佐賀城(さがじょう)
佐賀城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 高知県幡多郡黒潮町佐賀字城山
旧国名
- 土佐国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 伊与木氏?、光富氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
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佐賀城の口コミ情報
2026年03月11日 エドワード黒太主水正子
佐賀城
尊良親王巡りのついでに登城しました。
周りをぐるっと一周して「登り口がたくさんあるな」と思い、適当に北側の墓地のところや南側の恵比寿神社のところから登ってみようとしましたが、各登り口は繋がっておらず、行き止まりの多い迷路を歩いている気がしました。当たり前と思われるかもしれませんが、「津波避難場所 城山(土佐神社)」と書いてある道だけが正解です。この山はお墓だらけです。高知県の防災キャラクターは、やなせたかし氏による「ゆうどうくん」。
土佐神社の手前にある石碑に、
「天正5年〜慶長6年(26年間)、もと伊与木氏が監しのち、光富氏の居城
初代光富次郎兵衛
二代 〃権之助
三代 〃弥吉郎
石高500石。
昭和58年 佐賀町農業協同組合·文化財保護委員会」
と彫られています。
また黒潮町のパンフレットにも、
「造られた年号は明らかでない。土佐国古城略史にも、城主は最初は伊与木城主が兼ねていたが、天正年間に一条氏が滅び、長宗我部元親に光冨権之助が佐賀城を給わったとの記述がある」
と簡単な説明があります。
麓の町がこれまた路地が狭く、気持ちの良い迷路になっています。いたるところに猫がいます。駐車場は港に近い「黒潮一番館」の南側の広場がよいと思いますが、ここにある「観音堂避難広場」は間違った登り口です。またトイレがありません。「黒潮一番館」のカツオは時期でない3月だったのに、刺身もたたきも超絶品でした。念のため、道の駅のカツオも食べ比べしてみましたが、こちらも超☆絶品でした。すごいなカツオ王国。
また、空が青い日の高知の海の深い色も、とても見事だったです。(お城の頂上から海は少ししか見えません)
2023年06月05日 尼崎城志摩守一口城主
佐賀城
5月7日登城。腹が減っては城攻めは出来ないと鰹の町・黒潮町(写真①※土佐佐賀駅前で撮影)で鰹を食べてから進軍。
佐賀城(城山)は津波避難所で高台になっていました(写真②③)。津波避難場所の為、登り口は何ヵ所もあると思われ私が登った場所からさらに奥に(写真③左側の道)進んでみると(写真④)土佐神社が建っていました(写真⑤)。神社の前に<佐賀城跡>の石碑(写真⑥)がありました。
海抜30m台の山城でしたが太平洋方面(写真⑦)や住宅地方面(写真⑧)など周囲をよく見渡すことが出来る城山でした。※出来れば快晴の日に登城したかったのですがこればかりは仕方がありません☂️
2022年08月09日 やまてつ伊予守
佐賀城
津波避難場所になっているので、階段が整備されています。夏は雑草が生えているので、長袖、長ズボンがよいです。多くの城跡と同様に神社になってました。階段の登り口に車を停めるスペースは有ります。
2020年11月06日 中村伊予守はるのり
佐賀城
城跡の一部が津波避難場所として整備されているので、登城は容易に出来る。ただ、登城口は車1台がやっと通れる狭い路地の中にあり、周囲には駐車場もないため、少し離れた所から歩いて行く必要がある。
2015年01月08日 幸之助
佐賀城
南面は津波非難所に伴う工事により改変していると思われます。
土佐神社が頂上にあり、社の脇に土塁の痕跡らしきものがありました。
北面は曲輪、堀切らしきものが良く残っていると思われます。
資料が無いのであくまで憶測ですが(^^;









