安芸城(あきじょう)

安芸城の基本情報

通称・別名

安芸(安喜)土居

所在地

高知県安芸市土居字土居

旧国名

土佐国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

不明

築城主

安芸親氏

築城年

延慶2年(1309)

主な改修者

五藤為重

主な城主

安芸氏、香宗我部親泰(長宗我部氏家臣)、五藤氏

廃城年

明治時代前期

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

安田城(高知県安芸郡)[11.1km]
東川別役城(高知県香南市)[13.2km]
姫倉城(高知県香南市)[15.8km]
香宗我部城(高知県香南市)[18.1km]
萩野城(高知県香美市)[18.4km]

安芸城の解説文

安芸城(あきじょう)は、高知県安芸市土居に存在した平山城。江戸時代には土佐藩山内家家老の五藤氏が居住し安芸(安喜)土居として存続した。

概要
城は安芸平野のほぼ中央に位置し、小高い丘に、小詰めの段(本丸)が置かれ南側の平野部に曲輪が配された梯郭式の平山城である。城の東側には安芸川、西側には安芸川支流の矢の川が流れている。南側には溝辺の堀、北側には城ヶ淵があり、それらが天然の堀となっていた。また、更に城の周囲に内堀を構え、堀を造成した際に出た土を掻き上げて土塁とした。

現在、城跡に安芸市立の歴史民族資料館と書道美術館がある。

歴史
鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)安芸親氏がこの地に城を構えたと伝えられている。以後、安芸氏の居城となった。安芸氏は土佐国東部の安芸郡を支配し、戦国時代には勢力を伸張し土佐七雄の一人となった。

安芸国虎の時代になり、西部に隣接する長宗我部元親との対立が繰り返され、元親の居城である岡豊城をしばしば攻撃した。永禄12年(1569年)7月、国虎は妻の兄である土佐国西部を支配する一条兼定と結び、八流の戦い(八流崩れ)と呼ばれる長宗我部氏討伐の合戦を起こした。しかし、総崩れとなり逆に安芸城を攻められる結果となった。安芸城での籠城は24日間に及んだが、やがて食糧も尽き、長宗我部側に内通した横山民部が井戸に毒を入れ倒れるものが続出したこともあり、城内の士気は著しく低下した。落城を覚悟した国虎は自害を条件に元親に残存する兵士と領民の助命を願い出た。8月11日、国虎は菩提寺の浄貞寺に入り自決し安芸城は落城した。

落城後は元親の弟香宗我部親泰が安芸城に入城し、阿波進攻の拠点となった。長宗我部氏は「安芸」を「安喜」と改め、明治時代初期までこの字が当てられた。元親の死後、家督を継いだ長宗我部盛親は関ヶ原の戦いにおいて西軍に所属したため改易となった。

江戸時代になり山内氏が土佐一国を与えられると、重臣の五藤為重に1,100石を与え安喜郡周辺に配した。為重は居留地として安喜城を選んだが、元和元年(1615年)の一国一城令により城ではなく「土居」と称した。既に存在していた内堀と土塁の内側に屋敷を構え、石垣を築いて枡形と櫓門を整備し、土塁の上に塀を築くなどの改修を行った。以後、明治時代に至るまで「安芸(安喜)土居」として五藤氏が居住した。土居の周囲には家臣団の武家屋敷が整えられ、現在も土居廓中として現存している。

安芸城の口コミ情報

カーネル様[2017年08月08日]
土佐くろしお鉄道 安芸駅から

バスローターり東の高架の線路をくぐって北へ500m進み、T字を右折し、その先の交差点で左折

あとはとにかく北上します。道が狭いところもあるので注意

雰囲気が城下町っぽくなり、駅から20分ほどで野良時計がる5差路の交差点に
ここは真っすぐ進み、神社と学校の間を進むとT字になるので、旧邸が軒を連ねる狭い道を案内に従って右左折しながら北上し歴史民俗資料館へ

