固定契約をすればよい。ゆっくり撮影して城主の像を見て、旧石垣空港を見て1時間半で5000円程。
旧石垣空港の滑走路の下は、第二次大戦時日本軍がこの城の大量の石垣を埋めて土台にしたそうです。
オヤケアカハチ像の横に神殿があるが、薄い茶色の鳥居が二つもあるのが実に珍しい。
2012年08月07日 願舟近江守
フルスト原遺跡
復元された石垣に行く入口は二カ所で、立派な石碑と説明版の所からは入れない。海側の入口は民家を通るので、遺跡の真反対から入るほうが良い。入口は一瞬見逃しやすい。
2012年02月09日 初代征夷大将軍天下一の号
フルスト原遺跡
未舗装道路を抜けると、復元ではあるが石積が展開されている。石積みの上からの眺望が良い。