周囲は堀と石垣に囲まれテンション上がります。ここまで30分弱

資料館前の小山に登ると曲輪を確認できました。資料館に寄ってから駅に戻ったのは1時間半強てした
町の雰囲気もよいので散策にピッタリです

織田修理大夫糀【関ヶ原鑑賞】様[2017年06月14日]
野良時計の脇の駐車場に停めて武家屋敷を通り安芸城跡へ。

堀と枡形虎口の近世城郭と山城の中世城郭が混在する。

安芸城から少し離れてますが岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)の生家があります。

ダッパンダ様[2017年05月13日]
ガイドさんに案内して頂き、野良時計から、武家屋敷を抜けて、城址に行きました。
内部が観覧可能な屋敷もあり、お城へと向かう真っ直ぐの道は、当時の様子を偲ぶ事が出来ます。
又、7月にはお掘りに白蓮が咲き、とても綺麗だそうです。

摂津守@Dr.stop酒様[2017年05月09日]
安芸城へは県道29号線から車で行きましたが、
市立歴史民俗資料館に続く通路脇が駐車場となっているようです。
但し、周辺は民家もあるのでご配慮が必要です。

城内にある歴史民俗資料館は、安芸氏・五藤氏や三菱創業者の岩崎弥太郎に関する展示がありました。(山内一豊の頬に刺さった鏃もありました)

資料館入口の正面にある山が城山で、前に案内板があります。
城山を登り山頂にある一の段に土塁の一部が残っており、南三の段下には石垣が崩れかけながらも残っており、また崩れ落ちた石があちこちに散見されます。

また、南三の段下には五藤家屋敷や土居と言われた土塁に内堀、南正面には石垣で固められた桝形虎口があります。(石垣上には瓦塀の残りが僅かにあります)

資料館→城山→周囲の土塁・堀見学で、だいたい1時間程度でした。

周辺には武家屋敷が残っており、散策するのもいいかもしれません。

参議一之介様[2016年07月10日]
追加情報です。
城攻めのあと、時間があるようでしたら、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線終点の奈半利まで行き、駅前のトンカツ屋さんでお食事を。
土佐名物ではなく、値段も高めですが、特大エビフライの大きさには圧倒されました。

参議一之介様[2016年07月10日]
最寄り駅は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅です。
元気バスという地元の循環バスがありますが、本数が少なく、列車との接続もしていません。駅直結の「じばさん市場」で無料のレンタサイクルを借りられますが、雨の日は貸し出さないそうです(傘差し片手運転になるからでしょう)。歩く場合は30分かかります。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線には、海側の車体側面のほぼ全面にオープンデッキを設けた車両があります。気候がいいときは狙ってみるといいでしょう。

清水若狭守龍親様[2013年11月14日]
(安芸国) 安芸元泰の子。備後守。安芸氏は蘇我赤兄の流れを汲むといわれる名族で、安芸七守護のひとり。土佐国安芸郡安芸城主。一条氏の女を妻とした。代々土佐東部にその武威を誇り、安芸郡の大領を相伝していたが、長岡郡岡豊城に拠る長宗我部氏の台頭により、長宗我部元親と争った。天文13年に父・元泰が没したとき、国虎はまだ4歳だったといわれ、同族の後見を受けた。当主として活動を始めるのは弘治3年頃のことである。近隣の和食氏や香宗我部氏を圧迫し、勢力拡大を目論む。永禄6年、元親が長岡郡の本山氏と争っている際、幡多郡の一条氏の援軍を得て岡豊城を攻めるも失敗する。この抗争は一条兼定の和睦斡旋によって一応は小康を得るが、永禄12年4月、元親からの岡豊城への招請を謀略と見て断ったことから再び関係が悪化し、7月より決戦に至った。この戦いで安芸勢は侵攻してきた長宗我部勢を矢流山で迎撃するが、敗走。その後は安芸城に籠もって防戦を試みたが、敗色が濃くなるとともに城内から内応者が出はじめた。8月11日には長宗我部軍の総攻撃を受け、ここに安芸城は落城した。国虎は城兵の助命を条件に、菩提寺浄真寺にて自刃したのである。

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